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第6号 難民認定における信憑性評価 Credibility Test for Refugee Status Determination

山本 哲史(東京大学特任准教授)

紀元前 8 世紀、西周の幽王(ゆうおう)に褒姒(ほうじ)という后がいたそうです。
絶世の美女であった褒姒は、しかし滅多に笑うことのない女性でした。
あるとき、過って王宮から狼煙(のろし)が上がるということがありました。これは緊急信号であったので、配下の諸侯は王宮に駆けつけました。
それを見て褒姒は微笑んだそうです。
以来、幽王は褒?の笑顔見たさに狼煙を上げては諸侯を集めるようになりました。
後に反乱が発生したとき、幽王は狼煙を上げるのですが、諸侯は集まらず、西周は敢え無く滅びてしまいます。

 この中国の故事は難民認定と無縁ではありません。
前回コラムで少し触れたとおり、難民認定審査においては、主張される事実について通常の立証が困難である場合、供述に信憑性が認められるならば灰色の利益の付与を通じて事実認定がなされることがありえます。
この場合、そこにいう「信憑性」とは如何なるもので、どうすれば信憑性ありと認められるのか。重要な問題です。

 幽王の狼煙を手がかりに考えてみましょう。まず、そもそも狼煙と反乱の発生の間に物理的な因果関係があるわけではありません。
たとえば物に触れれば指紋がつく、という場合には、触れることと指紋付着の間に因果関係があるので、そこには科学的判断はあっても信憑性評価の入り込む余地はありません。
しかし反乱があれば狼煙が上がる、というのは、その制度を確保している幽王がいて初めて機能するわけで、その幽王が信用できるかどうか、ということになりましょう。
したがってこの場合の狼煙の信憑性というのは、幽王という人間への信頼にかかっていることになります。

 しかし幽王は狼煙で遊んでいるとはいえ、あらゆる面で信用できない人間である、ということになるでしょうか。
逆に、狼煙では決して遊ばない別の王がいたとして、ではその人の言うこと為すこと全て信用できる、ということになるでしょうか。また仮に、幽王が狼煙ではなく伝令に早馬を走らせて諸侯に王宮の危機を知らせていたとしましょう。果たして、歴史は変わっていたでしょうか。

 こうしたことを念頭に、難民不認定の理由づけにおいて信憑性が如何に観念されているのかを見てみると、気になることがいくつか出てきます。
たとえば、収容されたあとで難民認定申請をしている事実や、入国後長期にわたり難民認定申請をしていなかった事実を、申請者の難民としての信憑性を失わせる要素として言及している例があるのです。
ではこの場合、結局のところ何の信憑性が評価されているのでしょうか。
冷静に考えてみると、これはおそらく難民であればすぐにも難民認定申請をするものだ、という先入観に合致した行動がとられているか否かを「信憑性」と呼んでいるに過ぎません。
少なくとも先述した「狼煙の信憑性」とは別の種類の評価であることは間違いないようです。
どちらが正しい、ということではありません。信憑性という言葉は一般的なものであるので、それを様々な文脈で人がそれぞれどのように考えるのか、ばらつきがありうる、ということに注意を要します。
難民認定は、難民条約に規定された難民定義に人が該当するか否かを判断するものですので、その意味では判断にばらつきがあることは法的に不適切ということになりましょう。
「信憑性」の意味を確定し、それを隔たりなく運用することが重要であると思われます。

 ただ少なくとも、信憑性という場合に、それが「この人は難民である」という信憑性を意味しているとすれば、それはもはや信憑性評価の枠を超えて、難民該当性判断自体を意味していることにならないでしょうか。
あるいは逆に、「この人は難民ではない」という信憑性のなさを意味しているとすれば、それもやはり難民該当性判断自体を意味していないでしょうか。難民認 定が法適用の問題である以上、まずは事実認定によって判断権者が法を適用すべき「事実」を確定し、それに法解釈に基づく法適用を行ってゆく、という段階を 考えれば、やはり信憑性は事実認定の段階についてのものであると考えるべきではないでしょうか。
そしてまた、「この人の言っていることは何であろうと全て信用できる」という信憑性評価があるとすれば、それもまた、信憑性評価をはみ出してはいないでしょうか。
あくまで、人の信憑性としてではなく、主張される一つ一つの事実について信憑性評価はなされるべきではないでしょうか。
この点、例えばオーストラリアの難民審査裁判所(RRT)は、信憑性評価とは「個別の状況および証拠について決定すること」であるとしています。


 
伊藤塾塾便り204号/HUMAN SECURITYニュース(第6号 2012年8月発行)より掲載