第24号 「難民認定制度に関する専門部会」をご存知ですか ?(1)-日本と難民の関わりの見直しが始まっています-

山本哲史 東京大学 東京大学寄付講座「難民移民(法学館)」事務局長 大学院総合文化研究科 特任准教授

みなさんは難民についてどのようなイメージをお持ちでしょうか。典型的には難民キャンプで急場を凌いでいる人々で、アジアやアフリカの比較的貧しい国々に存在している、という印象かもしれません。
そのような印象は、あながち現実からかけ離れたものでもなく、また差別的な先入観に支配された悪い印象だというほどでもないと言えるでしょう。
実際、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の発表する資料によりますと、2013 年中期の時点で、UNHCR が支援している様々な種類の避難民(条約に定めのある難民、国内避難民と呼ばれる人々、無国籍者、帰還民など)の総数約 3,900 万人のうち、アフリカに約 1,200 万人が、アジアに約 1,800 万人がいるとされるのに対し、ヨーロッパでは約 250 万人に過ぎないことになっています(UNHCR Mid-Year Trends 2013, p.17.)。
 難民流出も社会現象の一つですから、これに社会がどのように対応するのかが問われてきたわけです。
近代国家が各国それぞれの法の支配や法治主義によって成り立つのと同様に、国家群からなる国際社会は、国際法(慣習法と条約からなる実定法群)について も、二度の大戦の惨禍を経験してようやく、戦争の違法化と民族自決権の確立(植民地支配の違法化)、そして人権保障のための制度整備に取りかかったのでし た。
 
 こうしたなかでも難民保護については比較的早くから取り組まれており、1951 年には「難民の地位に関する条約」(難民条約)が採択されました。
難民条約はその前文において「...難民に対する庇護の付与が...国際的な広がり及び国際的な性格を有する...」と、国際問題としての位置づけを明示しています。
現在までに 140 カ国を越える国々が加入する多数国間条約として、難民の国際的保護における中核的な役割を果たしています。
日本が加入したのは1981 年のことです。
この条約には、1 条に「難民」の定義があり、2 条から 34 条にはその「難民」に該当する人の処遇(権利)に対応する締約国の義務が定めてあります。
 
 難民条約に定められた「難民」の権利は、一般的な外国人と比べて非常に恵まれたものである一方で、「難民」と認められる(難民認定される)ためには、厳しい難民認定審査を通過しなければならないことになります。
何をもってその厳しさを語るべきかにもよりますが、認定率(申請数のうち認定された数の割合)で見るならば、数字にはばらつきが目立ちます。
2013 年のトピックとしてはなんといってもシリア難民の苦境ということになるのですが、たとえば 2013 年の上半期には、シリアからの避難者のうち約 1 割に相当する人々(約 31,000 件)が避難先のリビアなど 92 カ国において難民認定申請を行っているとされ、そのうち 9 割以上が難民認定されているといいます(つまり認定率 90% 超)。
これに対して、同時期における、ロシアから避難した人々による他国での難民認定申請件数も、シリアに負けてはいません(約 28,000 件)。ただし、その認定率は 3 割以下であるとされています(前掲書 , p.10)。
 
 それでは日本ではどうでしょうか。2012 年の 1年間で審査した件数が 2,198 件、そのうち認定されたのはわずかに 5 件です(つまり認定率は 0.23%。ただし異議審はこの数字には入っていないため、2012 年の申請自体ではなく処理数を分母にしている。いずれにしても 1% を下回る)。
申請者の多くは、ミャンマー、トルコ、ネパールといった地理的に比較的近い諸国からやって来た人たちであり、シリアやロシアからの申請者とは異なるので単純比較はもちろんできませんが、結果的に難民認定が厳しいことだけは確かなようです。
 こうした数字が物語る現実は、冒頭に見た難民の印象論とはかけ離れた世界、ということになるでしょう。
端的に言えば、高度に法技術化された、事実認定と難民定義の法解釈をめぐる闘いが、各国で繰り広げられているのです。
難民キャンプで過ごす難民も現実なら、先進国で難民認定を求めて訴訟にまでもつれ込む難民もまた現実ということになります。
日本においては国内での難民保護ということになれば、この法技術化された世界が 100% です。
過去にはインドシナ難民がボートピープルとして日本に避難してきたことがありましたが、日本は四方を海に囲まれているため、法的な地位が定まらないまま大量に滞留する状況は、そもそも生まれにくいのです。
 日本は、難民条約上の義務を履行するための制度を、「出入国管理および難民認定法」(入管法または入管難民法などと略される)によって整備し実施しています。
そのうち、難民保護にかかる部分についての重要な改正が 2005 年に行われています。
この改正法の実際の運用から得た経験や各種の専門的知見を踏まえた見直しが、難民行政を所管する法務大臣の私的懇談会「出入国管理政策懇談会」のなかに「難民認定制度に関する専門部会」を設置する形で、昨年 11 月に始まっています。(次回へ続く)


 
伊藤塾塾便り222号/HUMAN SECURITYニュース(第24号 2014年2月発行)より掲載
 

第19号 難民と気候変動

有馬 みき(東京大学 難民移民ドキュメンテーションセンター 特任研究員)

この夏、日本列島は記録的な暑さや豪雨に見舞われました。日本の気候が熱帯化していくのを感じ、改めて地球温暖化を意識した方もいることでしょう。実は難民研究の分野においても、地球温暖化等の気候変動の影響が議論されています。
 難民条約第1条A(2)によると、難民とは「人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者」です。
したがって、干ばつや洪水、津波等、自然災害により故郷を逃れざるを得なくなった人は、たとえ国外に逃れたとしても難民条約上の難民の定義には該当しません
 しかし、実際に自然災害が原因で移動を強いられる人は後を絶たず、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が発行する「世界難民白書」(2012年度版)によると、2050年までにこのような人々の数は2500万人から10億人に達するだろうと推計されています。
そうであれば、難民の数をはるかに凌ぐことになるでしょう。

