第11号 難民の再定住プログラム:有識者会議 Resettlement Programme: Expert Group Meeting

三浦 純子(東京大学 難民移民ドキュメンテーションセンター学術支援員)

前回、前々回のコラムにて、タイの難民キャンプからミャンマー難民を受け入れるという日本の再定住プログラムについて、いくつかの課題点を見てきました。
このプログラムはまだ試験期間中ですが、政府のみで制度設計が行われ、また情報開示も十分になされていないという点が指摘されていることを紹介しました。
こうした指摘を受け、政府も改善策を打ち出しています。
当プログラムに関連をもつすべての省庁と、難民を専門にしている実務家や研究者等から意見を聞く「意見交換会」が数回、開催されました。
その後、再定住プログラムの 3 年目を迎えた 2012 年4 月から、難民対策連絡調整会議(内閣に設置)の下に「第三国定住に関する有識者会議」を開催することが発表されました。
政府は有識者会議開催の趣旨として「受け入れ体制の今後の方針を策定するためには、官民が連携して、幅広く総合的な視点から検討を行うことが必要である」としています。
この有識者会議は非公開ですが、議事要旨が内閣官房ホームページ上に公表されています(http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/nanmin/index.html)。
構成員を見ると、大学で法律や人類学を専門とする研究者、NGO 職員等の実務家、またジャーナリストや自治体職員などが委員となっています。
これに加え、オブザーバーとして国際移住機関(IOM)、外務省の外郭団体であり難民の研修等を行っているアジア福祉教育財団難民事業本部(RHQ)、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)等の職員が毎回の会議に参加します。

 有識者会議はほぼ毎月行われており、会議では政府関係者からプログラムに関して報告がなされます。
年間スケジュールには、再定住プログラムの制度設計にかかる情報共有のほか、再定住難民の定住先視察や自治体、職場、教育機関との意見交換を行うことが計画されています。
それでは「有識者」の会議では一体どのようなことが話し合われているのでしょうか。
具体的な会議の内容として、ここでは受け入れ難民の選考手順と広報活動について取り上げてみます(第2回第三国定住に関する有識者会議)。

 前回のコラムでご紹介したとおり、受け入れの定員枠は年間 30 名であるにもかかわらず、定員が埋まったことはありません。
この原因の1つと考えられる現地での難民に対する広報活動について、タイの難民キャンプを視察した人類学者は「キャンプにおいては日本の生活に関する情報が全くないため、日本での生活がイメージできるようにする必要がある」と指摘しています。
実際、筆者が2011年に調査のため難民キャンプを訪れた際、アメリカと日本の広報活動に、はっきりとした違いが見られました。
アメリカの広報の掲示板には食べ物、スポーツ、学校、公園、街並みなどの大きな写真が並べられ、「アメリカでの生活」がイメージしやすく魅力的に感じられます。
一方、ほぼ同じ場所にあった日本の広報の掲示板にも同じように写真が貼られていましたが、研修や勉強の様子ばかりで固い印象を与えていました。
また、DVDなどの映像を使用した広報活動では、「良い情報」のみが伝えられることが問題となっています。
たしかに、来日した難民からは「聞いた話とちがう」という声が聞かれています。通常、定住先における実際の生活がどのようなものかという不安を感じるのは 当然でしょうから、この点につき有識者会議では、苦労の先に望みがあるといったバランスのとれた情報提供の必要性が指摘されています。

 再定住する候補者の選定方法についてはどうでしょうか。
候補者への面接を行っている、法務省の担当者からの説明によれば、面接では基本的な身分確認、日本社会への適応能力、自立可能性や経歴などを中心に質問するといいます。
これに加えて、面接においては四則演算や時計の読み方も尋ねるようです。
これらは、既に来日している難民の中には、教育を受けたことがないため生活予算の計算などができず、非常に困難な状況に陥っているケースもあるという教訓を踏まえた質問事項だと考えられます。

 日本政府は難民が社会に「適応」し、「自立」するという点を重要視しています。
しかし現実的には、「自立」を促すには難民キャンプの人々は、様々な面から見て非常に脆弱であると指摘されています。
こうした背景から、有識者会議では都市型難民(UrbanRefugee)の受け入れが提案されました。
例えば、マレーシアの都市部にいる「難民」は「不法就労者」とみなされています。彼らは国際的な保護を必要としているが、代替的な措置がありません。
ただ、働くことによって自立しているということはできます。
こうした都市型難民を試験的に受け入れてみるのもひとつの策かもしれません。

