第45号 信頼ある社会(3)

山本 哲史 名古屋大学大学院法学研究科特任講師
(モンゴル国立大学法学部日本法センター勤務)
東京大学寄附講座「難民移民(法学館)」前事務局長

前回、前々回と、「信頼ある社会」と題して、社会の仕組みに信頼が果たしている役割を観察してみると、その重要性や法の限界について考えさせられるといった趣旨のことを書きました。
今回は信頼と政治経済や「人間の安全保障」の直接の関係についても触れたいと思います。 ■嵐はやってくる
モンゴルで大気汚染の研究者と話をした時のことです。
彼は草原で猛烈な雷雲に囲まれたことがあり、車の中で息を潜めて半刻ほど、命の危険を感じながらもなんとか雷をやり過ごしたそうです。
私もこちらに来て間もない夏の終わりに、その猛烈な雷を目の当たりにすることがありました。
その時は、ビー玉ほどの粒の雹(ひょう)も雷光と共に降ってきて、車のフロントガラスが割れるかというほどの状況でした。
運転席のモンゴル人は、これはまだ小さい方だというので、私は唖然とするばかりでした。
政治や経済にも、天候に似た周期的な、そして時に突発的な動きがあるように感じます。
来夏の総選挙を目前に控え、様々な憶測が飛び交っているモンゴルでは、3 年前に初の国債(通称チンギス・ボンド)を発行し、5年物の5億ドルと、10年物の10億ドルの、総額15億ドルもの借金(GDPの約2割に相当)の返済 期限が迫るなか、その雲行きを危ぶむ声もあります。
元々モンゴルは、石炭や銅やウランなどの天然資源が豊富で、その潜在力への期待からリーマンショック(2008年)後の経済の低迷をも克服し、2011年 には当時の世界第2位となる経済成長率17.3%(同時期の日本は-0.5%)を達成したものの、資源ナショナリズムや外国からの投資の規制強化 (2012 年外国投資法の改正による要承認制の導入)によって、経済は一時の勢いを失いつつありました。
そこから、外国からの投資熱を再び加熱するための起爆剤としての国債発行であったわけですが、国債発行の主要目的の一つとされたモンゴル南部の鉄道敷設事 業は完成には程遠いと見られており、一方でその資金は政治家たちの私的関連企業への破格発注や贈収賄も絡めつつ様々に浪費され、既に資金は底をついている のではないか、という噂もあるようです。
■知らなかったでは済まされない
天然資源や投資に関する立法をし、国債を発行し、というような場合、国という組織は一枚岩などではなく、やはり支配する側とされる側という二極に分かれた構図が浮かんできます。
借金を背負わされた国民は、知らなかったと言おうが勝手にやられたと言おうが、結局お金を返すことから逃れることはできません。
これは分かりやすい局面ですが、政治や経済は本来的に他人事などではなく、無関心であろうと難解であろうと、それがいつになるかはともかく、必ず一人一人の利益や、最後は生存にさえ直結しているのです。
私たちはそのことを忘れがちです。
支配される側の多くは、そのことに関心を持たない、あるいは、まさか自分に嵐が襲ってくることなどあるだろうか、という楽観によって、草原に取り残されてしまうのかもしれません。
この場合、誰かがその嵐を予知しているなら、自分にも教えてくれるはずだ、という信頼があるとしたら、その信頼は残念ながら間違った信頼ということになるでしょう。
■予測なくして「人間の安全保障」なし
一般的に、法には、将来や予測に基づく問題には十分な対応ができないという弱さがあります。
規範には予見可能性が期待されるからこそ法は一貫性ある解釈運用を徹底しなければならないという場合においてさえ、そこに言う「予見」とは、過去の同種の動きの繰り返しに過ぎません。
結局、法は主として事後的に問題を解消するための道具に過ぎず、それでは手遅れになることが現実社会には多々あります。
そこで、政治経済という観点から将来を予測し、法には馴染まない問題にも備えるということが重要になってきます。
よく、近視眼的に2年3年先のことしか言わない政治はだめだという話を聞きます。
10年20年と先を見越した政治こそ重要である、と。私もそう思います。
当たるか外れるかという話とは別に、長期的視野を持つこと自体が予測に求められており、政治経済の課題であると思います。
そして信頼がなければ、如何なる予測も役に立ちません。
疑い深さを研ぎ澄ませば法律家として一流になることはできるように思いますが、政治経済には更に信頼という要素が必要になってくるように思います。
そして他者から信頼されるためには日常の振る舞いが重要であり、また、他者を信頼するためには、常日頃から観察力と判断力に磨きをかけておく必要があります。
1994年に国連開発計画(UNDP)が示した「人間の安全保障」に求められる4つの基本的特徴にも、普遍性、人間中心、相互依存と並んで、早期予防という要素が挙げられています。
人権保障と「人間の安全保障」の違いは何ですか、という疑問を耳にすることがあります。それぞれ求める価値は似ていますが、法の苦手な部分を補おうとする点に大きな違いがあるのです。


 
伊藤塾塾便り245号/HUMAN SECURITYニュース(第45号 2016年1月発行)より掲載