 たとえば、太平洋の島国であるツバルは、地球温暖化の影響で、海面上昇による水没が懸念される国です。
もし本当に水没の危機が迫れば、このような国では全国民が国外への移動を強いられることになります。
現在日本では、東日本大震災の影響により多くの人々がいまだに故郷に帰れない状況が続いていますが、内閣府によると、東海地震が発生した場合には、建物全 壊約26万棟、死者数約9200人等の被害想定がされており、多くの人々が自分の家を離れて避難せざるを得なくなると思われます。
 安全に生きるために仕方なく故郷を離れざるを得ないという意味では、迫害を逃れるために移動せざるをえない難民も、自然災害等により移動を強いられる環境避難民も、その境遇は同じです。
自然災害や気候変動を理由に移動を強いられる人々について、難民の定義に該当しないからといって国際社会は何もしなくてよいのか、そのような人々の権利を守るための法的な枠組みが必要ではないか、といったことが議論されています。

 既存の基準としては、国内避難民に関して、1998年に国連事務総長代理らによって策定された「国内避難民に関する指導原則」があります。
この原則では国内避難民を「武力紛争、一般化した暴力の状況、人権侵害もしくは自然もしくは人為的災害の影響の結果として、またはこれらの影響を避けるた め、自らの住居もしくは常居所地から逃れもしくは離れることを強いられまたは余儀なくされた者またはこれらの者の集団であって、国際的に承認された国境を 越えていないもの」と定義しており、自然災害の結果として発生する避難民も明らかに対象としています。
この原則は、あくまでも「原則」であり法的拘束力がないことや、国境を越えたものには適用されない点で限界がありますが、徐々にその重要性が認められてきています。
 また、地域条約としては、1969年にアフリカ統一機構(OAU)が採択した「OAU難民条約」が、難民の定義を拡大しています。
OAU難民条約は、難民条約に規定されている前述の難民の定義に加えて「難民とはまた、外部からの侵略、占領、外国の支配、出身ないしは国籍国の一部ない しは全体において公的秩序を大きく乱す出来事のために出身ないしは国籍国の外に避難所を求めるために常居所地を去ることを余儀なくされた者」としていま す。
「公的秩序を大きく乱す出来事」に自然災害が含まれると解釈すれば、環境避難民も対象となる可能性があります。

 環境避難民とその保護の必要性に関する認識は高まってきています。
環境避難民を直接対象とする国際的な法的保護の枠組みがいずれ確立されていくかもしれません。
一見何の関連性もないようにみえる難民と気候変動も、実は意外に近い関係にあるのです。


 
伊藤塾塾便り217号/HUMAN SECURITYニュース(第19号 2013年9月発行)より掲載
 

第20号 PNG ソリューションに揺れるオーストラリア:人間の安全保障のジレンマとパラドックス



佐藤 安信 東京大学教授

7月中旬、キャンベラに到着して間もなく、テレビ画面のラッド首相に目が留まった。
今後ボートによってオーストラリアに不法入国をしようとする庇護申請者はすべて、パプア・ニューギニア(以下、PNG と略称で表記する)のマナス島という小島に送還される、と高らかに宣言をしていた。
ほぼ同時に、テレビ画面は、太平洋の孤島ナウルの庇護申請者の収容施設で大規模な反乱が起こり、施設が放火されて多くの申請者が焼けだされ、オーストラリアの入管職員も含めてけが人が多数出ている事態をセンセーショナルに伝えていた。
新聞のトップニュースはこの2つを軸に展開されていた。
その後、ラッド首相が総選挙を 9 月 7 日に実施すると発表して以来、難民政策は選挙の争点の目玉の1つとして、話題に出ない日はない。
 ラッド首相は、2007 年に労働党を率いる首相となった際に、それまでの保守系ハワード政権がとってきた、PNG に庇護申請者を収容して審査するという政策を廃止した。
それ以後、イランやアフガニスタンなどからインドネシア経由で小さなボートでオーストラリアに不法入国をする者が増えたという。
 今年は既に1万 3,000 人を超えており、また、たびたびボートが転覆して多くの溺死者が出るという人道的な問題にもなっていた。
ギラード首相は、不法入国者をマレーシアに送還しようとしたものの、裁判所により違法と判断されて断念せざるを得なかった。
 そこで今年首相に返り咲いたラッド氏は、以前の政策を 180 度転換して「マレーシアは難民条約に批准していないからだめなので、難民条約を一部批准している PNG に送るならいいだろう」と、PNG ソリューション * を掲げ、そのための支援に多額の予算を使うと公言した。
しかし、難民条約に加盟しているとはいえ、PNG の人権状況は世界的にも極めて悪く、日本の外務省からは特に女性は単独行動を避けるよう注意喚起がなされている状態である。
いくら密入国業者をつぶすため、あるいは人々をこれ以上溺死させないためとはいえ、ラッド氏のこの政策は人権条約にも抵触するとして国内外から激しい批判にさらされている。
とはいえ、オーストラリアへの同情も禁じ得ない。
2007 年以来、ボートで入国した者は5万人以上で、その数は増えるばかり。そのうち3万人以上が難民認定申請中という。
長期にわたってナウルの収容施設で待たされる申請者が、その状況に耐えきれなくなるのも無理はない。
人道的な観点からこのような人々を助ければ助けるほど、密入国業者を喜ばせることになり、ねずみ算式にこのようなボートによる庇護申請者の密入国に拍車がかかるというわけだ。
 次期首相をねらう保守系のアボット氏は、これを国家安全の危機として煽り、労働党の失策を生温いと批判して、海軍を出動させて追い散らせとすら言っている。
ナウルの収容施設を拡充して、そこからもオーストラリアには入国させないと、ますますハードな政策を打ち出す姿勢を見せている。
 