 難民キャンプには支援が継続されており、キャンプ外の人々にとっては「守られた」空間です。
国境地域で何十年もミャンマーからの難民や移民を対象に医療活動を続けているメータオクリニックのシンシア・マウン女医も「難民キャンプにも行けない人々がたくさんいる」と繰り返しています。
日本における現制度での選定基準は、「難民キャンプ内の難民、カレン族、家族単位」と非常に狭いものです。
根本的に問題を捉え直して、少し視野を広げて日本の「再定住プログラム」を再考してみるのも重要なことではないでしょうか。


 
伊藤塾塾便り209号/HUMAN SECURITYニュース(第11号 2013年1月発行)より掲載
 

第12号 難民キャンプでの人生 Life in Refugee CampProgramme: Expert Group Meeting

三浦 純子(東京大学 難民移民ドキュメンテーションセンター学術支援員)

難民キャンプと聞くと、どのような場所を思い浮かべるでしょうか。
砂漠のような広い場所にたくさんのビニールのテントが並ぶようなイメージかも知れません。
難民キャンプでは基本的な衣食住などが与えられますが、本来的には「一時的」な避難場所です。
いつになれば、難民キャンプという場での避難生活が終わるのでしょうか。
当コラムでは昨年秋から、日本が受け入れた再定住難民について考えてきました。
日本が第三国定住プログラムによって受け入れている難民は長い間、難民キャンプで生活をしてきた人々です。
それでは難民キャンプとは一体どのような場所なのでしょうか。
ここでは、現時点で日本が再定住事業の対象としているタイの難民キャンプを例に見ていきたいと思います。
2012 年 12 月現在、タイとミャンマーの国境沿いには難民キャンプと称される場所が9あり、およそ 13 万人が生活しています(出典は TBC; http://theborderconsortium.org/)。
また、ミャンマー国内には7つの国内避難民(IDPs; Internal Displaces Persons)のキャンプがあります。
ミャンマー国内の政府軍とカレン族など少数民族の間での衝突が原因で、1984 年以降に多くのミャンマー難民がタイに流入し始めました。
以来人数が増え続けて、現在の状況に至っています。
20 年以上キャンプで生活している人も少なくありません。
日本へ再定住した難民も 10 年以上キャンプで暮らしていた人々です。

 これらのキャンプはタイの内務省の管理下にあり、出入りの記録も厳重にチェックされます。
筆者が調査でキャンプに訪れた際には、NGO から「キャンプ・パス」を入手しました。
また、タイは難民条約に批准しておらず、難民を認めていないため、正式には難民キャンプ(Refugee Camp)という名称は使われません。
あくまでも一時的な避難場所として認識されているので、 TemporaryShelter といわれており、入口にもそのように表示されています。
何十年も続いているキャンプですが、あくまでも「一時的」な場所なので、キャンプ内の建築物は簡易の材料で建てられています。
コンクリートなどは一切使用できず、竹や葉などが使われます。
政府から要請があった時には、いつでも取り壊せるようにするためです。
これらのキャンプでは、食料配給や教育も行われています。NGOのコンソーシアムである TBC(The BorderConsortium)が食料配給やキャンプ人口について調査しています。
その数は UNHCRが発表するものとは異なり、完全に正式な数は把握されていません。
キャンプ内の学校教育の質は高いといわれており、なかにはミャンマー国内から子どもだけをキャンプに留学させる親もいるそうです。
 
 自国への帰還やタイ国内で生活する可能性が閉ざされている難民が正規にキャンプを脱出する方法はただ一つ、第三国への定住といえるでしょう。
現在までに 6 万人以上の難民が米国やオーストラリア、カナダ等へ移住していきました。
一般的に言えば、キャンプ人口の人数は減っていくはずです。
しかし、多少の増減はあるものの、その数にはほとんど変化がありません。
これについては、国内避難民としてミャンマー側にいる人々に「空き家」情報が伝わっており、それを聞いた難民がタイ側のキャンプに移動してくるからだと説明されることがあります。
最近のミャンマー情勢の変化に伴い、キャンプ内の難民が帰還できる可能性が高まっているのではないかといわれていますが、現実的にはまだまだ難しいようです。
 
