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第29号 難民と教育 ~ミャンマー出身者に対する「日本語教室」の取組み~

堀越 貴恵 東京大学 寄付講座「難民移民(法学館)」スタッフ

従来、難民に関わる事象のなかでも教育は、どのように捉えられてきたのでしょうか。
難民に対する教育は、歴史的において教育開発(教育復興)の文脈で、また人道支援・復興支援、「人間の安全保障」の文脈で、その必要性や重要性について認識され始めています。
しかしながら、長期化した難民キャンプでさえ、難民が教育を受けることができる機会は限られた状況にあります。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、子どもや若者の教育プログラムへの参加は、しばしば短期間で中断されるなど、緊急事態のなかでは教育的なニーズに高い優先順位が与えられない場合が多く、限られた資源しか割り振られないことが指摘されています。  このほか、当コラムで何回かご紹介した「 長 期 化 す る 難 民 状 態(Protracted Refugee Situation)」を背景とした庇護国での定住、第三国での定住の際における難民の受け入れや社会統合などを考える際にも、教育は議論の一つとして取 り上げられてきました。
ここでの議論は、特に教育政策や教育制度に関する議論に主眼がおかれてきたと考えられます。
基本的に国家による保護を得ることができない難民に対する教育の議論は、世界人権宣言第26 条「教育についての権利」において規定されているとおり、基本的な権利としての教育について、その機会の保障問題として捉えられてきたといえます。
条約においては、「児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)」第 22 条「難民である児童の保護」によって難民である子どもの保護、また同第 28 条「教育についての権利」によって子どもの教育に関する権利について規定がされています
 。
 「『人間の安全保障』のための保護と能力強化」の文脈では、教育が「人間の安全保障」の実現のために不可欠な要素の一つとして考えられています。
「人々が自らのために、また自分以外の人間のために行動する能力である。この能力を伸ばすという点が、『人間の安全保障』と国家の安全保障、人道活動、あ るいは多くの開発事業との相違であり、その重要性は、能力が強化されることにより人々が個人としてのみならず、社会としての潜在能力までも開花させうる点 にある。同時に、人々が自らのために行動する能力を強化することは、『人間の安全保障』の実現のための手段であるともいえる」と捉えられています。
こうした点からは、人間にとって教育が必要不可欠な存在であることが再認識されているといえます。
 
 それでは、日本に目を向けてみると、日本での難民に対する教育はどのように捉えられ、教育の機会はどのように確保されているのでしょうか。
難民の受け入れ方によって、教育の機会に違いはあるのでしょうか。今回から数回にわたってこの点について詳しくお話してゆきたいと思います。
 
 今回は、日本での教育の機会の一つとして、ミャンマー出身者を対象とした「日本語教室」の取組みについてお伝えします。
この取組みは、NPO 法人 PEACE が主体となり行われている「日本語教育プロジェクト」で、文化庁による「ミャンマー難民、コミュニティの社会参加に向けた日本語教育プロジェクト」の助成を受けて実施されています。
対象者はミャンマー出身者(大人)とされており、ミャンマー難民に限ったものではありません。
日本語能力を身につけることを目的として、毎週日曜日に教室が開かれています。
 
 本年 5 月の初回の教室では、日本語教室で身につけたいことに関する聴き取り調査が行われました。
多くの人が日本語教室で身につけたいと考えていた内容は、読む能力や書く能力、話す能力でした。
その他に、丁寧な言葉や日本の政治、文化等を学びたいとの声もありました。
この聴き取りを通じて、参加者が感じている日本語にまつわる課題も挙がってきました。
職場で日本語を話さなくてもよい環境であることや、日本人とのコミュニケーションの難しさ等です。
参加者のニーズをくみ取って対応する等、参加者の学びたいことを重視した取組みであることが伺えます。
初回以降は日本語能力別に 3 つのクラスに分けられ、すでに 4 回の授業が終わったところ (6 月 22 日時点 ) です。
 東京大学 CDR(難民移民ドキュメンテーション・プロジェクト)では、新たな調査プロジェクトとして、この日本語教室での取組みを観察しています。次回以降、この 日本語教室での様子をお伝えするとともに、日本での難民に対する教育がどのように捉えられ、教育の機会がどのように確保されてきたのか、ということについ て考えてみたいと思います。


 
伊藤塾塾便り227号/HUMAN SECURITYニュース(第29号 2014年7月発行)より掲載