 先日ブラックマウンテンという山に登って久しぶりにキャンベラを一望した。
首都というのに、街らしいものは人工湖の脇にけしつぶほど存在するばかりで、後は地平線まで雲海ならぬ、森海、青木ヶ原の比ではない。つい、まだまだ土地はいくらでもあるのになあ、とつぶやく。
 聞けば日本でも、参院選で大勝した安倍首相が、日本の原発は世界一安全と、外遊のたびに売り歩いているとか。
一方、アメリカ ABC ニュースでは、福島第一原発で汚染水が太平洋に垂れ流しだと大きく報道された。
はてさて、人間の安全保障はどこへいったのやら。日豪でアジアにおける人間の安全保障のために協力してはどうか、と提案したかったのだが、この状況では望むべくもない。
 さて 9 月 7 日の総選挙では予想通り労働党は大敗し、アボット氏率いる保守系の政権となった。
労働党のやり方は手ぬるいと、今後はボートがオーストラリアに到着した事実すら公表しないそうだ。
不都合な事実は隠すというのだろうか。
アラブの春からエジプト、シリアでの紛争によって、難民はますます増えるばかり。
これまで難民受け入れの先頭に立っていたオーストラリアは、国内政治の鬱憤を難民に向けて、国内外で反動的な政策が取られることで、弱い立場の人々はますますその安全を脅かされるのだろう。
願わくはアジアソリューションとして、「人間の安全保障」を推進する日本こそが、難民あるいは避難民の保護と能力強化、また難民問題の根本的な原因である 貧困や格差を含む広範な人権侵害を緩和するための、アジアにおける枠組みを作るためにリーダーシップを発揮してほしいと思う。そのための調査、研究協力が 一層重要となっている。

(編者注)
*PNGソリューション:”The Regional Resettlement Arrangement between Australia and Papua New Guinea”の通称。ボート等によって不法入国を試みる庇護申請者をオーストラリアに入国させず、パプア・ニューギニアのマナス島にある収容施設に送還 する、という政策のこと。  


 
伊藤塾塾便り218号/HUMAN SECURITYニュース(第20号 2013年10月発行)より掲載
 

第21号 「人間の安全保障」と「難民」 Human Security and Refugees

三浦純子 (東京大学 難民移民ドキュメンテーションセンター〈CDR学術支援職員〉)

今日の社会ではグローバル化が進むにしたがって、ヒト、モノ、サービスの国家間移動はますます盛んになり、政治・経済・文化・社会において国境の意味が相対的に低下しています。
なかでも人の移動については観光、出稼ぎ労働、移民、難民、国内避難民など、その形態によって様々な表現がされることがありますが、なかには難民であるか移民であるかを明確に区別することが難しい場合があります。
こうした状況をもって Mixed Migration(混合移民)と呼ばれることがあります。
 人の移動は複雑化しており、人間の安全保障委員会によれば「多くの人にとって、移動することはその過程で自らの『人間の安全保障』を損なう危険がある一方で、これを守り獲得するための死活的な手段」であるとされています。
つまり、人は人間の安全保障を守るために移動しますが、また移動の過程においてもそれが脅かされる可能性があるというのです。
 
 20 世紀後半に民族紛争や戦争が多発するなかで、ベトナム、クルド、ルワンダ、コソボ、アフガニスタンなど多くの地域から難民が流出しました。
2013 年の UNHCR 統計報告書(グローバル・トレンド)によると、現在においても、世界にはおよそ 1500 万人の難民がいるとされています。
最近では、シリア難民の状況が深刻化しており、隣国だけでは受け入れきれずに第三国への再定住枠の必要性が訴えられています。
また、イタリア南部ランペドゥーサ島沖においてアフリカ諸国からの難民を乗せた船の転覆事故が相次いでいること、オーストラリアへの密航を企てる難民船の問題が続いていること等、多くの人が命がけで移動している事実を見ることができます。
 
 人間の安全保障の提唱者の一人である緒方貞子氏は、1991 年から 10 年間、国連難民高等弁務官として従事した難民支援の現場から、この概念の必要性を訴えてきました。
難民を切り口に、人間の安全保障を考察することは有効であるといえるでしょう。
人間の安全保障の視座を取り入れることで、人の移動の管理を国家間の制限を超えて考えることができます。
人間の安全保障委員会では、人の移動に関して責任の分担や条約の実施、人権侵害からの人々の保護など、国際的な枠組みをつくることを提案しています。
さらに、難民のための方策については、難民保護を国家と UNHCR だけの責任にせず、難民自身や市民社会組織の責任でもあると指摘しています。
市民社会は、難民の教育と訓練の改善や雇用、保険医療の提供など難民の定住へ向けた支援を施すことが可能となります。
また、定住の時期には難民自身は自分たちのニーズを明確にすること、そして人材や資金を運営管理する責任があるとされています。
 「能力強化」と日本語訳されることが多い “ エンパワーメント ” は、人間の安全保障を考える上での重要なキーワードです。
基礎教育によって能力強化をすることで、支援者から一方的に“ 与えられる ” だけではなく、難民自身が物事を判断していく力をつけることができます。
難民はその脆弱性のゆえに、保護されるべき存在ではありますが、難民自身の生産能力を重視する事も必要であって、それでこそ難民が生活と尊厳を回復できるのではないでしょうか。
 