 筆者がキャンプを訪れたときには、「難民キャンプ」というより「村」という印象を受けました。
商店街もあり、寺院や教会、学校もあります。
一見すると彼らの生活は成り立っているようです。
しかし、彼らには「移動の自由」がありません。
キャンプ内で生まれ育った子どもたちは学校を卒業したときに、自分の未来が閉ざされていることに気付くのです。
人は何のために生きるのでしょうか。
これらのキャンプでは、人間の安全保障に必要な個人の「尊厳」が脅かされているのです。
ある難民キャンプでは食料配給の方法を変えました。
従来、調理済みの食事が配給されていたところを食材を配給するようにして、受け取った人がそれぞれ調理する形にしたそうです。
ただ「与えられる」ことに人間は生きがいを見いだせないからでしょう。
難民が再定住するということは、キャンプでの「与えられる」生活を終わらせて、そこから勇気を出して飛び出していくということです。
そして、定住先で生きる意味を見いだすのだと思います。
日本が実施する再定住事業は受け入れ人数はまだ少ないものの、難民の新しい未来をつくることに貢献できるという点で非常に価値があることだと思います。
受け入れを決めたなら、日本を選んで来てくれた難民を歓迎し、「与え」すぎず、大切にしていくべきではないでしょうか。
パイロット事業で終わらせることなく、人間の「尊厳」を大事にする正規の制度になるようこの事業を支援していきたいと考えています。


 
伊藤塾塾便り210号/HUMAN SECURITYニュース(第12号 2013年2月発行)より掲載
 

第13号 イタリアにおけるフィリピン移民:経済的な要因 Filipino Migrant Workers in Italy: Economic Factor

三浦 純子(東京大学 難民移民ドキュメンテーションセンター学術支援員)

人々は、「人間の安全保障」を守るための手段として「移動」という選択をとることがあります。
貧困から逃れて新しい機会を得るために、また生活を向上させるために、たいていの場合は貧しい地域から豊かな場所へ移動します。
 
 貧困を理由に移動を選択した人々を見てみましょう。
イタリアには多くのフィリピン人が出稼ぎ労働者として暮らしています。
最近ではイタリアより英国に滞在するフィリピン人の数が上回っていますが、かつてはイタリアには欧州で一番多くのフィリピン人が生活していました。
移住先として、欧州内では依然としてイタリアが一番人気です。
なぜフィリピン人はイタリアを移住先として選択するのでしょうか。2つの背景が挙げられます。
1つは、祖国フィリピンでの貧困やイタリアでの社会状況など経済的な要因です。
もう1つは、文化的な要因が考えられます。米国でフィリピン移民等の研究に従事するパレーニャス(Parre?as)によれば、フィリピン人は経済的要因で米国に移住し、文化的な側面に魅力を感じてイタリアに移住するとしています。
フィリピンでは海外への出稼ぎに出る人々が多く、Overseas Filipino Workers(OFWs)と呼ばれています。
世界中にフィリピン人がいない国はないといわれるほどです。
ニュー・ヒーローと呼ばれる彼らの送金がフィリピン経済を支えているという現実があります。
彼らは「家事労働者(DomesticWorkers)」として働くことが多く、移住先はサウジアラビアやアラブ首長国連邦、カタールなど、圧倒的に中東地域が多くなっています。
続いて香港やシンガポール、台湾などの国々が挙がってきます。
そして唯一、移住先の上位 10 カ国の中に入っている欧州の国が、イタリアなのです。
 
 移民を受け入れることになったイタリアはどのような社会的背景を持っていたのでしょうか。
1970 年代まではイタリアは移民輸出国といわれ、欧州やアメリカ大陸などに労働力を供給していました。
そのため、イタリア政府は国内の移民よりも、海外にいる国民に関心を寄せていました。
しかし、英国、フランス、ドイツ等で移民規制が厳しくなると、行き場を失った多くの移民がイタリアへ流入してきました。
こうして、イタリア政府は 1980 年代になって初めて入国移民の法規制を始めたのです。
現在イタリアに留まるフィリピン人の多くは、他の欧州諸国に比べてサウジアラビアでお金を貯めてから来る人、規制が緩い時期に入国しており、初めは違法に、後に滞在許可を得るという形をとって居住しています。
イタリアを最終目的地として、まずハンガリーに入国してオーストリアへ渡り、国境の山脈を越えてイタリアに入国した人など、その背景は様々です。

