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民主主義社会にとって、選挙権の行使は、国民にとって一番守られるべき権利と言っても過言ではないことは、皆さんが学んできたとおりです。
そして、各有権者の投票においては、その価値が平等であることが求められます。
そのことからすれば、各有権者の投票の価値は、1対1であるべきことになります。
しかし、現実には、人口の多寡、選挙区の広狭、地域間格差の是正、議員数の制限等々の理由・制約から、完全な1対1を実現できないことも事実です。
そこで、どの程度の価値の差ならば憲法上許されるのか、その基準が問題となります。
この点、最高裁は、衆議院議員選挙においては1対3程度、参議院議員選挙においては1対5〜6程度であれば、違憲とはならないという基準をとっていると理解されています。また、学説には、同じ有権者であるのに、ある人は二人分(あるいはそれ以上)の投票価値を有しているということになったのでは、一人一票の原則に反するから、1対2未満であれば違憲とはならないという基準を立てるものがあります。
私も、従来は、この基準が分かりやすいと考え、このような学説によってきました。
しかし、よく考えてみると、このように考えることはおかしいということに気が付きました。1対2というと、多い人は少ない人の2倍の投票価値を有している=得をしている、というように理解することもできますが、反対からみれば、少ない人は多い人の半人分しか投票価値を与えられていないということになります。
この0.5人分の投票価値ってどういうことでしょう。同じ一人の人間で、同じ人権を保障されているにもかかわらず、その与えられた価値が0.5人分というのでは、一人と扱われていないのと同じことにならないでしょうか。これは、やはり変だと言わざるを得ないと思います。
一人は一人として扱われて、初めて平等と言えるのだと思います。
だとすれば、投票価値の平等を判断するに当たっても、1対1であるか否かが基準になるとすべきでしょう。あくまでも、1対1であることを目指す。種々の制約を勘案したとしても、可能な限り1対1であることを保障するために、議員定数配分表を改定し続けるべきなのです。
このことに考えが至り、私は、従来の考え方を改めることにしました。
冒頭の判決は、ここまでの基準を示すものではありません。ただ、従来の最高裁の判例と比較すれば、一歩も二歩も進んだ考え方を表明したものと言えます。その背後には、1対1であるべき、との考えがあるものと思われます。ただ、現実的な制約を重く捉えたのでしょう。
しかし、現実面に配慮することも必要ですが、大阪高裁の示す基準ではまだ不十分というべきです。現実との折合いを重視しすぎると、あるべき姿を手に入れることはできません。違憲か否かの判断は、あるべき姿を基準になされるべきでしょう。その意味で、投票価値の平等は、1対1であるか否かがその判断基準となると考えるべきなのです。
この問題は、真の民主主義を実現していくということにかかわるものであり、国民の一人ひとりが主体的に考え、かかわっていくべきものです。皆さんも、もう一度考えてみて下さい。
また、一人一票を実現するため、一人一票実現国民会議という団体が積極的な活動をしているので、ホームページを見てみて下さい。そして、サポーターになるなど、国民の一人として積極的にかかわっていって欲しいと考えています。
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