 さて、国際的な制度のもとで明確な権利と原則の恩恵を受けている難民に対して、国内避難民(IDPs:Internal Displaced Persons) に は それらが与えられていません。
彼らは国境を超えた移動を伴わないという点をもって、難民とは違って保護を受けることができないのです。
そこで 1996 年に国内避難民に関するガイドラインが策定され、避難民となった人々の保護、支援へのアクセス、帰還・再定住・再統合などの内容が定められました。
難民問題など人の移動だけではなく、従来の国家中心の見方を離れて人間の安全保障に注目することで、見えなかったものが見えてくる可能性もあるのではないでしょうか。


 
伊藤塾塾便り219号/HUMAN SECURITYニュース(第21号 2013年11月発行)より掲載
 

第14号 イタリアにおけるフィリピン移民:経済的な要因 Filipino Migrant Workers in Italy: Economic Factor

三浦 純子(東京大学 難民移民ドキュメンテーションセンター学術支援員)

イタリアは、フィリピン人の海外出稼ぎ労働者(Overseas Filipino Workers, OFWs)にとって、欧州の中で一番人気がある移住先です。
彼らの多くは、イタリア人家庭等でメイド、いわゆる家庭内労働者(DomesticWorkers)として働いています。
フィリピン人がイタリアを移住先に選択する動機としては、フィリピンの貧困状況とイタリア社会の労働力の需要といった経済的要因と同時に、文化的な要因を あげることができるでしょう。米国の移民研究者であるパレーニャス(Parre?as)は、フィリピン移民が経済的な要因で米国に渡り、文化的な要因でイ タリアを移住先として選択していることを指摘しています。

 筆者がインタビュー調査した多くのフィリピン人は、低賃金のため生活は楽ではないが、イタリアには親しみをもっていることを語ってくれました。
中東やアジア地域で同じように家庭内労働に就く者は差別を受け、問題を抱えることが多いですが、イタリアの人々には好印象を抱いているようでした。
カトリックという共通の文化を持っていることから、互いに親しみを感じているようです。
中東地域では、雇い主の家で「住み込み」のメイドとして働くことが多く、賃金未払いや暴力等が問題となることがあります。
一方でイタリアの場合は、住居を別に構えて「通い」で働くことがほとんどです。
こうした労働環境の違いは大きいと考えられます。
人の移動に際して、家族や知人のネットワークを持っているか否かは、移住先の選択に大きく影響します。
親族間や知人との社会的ネットワークが存在するかどうかで行き先が変わることは十分にあり得ることです。
移民の社会学を専門とする米国研究者マッセイ(Massey)は、親族や知人を通じた人々のネットワークが、雇用等の経済的利益をもたらすとしています。
実際に、在イタリアのフィリピン人のほぼ全てが親族を頼りに移住しています。
一つの特徴として、彼らの主な仕事が家庭内労働であり、信頼関係が一番大切であることから、雇い主に、信頼できる人物として親族等を紹介していくということがあるようです。
実際、紹介以外で仕事を得ることは難しいそうです。
家族の絆の深さを活かして、出稼ぎのチャンスを作っているのです。

 しかし絆の深さが,同時に悩みの 1 つにもなることがあります。
彼らが移住する一番の目的は「家族への送金」です。
インタビュー調査に応じてくれたあるフィリピン人は「家族に送金しているが、姪や甥、他の親族たちも自分を頼りにして、送金してほしいと頼んでくる」と話していました。
親族からの依頼を断りきれずに、自分たちの生活も苦しい中、送金しているといいます。
ほかにも、休暇でやっと一時帰国できた際にも親戚や見知らぬ人からお土産を迫られるという話もありました。
親族との絆が彼らの移民生活を支えているのは事実ですが、その一方で、強い絆が彼らの負担になることもあるといえるでしょう。
イタリアでは、カトリック教会やカトリック系 NGO、その他のキリスト教組織等が移民に対する支援を行ってきた歴史があります。
まだ移民が少なかった 1960 年代頃、カトリック系のある財団は、家庭内労働者である移民たちの環境を整えることに大きく貢献しました。
カトリック教会は、こうした女性を中心とした移民の就職や住居、信仰を基盤とした精神的なサポートも行っています。
このような支援を通じて、家庭から失われた宗教的なモラルや価値観を取り戻すといった目的があります。
このように、親族のみならず、キリスト教を中心としたネットワーク等もイタリアで暮らすフィリピン移民を支えています。
母国からの期待を背負い、移住先で懸命に働くフィリピン移民。特別な技術を持っているにもかかわらずそれを活かせない人々が多いことや、母国に置き去りにせざるを得ない子どもの教育等、抱える課題は多くあります。
在イタリアのフィリピン人の神父さんが、こんな言葉で彼らを勇気付けていました。
「辞書でフィリピン人と引くと、そこには家庭内労働者と記されていることがあります。私たちは高い地位や富も得られないかもしれません。しかし、自分自身を価値のない人間として見てはいけません」。
そして、感謝の心を持つよう仲間に促していました。 
 
 このように、家庭内労働者としてイタリアで働くフィリピン人は、雇用確保やアイデンティティ形成のために親族・知人とのネットワークを駆使すること、ま たキリスト教文化を基盤とした文化的な要素が彼らの生活を支えていることが、移住の動機になっているといえるでしょう。
また、イタリアとフィリピンの人々は、人生を楽しむこと、もてなし好き、という同じ心を持って、苦難の生活の中にも、互いを認めて受け入れあっているようです。