 こうしたイタリアに暮らすフィリピン人出稼ぎ労働者は、海外へ移住したことについて祖国の「貧困」が原因だと説明しています。
しかし実際には、出稼ぎに出る人々は貧困層ではなく、中流階級が多いのです。
フィリピンは 90%以上という高い識字率を誇るうえ、米国の植民地支配の影響により、国民の多くは英語が堪能です。
数多くの医師や看護師たちはフィリピンを離れ、高収入を得るために海外に出るといいます。しかし現実には高い技術を活かせずに、メイドなどの家事労働者や工場労働者として働いています。
イタリアでも家事労働の需要があり、ほとんどのフィリピン移民は家事労働か工場での仕事に従事しています。
看護師の資格を持っているにもかかわらず、高所得が得られないために、住宅の管理人の仕事をしているという人もいます。
在イタリアのフィリピン人のほとんどは、2 つ 3 つの仕事を掛け持ちして生計を立てています。

 一方、イタリア側も女性の社会進出に伴い、カトリックの教義に沿った「家庭(家族)」を守るためには、こうした家事労働者の存在が必要だったことがいえるでしょう。
こうした労働力の需要と供給が一致した結果、欧州の中でもイタリアに多くのフィリピン移民が集まったといえます。
しかし冒頭で述べたとおり、必ずしも経済的な要素だけが移住の動機になったわけではないようです。
次回は、彼らの移住の動機になったと考えられる文化的な側面を見ていきたいと思います。


 
伊藤塾塾便り211号/HUMAN SECURITYニュース(第13号 2013年3月発行)より掲載
 

第7号 難民認定に関する立証責任 Burden of Proof on Refugee Status Determination

山本 哲史(東京大学特任准教授)

みなさんは、各種資格試験への対策の中で、裁判における立証責任についても詳しく勉強なさっていることと思います。
立証責任とは、ある主張に関する立証が成功しなかった場合において法的不利益(または利益の不発生)を被る者を選定する概念です。
一般的には刑事訴訟においては検察側が負い、民事訴訟においては自己に利益をもたらす主張を行う者が負うことになっています。その根拠をめぐっては、学説が様々に展開されているようです。

 難民認定は行政処分ですが、受益処分として捉えられていることから難民認定申請者にその立証責任が設定されています。認定されると各種法的利益を得るのは難民ですので、立証責任は当然に難民にある、というわけです。

 実態として、たしかに難民認定は難民認定申請者に大きな利益をもたらします。
その最たるものは、不法滞在の場合に退去強制を免れることができる、というものでしょう。
それどころか、基本的には定住者としての在留資格を得ることが可能となりますので、就業上の制約も取り除かれます。
日本でとにかくお金を稼ぎたい、そして本国の家族や親戚に送金し豊かに暮らしたい、と考える人にとってみれば、またとない選択肢であることは間違いないでしょう。
実際、私の知人によると、知り合いのある国籍の外国人たちは、とにかく難民認定申請をするのだ、といいます。
難民認定申請をすればなんとかなる。認定されなくとも、審査期間中、なんとか働くことができる。帰国を先延ばしにし、滞在を引き延ばすことができる、というわけです。

 さて、難民認定は受益処分であるので立証責任は申請者側にある、ということについては、このように少なくとも実態としてもうなずける面があります。
逆に、仮に難民認定審査を担当する法務大臣側に立証責任を設定するとすれば、法務大臣は不認定のための材料を探すことに躍起にならざるを得ないでしょう。
つまり、不認定であると立証されない限りは認定となるということになれば、ほとんどの人が認定されることになるからです。
この意味で、立証責任の転換を主張する議論には、あまり現実味がないように思います。
また、立証責任の軽減や分担についても論じられていますが、法的には上記の通り立証責任はいずれかの当事者に排他的にかかってくるものであるので、それを分けたり軽くしたりできるはずがありません。

 それにしても難民認定申請者はそもそも本国から逃れてきているわけですから、証拠となるような書類や証言を集めることは容易ではありません。
このため、事実認定の基準(いわゆる証明度)を緩めるべきとの主張があります。
このような主張については、気持ちは分かるのですが、すこし落ち着いて問題を整理してから考える必要があるように思います。
まず、事実認定の認定基準を緩和するというのはどういうことでしょうか。極論をいえば、はっきりしない場合にも認定すべしということなのでしょうか。
そもそも「基準」という言い方に私は疑問を持つのですが、皆さんはいかがでしょう。
たとえば裁判官の自由心証主義が謳われる民事訴訟の場合、そして抗告訴訟の場合においても、「自由」なわけですから、「基準」云々ということ自体に疑問を感じてしまうのです。
あるいはこれは、認定基準の話ではなく認定方法の話であって、もっと言えば間接事実から推定事実を認定する場合の、推定の方法をめぐる基本的な考え方のことではなかろうかと思うのです。