 
伊藤塾塾便り212号/HUMAN SECURITYニュース(第14号 2013年4月発行)より掲載
 

第15号 日本に暮らすミャンマー難民

有馬 みき(東京大学 難民移民ドキュメンテーションセンター 特任研究員)

ミャンマーの民主化運動指導者、アウンサンスーチーさんが本年 4 月に来日しました。
髪に花を挿したその姿をニュースでご覧になった方も多いでしょう。
1989年から3回、計 15 年 2 か月もの間、旧軍事政権により自宅軟禁されていた彼女が、いま海外で自由に会談や講演を行う姿をみると、隔世の感があります。
2011 年に「民政移管」が宣言されて以来、スーチーさんの解放を含む様々な民主化の流れを受けて、国際社会はミャンマーに対する経済制裁を解除し、日本からも企業が続々と進出しています。
しかしその一方で、日本の中にも多くのミャンマー人が暮らしていることはあまり知られていないのではないでしょうか。
 
 在日ミャンマー人の多くは、旧軍事政権による厳しい弾圧を逃れて日本にたどりついた難民です。
2007 年、ミャンマー国軍の治安部隊が反政府デモ隊に発砲した際には、取材中の日本人ジャーナリストが犠牲になり、日本のメディアでも大きく取り上げられました。
これはほんの一例で、旧軍事政権下のミャンマーでは様々な形で人権が蹂躙され、多くの人々が海外に逃れました。
 
 法務省の統計によると、日本が難民認定制度の運用を始めてから 2012 年までの 31 年間で、計 616 人が難民として認定されています。
そのうち 322 人、つまり日本がこれまで認定してきた難民の過半数がミャンマー人なのです。
また、難民認定申請を検討した結果、難民として認定はできないけれども人道的配慮により在留を認めるという制度もあります。
この制度により在留を認められた人にもミャンマー人が圧倒的に多く、2011 年までの 30 年間で 1558 人、これは全体の 78%にあたります。このほか、2010 年に開始した第三国定住プログラムによって受け入れている難民はすべてミャンマーの人々です。
 
 このようなミャンマー難民の人生を追った映画として、土井敏邦監督による「異国に生きる」という作品をご紹介します。
14 年間にわたる取材に基づき、日本に暮らす難民の姿を丹念に描き出したドキュメンタリー映画です。
難民を知るというだけでなく、人としての生き方や日本社会のあり方についても深く考えさせられる内容になっています。
これから日本各地で上映される予定ですので、お近くの方はぜひご覧ください(編者注 右欄に詳細を記載。東京上映は終了)。
東京在住で残念ながら映画を見逃してしまったという方には、新宿区の高田馬場でミャンマーの空気に触れてみることをおすすめします。
駅周辺にはミャンマー料理店をはじめ、食材・雑貨店などミャンマー人の店が約 20 店あり、リトル・ヤンゴンと呼ばれるほどです。映画の主人公が営むレストラン「ルビー」もここにあります。
 
 ミャンマーの民主化が順調に進んでいけば、難民認定制度を通して在留を認められるミャンマー人は減っていくものと思われます
しかし、まだ安心できないという人は多く、難民認定申請の結果を待っている人たちも大勢います。
いまの情勢をふまえると、認定されることは難しいかもしれません。ですが、彼らを制度の濫用者のように扱うべきではありません。
民主化が進んだから一刻も早く帰りたいと考える人もいれば、まだ不安だから日本に滞在しながらもう少し様子を見たいと思う人もいます。
過渡期にある今の状況では当然のことではないでしょうか。
 
 また、民主化歓迎ムードの陰で、まだ様々な問題が残っていることを忘れてはなりません。
現行の憲法は上下両院の議席の 25%をあらかじめ軍人に割り当てており、国家のあらゆる機能に軍の影響力を関与させる根拠となっています。
カチン族、カレン族など少数民族との問題もあります。
特に国籍を認められず、少数民族としてさえも正式に認められないロヒンギャ民族の状況は、国際問題化しています。
本年 3 月にメティラ地区で起きた暴動が示すように、宗教間の対立にも注意が必要です。
難民認定や人道配慮の判断は、引き続き慎重に行っていく必要があるでしょう。
 
 スーチーさんは、東京大学で行った講演(2013 年 4 月 17 日)で、真の民主化支援は人々のための支援でなければならない、と述べていました。
政府のための支援ではなく人々のための支援。なぜなら真の民主主義社会においては、政府は交代するものだから、と。
選挙で圧勝しながら旧軍事政権にその結果を無視された経験をもつ彼女の言葉は、ずっしりと重いものでした。
スーチーさん率いる民主化勢力が 2015 年の総選挙でどこまで躍進できるか、在日ミャンマー難民を含め、世界中が注目しています。


 
伊藤塾塾便り213号/HUMAN SECURITYニュース(第15号 2013年5月発行)より掲載
 

第16号 「世界難民の日」とアフリカ

有馬 みき(東京大学 難民移民ドキュメンテーションセンター 特任研究員)

6 月 20 日 は「 世 界 難 民 の 日 」(WorldRefugee Day)です。この日は世界中で、難民に関する多彩なイベントが行われます。
難民キャンプで、難民自身の手によるものから先進国で、難民について知ってもらい支援を募るためのものまで、開催地や主催者も様々です。
過去、日本で開催されたイベントを挙げてみると、たとえば 2011 年には、この日に合わせて東京タワーが国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)を含む国連のカラーである青色にライトアップされました。
2012 年には、学生だからこそできる難民支援を目指す J-FUN ユースにより難民ファッションショーが行われました。
ほかにも、例年講演会や勉強会などが各地で行われています。

 世界難民の日は、2000 年 12 月 4 日、国連総会決議により制定されました。
その目的は、難民の保護と援助に対する世界的な関心を高め、UNHCR をはじめとする国連機関やNGO(非政府組織)による活動に理解と支援を深める日にすることです。
では、なぜ 6月 20 日なのでしょうか。それは、もともとこの日が OAU(アフリカ統一機構)難民条約の発効を記念する「アフリカ難民の日」だったからです。そこで、今回はアフリカについて考えてみましょう。

 実は本年 6 月は、まさにアフリカについて学ぶチャンスなのです。
なぜなら、アフリカの開発をテーマとした国際会議である「アフリカ開発会議」(TICAD)が、横浜市で開催されるからです。
(6 月 1 日から 3 日までこの国際会議は日本政府の主導によるもので、首脳級会合は5年に1度、日本で開催されています。
「平和の定着」、「人間中心の開発」、「経済成長を通じた貧困の削減」を3本の柱に、また、アフリカの「オーナーシップ自助努力)」と国際社会の「パートナーシップ(協調)」を2つの基本原則として、アフリカの開発を推進する重要な取り組みです。
今回は第5回目の開催(TICAD V と称されます)で、アフリカ 54 カ国のうち約 40 カ国の大統領や首相が来日する予定であり、アフリカ開発に関する世界最大級の国際フォーラムとなっています。
各国の首脳が出席する本会議に加え、一般の方も参加可能なイベントが 50 以上も開催される予定です(詳細は/外務省ウェブページ http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/ticad/tc5/ でご確認ください)。
アフリカ開発のためにできることは、政府間の資金援助だけではありません。
アフリカにおける青年海外協力隊の第一号となる隊員が日本からケニアに派遣されたのは 1966年のことです。それから約半世紀の間にアフリカ全土で活動してきた日本の青年海外協力隊及びシニアボランティアの数は、既に 1万 4 千人を超えるそうです。
みなさんが勉強している法律分野においても、紛争影響国における国づくりを支援する活動の一環としての法整備支援へのニーズが高まっており、専門知識を活かして国際協力ができる。人材が求められています

 レアメタルなどの豊富な天然資源を有していることでダイナミックに急成長しているアフリカですが、その一方で、紛争や内戦によっておびただしい数の難民が依然として厳しい生活を余儀なくされているのも事実です。
UNHCR によると、2011 年末時点でアフリカには 260 万人以上の難民がいます。
これは、アジア太平洋地域についで 2番目に多い数です。
この全体数に比べればほんの一握りではありますが、日本にもアフリカから難民が来ています。
法務省により発表された過去 3 年間の難民認定申請者の国籍、別内訳(平成 24 年)をみると、ナイジェリア、ガーナ、カメルーン、ウガンダ、エチオピアコンゴといった国が挙げられており、数は少ないもののアフリカ出身者も日本で難民として認定されています。
これまで少なかったアフリカ諸国からの難民申請者は急増しており、最低限の生活が保障されずに日本で。ホームレスになってしまう人もいます。
『(愛(Love)の反対は無関心(Indifference』」というマザー・テレサの言葉があります。
「日本にいればアフリカの難民問題は遠いかもしれない。でも、関心を持ってください今この地球の上で起きていることについて知ることが、未来の地球のあるべき姿を想像する第一歩になると思うのです。」これはUNHCR ナイロビ事務所の中柴春乃さんの言葉です
今年の 6 月 20 日、みなさんはどのように過ごされるのでしょうか。勉強で疲れたときのちょっとした時間でも構いません。ぜひ今この地球の上で起きていること」について思いを巡らせてみてください。


 
伊藤塾塾便り214号/HUMAN SECURITYニュース(第16号 2013年6月発行)より掲載
 

第17号 難民の数から考えること

有馬 みき(東京大学 難民移民ドキュメンテーションセンター 特任研究員)

6 月 20 日は「世界難民の日」でしたが、この日に合わせて国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が 2012 年の統計を発表しました。それによると昨年(2012 年)1 年間で、新たに 110 万人が難民となりました。
平均すると毎日約3千人の人々が難民となった計算になります。
シリア、コンゴ、マリ、スーダン等における紛争が難民の大量流出の主な原因です。
これに加えて、世界で 90 万件近くの個別の難民認定申請が行われました。
日本の場合はどうでしょうか。2012 年に日本で難民認定申請を行った人は 2545 人、そのうち難民だと認定された人は 18 人(うち異議申立手続における認定者 13 人)、また第三国定住により受け入れられた難民はゼロでした。
申請数は日本にとっては過去最高で、このような申請数の増加に対して危機感を抱く人もいます。
しかし、前述の世界の数字に照らすと、日本における難民認定申請者や日本にいる難民の数が、いかに少ないかがお分かりいただけると思います。

 裁判に関しても同様です。個別の難民申請を多く受理している先進諸国では難民認定に関する訴訟も多いため、難民法を専門にする弁護士や裁判官が大勢います。
世界各国の裁判官や難民認定担当者から構成される国際難民法裁判官会議(IARLJ) というネットワークがありますが、そこに参加している日本の裁判官は一人もいません。
日本にも難民不認定処分を争う行政訴訟はあるものの、難民法を専門にする裁判官がいないのです。
とはいえ、行政訴訟のうち約3割は出入国管理及び難民認定法に関する事件です。
数は少なくても、難民一人ひとりが抱える悩みは決して小さなものではありません。
日本に逃れて来て、言葉もよく分からないなか、難民認定申請を行わなければならない人たちにとって、自分の主張を代弁してくれる弁護士の存在はとても大きなものです。
今後、このコラムを読んで下さっているみなさんの中からも、この分野を専門とする法律家が増えていくことを期待しています。