 難民認定審査は「迫害の十分に理由のある怖れ」を有していることを申請者に求めるのですが、「怖れ」という事実の証明は、なかなか難しいものです。
少なくとも直接事実として認定できるものではなく、何らかの間接事実からの推定を働かせて導くべき事実です。
この点、各国は「十分に理由のある」という箇所の法解釈を通じて、その「怖れ」の客観的側面を強調しながら、何らかの事実の立証を前提とする「怖れ」の推定を求める傾向にあります。
このような危険の推定方法は「真の危険性 (real chance)」推定と呼ばれています。
漠然とした危険の可能性であれば、人は生きていれば必ず死や病気や事故などに直面しているものですから、危険性は常にゼロではないけれども、そうした危険 性と区別されるものとして、合理的な因果関係が説明可能な危険として推定でき、また、そうした推定の基礎となるものとして、少なくとも何らかの客観的事実 が必要であるとする考え方が「真の危険性」なのです。
つまり証明基準ではなく、事実の推定方法(または方針)が法解釈論から導かれています。


 
伊藤塾塾便り205号/HUMAN SECURITYニュース(第7号 2012年9月発行)より掲載
 

第8号 難民の第三国定住 Third Country Resettlement of Refugees

山本 哲史(東京大学特任准教授)

本国にいることのできないやむを得ない事情、これが難民問題の根底にあります。
これに取り組まないことには問題解決などあり得ないのではないか、そう考えるのが自然でしょう。
しかし現在に至るまで、国際社会はこの問題を避けてきたというべきか、触れることがありませんでした。
このため現在の難民保護は「亡命偏重(exilic bias)」であると断じる人がいるのも無理はありません。
亡命偏重の難民保護とは、このように難民保護において受け入れ国における難民の扱いのみに着目し、流出国を問題の外側におくことを意味しています。

 この点、スイスのジュネーヴに本拠を置く国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、その基本文書(組織の憲法のようなもの)であるUNHCR規程の第 1条において、「難民の自発的帰還または新たな国の社会への統合を促進しようとする政府の支援や、そのような政府による許可を得た上で民間団体を支援する ことを通じて、難民の問題にとっての恒久的解決(permanent solutions)を模索する」ことになっています。
要するに、(1)難民の自発的帰還、および、(2)本国外における統合(定住)を、難民保護の終着点としているわけです。
流出国に働きかけてどうこうしようという規定は見られません。
逆に、流出国の政治状況に関与してはならないことを暗に示すものとして「UNHCRの職務は完全に非政治な性質」との言及があります(同2条)。
また、1951年の難民の地位に関する条約(いわゆる難民条約)には難民の地位が終了する要件を定めた規定(終止条項)があり、その中の一つに「迫害をう けるおそれがあるという恐怖を有するため、定住していた国を離れ又は定住していた国の外にとどまっていたが、当該定住していた国に再び任意に定住するにい たった場合」というのがあります(同1条Cの4)。
ここでもまた、流出国の問題は蚊帳の外です。

 なぜ現在の難民保護は亡命偏重なのか。
このことを批判的に指摘する論文には、1950年当時の欧州における東西対立の先鋭化からついには冷戦へと至る過程の中で、難民条約は西側諸国が東側諸国 の政治体制を非難するための材料として起草されたという経緯をもちだし、難民問題を本質的に解決すること自体、そもそも志向されていなかったのだと見るも のもあります。
難民を保護すればするほど、その流出国の政治体制に問題があることが世間に周知されることを狙った制度構築であったため、亡命偏重となってむしろ当然だ、というわけです。