 アメリカでは、昨年1年間だけで7万件以上の難民認定申請を受理し、66,300 人の難民を第三国定住制度により受け入れました。
日本に比べると、もともと移民国家であるという素地の違いはありますが、これだけの数を受け入れていれば、普通にアメリカに暮らしている人が難民と接する機会もおのずから増えるものです。
身近なところに難民や難民認定申請中の人がいれば自然と関心を抱き、理解が深まります。
友人、隣人、あるいは同僚に難民がいれば、難民を単なる社会の重荷だと考えることはないでしょう。
一方、日本の場合は、そもそも難民に出会う機会が少ないために、難民問題への理解を深めるきっかけが少ないともいえます。
もっとも、難民の数が多くなると国民の一部の反感を招くこともあり、国によっては対応の是非が政治を左右することさえあります。

 日本国内で難民問題が議論されることは決して多いとはいえませんが、私が UNHCR駐日事務所で働きはじめた 15 年ほど前に比べれば、確実に裾野が広がっていると感じています。
まず、メディアで難民に関する報道を目にすることが増えました。
最近では日本国内の難民について、分かりやすく紹介する書籍が何冊か出版されています。
たとえば、『日本と出会った難民たち』(根本かおる著、英治出版、2013 年)や『海を渡った故郷の味』(認定 NPO 法人難民支援協会、ジュリアン、2013 年)などです。
これらの中でも紹介されているように、難民と出会う日本人は増えてきているのです。

 また学問の分野においても、これまでは難民研究というと法律や国際政治の分野に偏りがちでしたが、今日ではソーシャルワークや精神医学等、幅広い分野で 研究が行われるようになり、「難民研究ジャーナル」(難民研究フォーラム編集)や「CDR Quarterly」(東京大学 CDR 編集)といった、日本生まれの難民研究誌も誕生しました。
このような状況のなか、日本国内の難民支援 NGO のネットワーク組織である「なんみんフォーラム」は、難民保護法の制定に向けた提言を発表しました。
次回からは、この提言内容についても紹介しながら、日本の難民をめぐる課題について考えていきたいと思います。


 
伊藤塾塾便り215号/HUMAN SECURITYニュース(第17号 2013年7月発行)より掲載
 

第18号 難民保護法

有馬 みき(東京大学 難民移民ドキュメンテーションセンター 特任研究員)

先日 7 月 21 日に参議院選挙がありましたが、日本の国会が難民分野で国際的に高く評価されたことのひとつとして、2011 年 11月に採択された難民保護に関する決議を挙げることができます。
 この決議では「難民保護の国際法及び国際的基本理念を尊重し、日本は国際的組織や難民を支援する市民団体との連携を強化しつつ、国内における包括的な庇護制度の確立、第三国定住プログラムの更なる充実に向けて邁進する」ことが宣言されています。
また「対外的にも従来どおり我が国の外交政策方針にのっとった難民・避難民への支援を継続して行うことで、世界の難民問題の恒久的な解決と難民の保護の質的向上に向けて、アジアそして世界で主導的な役割を担うべく、右決議する」と述べられています。
この決議は難民条約発効 60 周年を記念して、衆参両院において全会一致で採択されたものです。
 このような国会決議は世界でも初めてのもので、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)や認定 NPO 法人難民支援協会は当時、決議採択を受けて次々と歓迎のステートメントを発表しました。
確かに決議の内容は素晴らしいものですが、残念ながらこの決議自体には法的拘束力はありません。
この決議で謳われているような「国内における包括的な庇護制度の確立」を真に実現するためには、法を整備する必要があるでしょう。

 現在の日本においては、難民に関する事項は主に「出入国管理及び難民認定法」に規定されており、難民認定も法務省入国管理局が所管しています。
難民の受け入れは外国人の入国滞在に関わることなので、出入国管理行政の一部として扱うのが合理的である、との考えにも一理あります。
他方、難民に関しては、通常の出入国管理とは異なる「保護」の視点が必要とされるため、出入国管理法から独立した「難民保護法」の制定を求める動きがあります。
 「難民保護法」の制定など非現実的だと思われるかもしれません。
確かに日本の現状では難民問題は票に結びつきにくく、前の選挙でも難民保護はまったく話題になりませんでした。
しかしながら世界に目を向ければ、先例はたくさんあります。
たとえばアメリカの「難民法」、オーストリア、ルーマニア、ハンガリーの「庇護法」、フランスの「庇護権に関する法律」、スロベニアの「国際保護法」など、名称は様々ですが、いずれも出入国管理に関する法律とは別の法律として難民保護に関して定められたものです。
あるいはドイツのように、憲法にあたる「基本法」において政治的庇護権を規定する国もあります。
韓国は最近まで日本とよく似た状況にありましたが、新たに「難民法」を制定し、同法は本年(2013 年)7月に施行されました。
国連の「難民の地位に関する条約」に加盟するアジア諸国の中では、難民の認定と処遇に特化した法律を設けて施行するのは韓国が初めてになります。
韓国の動向は日本の難民に関する法制度のあり方に少なからず影響を与える可能性があります。

 いうまでもなく、大切なのは法律の名前よりも中身です。
とはいうものの、現行の「出入国管理及び難民認定法」の改正を重ねるだけでは修正しうる範囲に限界があるのも事実です。
たとえば日弁連やなんみんフォーラムといった団体は、難民認定制度を実効性あるものにするため、入国管理や外交政策を所管する省庁から独立した、異議申立機関の設置を求めています。
しかしこのような抜本的な制度改革を実現するためには、おそらく新たな法律が必要になると思われます。
もっとも難民保護に関する国会決議が全会一致で採択されたことをふまえれば、近い将来、日本でも「難民保護法」が実現する可能性は否定できません。
いずれにせよ国会決議でのべられたような難民保護への取り組みをいかに具体化していくか、真剣に検討する必要があると思います。


 
伊藤塾塾便り216号/HUMAN SECURITYニュース(第18号 2013年8月発行)より掲載
 

第10号 再定住難民:日本が不人気な理由 Resettled Refugees in Japan

三浦 純子(東京大学 難民移民ドキュメンテーションセンター学術支援員)

日本で試験的に再定住プログラムを開始してから、今年で 3 年目を迎えます。
当初は、パイロットプログラムの最終年ということで、これから本格的に事業を導入して再定住難民を受け入れるのか否かが決定される予定でした。
しかし、日本政府はまだ検討の必要性があるとして試験期間を 5 年間に延長しました。
年間 30 名ずつ、3 年間で合計 90名を受け入れる枠が用意されていましたが、枠が埋まることはなく 1 年目は 27 名、2 年目は 18 名のミャンマー難民(カレン族)が再定住プログラムを通して来日しています。
3 年目である本年も、難民キャンプがある地域、タイのメーソットで来日予定だった 3 家族が研修を受けていました。
しかし、研修修了直前に突然来日をキャンセルしました。
ミャンマーとタイの国境地域に暮らす難民たちにとって、再定住以外に「解決」の途は帰還もしくは庇護国での定住しか残されていません。
難民を認めていないタイで合法に定住できる可能性はほぼないといえます。
よって現実的に考えられる解決策は庇護国での定住という選択肢です。
タイの難民キャンプから再定住難民を受け入れるのは、アジアでは日本が初めてといわれます。
欧米諸国よりも、日本の文化や慣習の方が彼らが持つ背景と近いものがあることは想像できるでしょう。
しかし、再定住の定員枠が埋まらない、つまり難民キャンプの人々にとって日本が再定住先として不人気なのはなぜでしょうか。

 日本が再定住先に選ばれない理由として、1つには再定住候補者の「人選」の問題、2つ目には制度設計が日本政府だけで行われたことが挙げられます。
まず、候補者の「人選」についてですが、日本は再定住を行っているどこの国よりも厳しい条件を掲げているようです。
米国などは、ほとんど条件がなく、HIV 患者も受け入れ、申請の機会も多々あり、大きな枠で再定住難民を迎えています。
米国のこの方法は、政治的な意図があるともいわれます。
他方、スウェーデンなど北欧の国々では、人道的な目的で障害者等を積極的に受け入れています。
日本の条件で特徴的なことは、「家族単位」での受け入れと「日本での適応能力」が挙げられるでしょう。
難民キャンプでは日本に興味を持ち、積極的に日本語を独学で勉強をしている若者もいるようです。
しかし、「家族単位」での受け入れという条件が原因で、単身者等は申請できなくなっています。
「家族単位」を条件とすることで、犯罪防止や再定住難民が子どもを通じて地域社会に溶け込みやすいことが期待されたようです。
しかし、就労が禁止される難民キャンプにおいて長い間援助を受けて暮らしてきた難民にとって、4~5人の子どもを抱えて日本で自立することには非常な困難が伴います。
移民として海外に出ていくときには、たいていは男性もしくは女性が単身で新天地へ渡り、生活の基礎を築いてから家族を呼び寄せるケースが一般的です。
インフォーマルなネットワークの力が移民や難民の大きな支えになっているといえるでしょう。
難民キャンプから多くの人々が米国やオーストラリアを再定住先として希望するのは、既に「家族がいるから」、「友人がいるから」といった事情があるようです。

 日本が再定住先として人気がないもう 1つの要因は、失敗を恐れるが故に日本政府の力だけで、制度設計も援助も行おうとしたことが挙げられます。
このため再定住した難民は気軽に手助けが得られず「孤立」した状況に陥ってしまいます。
難民キャンプではそうした日本でのマイナスイメージが「うわさ」として流れていると思われます。
元国連難民高等弁務官事務所駐日代表であり、第三国定住プログラム開始のための働きかけを行った滝澤三郎氏(現東京大学 CDR 特任教授)は、当事業の制度について日本政府が難民の「囲い込み」と「放り投げ」をしていると指摘しました。
再定住難民は来日後 180 日間の研修を受け、手厚く面倒を見てもらえます。
しかし研修終了後は、都内の研修所から定住先の地方でそれぞれ職業訓練を開始し、自立を求められます。
しかも、再定住難民は自立のために支援を行う外部団体との接触を許されませんでした。
同胞である難民も接触ができなかったといわれます。
さらに当初は制度についても政府の中だけで話し合いが行われたため、情報開示がないと批判されました。
これを受け、有識者会議として大学、NGO 関係者らも関与して、事業改善の話し合いがされるようになりました。
日本行きの「不人気」の背景としては、応募したいのにできない人が多数いることが窺えます。
何万人もいる難民キャンプから30 名の枠も埋まらないという現状では、一定の条件緩和あるいは変更等によって,もっと積極的に再定住の可能性がある中から「人選」していく必要があるのではないでしょうか。


 
伊藤塾塾便り208号/HUMAN SECURITYニュース(第10号 2012年12月発行)より掲載