 今や東西冷戦は過去のものとなり、現在の国際社会は国家間紛争よりも内戦や民族間の緊張を軸にした対立構造を抱えるようになりました。
そのため難民条約自体、時代遅れのものとなってしまった感があります。
21世紀に入ってから、UNHCRが主導する形で難民保護の世界的な見直しをはかる「世界協議(Global Consultations)」というイベントが仕掛けられ、各国代表のみならず各種専門家やNGOなどからも多くの人が参加し、世界各地で各種パネルが 開催されるということがありました。
しかしそこでの結論もまた、結局のところ難民条約を書き換えるまでの合意形成には未だ至ってはいない、というものでした。
もっとも、特に紛争後社会における平和構築と難民保護との連関を模索する動きは、徐々にではありますが見受けられるようになってきています。
しかし結局のところ、難民保護は依然として亡命偏重なのです。そんななか、難民キャンプに匿われたまま、流出国の状況改善につながるような働きかけは行わ れずいたずらに時間だけが過ぎてゆく「長期化する難民状態(protracted refugee situation)」が注目されています。
定義は確立していませんが、UNHCRによると、単に長期の難民生活自体が問題というより、「命の危険はないものの、保護されたのち数年経ってもなお、基本的人権ならびに経済的、社会的、および心理的な基本的要素が満たされていない」ことが問題視されています。
難民の再定住制度はそうした人々に新天地での生活の機会を提供するものとして、現在までに世界20カ国が他国の難民キャンプからの難民受け入れを実施しています。
年間数万人を受け入れるアメリカを筆頭に、受け入れ数は様々ですが、いずれも難民が新たな生活に馴染むことのできるよう、言語教育や職業訓練をはじめとする定住促進制度を用意しています。

 日本においても2010年度に試験運用を開始し、これまで毎年約30名、約5家族をタイの難民キャンプから招いてきましたが、驚くべきことに、いや、むしろやはりというべきか、3年目にあたる2012年度の希望者が、なんとゼロになってしまったのです。
この話はなかなか奥が深く、様々な視点からの議論が必要になります。
まずはニュース記事を調べてみてください。CDRの発行する研究ジャーナルCDRQでもこの問題を継続的にレポートしています。
http://cdr.c.u-tokyo.ac.jp/


 
伊藤塾塾便り206号/HUMAN SECURITYニュース(第8号 2012年10月発行)より掲載
 

第9号 日本における第三国定住プログラム Third Country Resettlement Programme in Japan

三浦 純子(東京大学 難民移民ドキュメンテーションセンター学術支援員)

日本は難民を受け入れない国と国際社会で批判されますが、難民受け入れに際して新たな取り組みを始めています。
現在、タイ・ミャンマーのタイ側の国境には9つの難民キャンプがあり、約14万人が暮らしています。
難民キャンプは約30年間存在し、20年以上滞在している難民が多いといわれています。こうした背景から日本政府は、東南アジアの難民問題に貢献すること を目的に、タイの一部の難民キャンプから、試験的に3年間で90名(年間30名)の難民を受け入れることを2008年に決定、今年3月には2年間の延長が 決まりました。2010年に事業を開始してから、多くの子どもを含む、既に45名の難民を受け入れています。
しかしその過程において,定住にむけた様々な課題が浮き彫りになっています。
制度が本格化するか否か、制度設計の包括的な見直し等が議論される必要があります。

 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は難民問題の恒久的解決法として、①出身国への自主帰還、②第一庇護国の社会への統合、③第三国定住の3つをあげています。
深刻な難民問題の1つとして、『長期化した難民(protracted refugees)』と呼ばれる、キャンプのような状態で5年以上暮らしている難民があげられます。
このような長期化した難民の1つの解決方法として、第三国定住プログラムが推進されています。
米国、オーストラリア、カナダ等が再定住難民を受け入れている主要国ですが、定住可能な枠と再定住を必要としている難民の数には非常に大きな開きがあるのです。

 こうした国際的動向を受け、日本も「アジア地域で発生している難民に関する諸問題に対処する」ことを目的に第三国定住による難民受け入れをパイロットケースとして実施することを、2008年12月の閣議了解にて決定しました。
日本政府が発表している第三国定住難民の候補者を選定する条件は、①「UNHCRが国際的な保護の必要な者と認め、我が国に対してその保護を推薦する 者」、②「日本社会への適応能力がある者であって、生活を営むに足りる職に就くことが見込まれるもの及びその配偶者又は子」の2つです。
これに加え、「家族単位」での受け入れが候補者の選定条件としてあげられています。

 2010年、再定住難民としてUNHCRの推薦を受けた候補者となる人々から、書類選考、現地タイでの面接調査、国際移住機関(IOM)による健康診断及び出国前研修を経て到着した第一陣では、5家族27名が来日しました。
到着後は都内でアジア福祉教育財団難民事業本部(RHQ)の支援センターにおいて、日本語教育、社会的生活適応指導、就 職 支 援等の研修を180日間受けました。
研修終了後、2家族は千葉県で、3家族は三重県で定住生活を開始し、農業法人で6か月間の職場適応訓練を行いました。
三重県の家族は、雇用契約に至りましたが、千葉県に場所を移した2家族については、雇用契約締結に至らず、都内に転居することになりました。
また、第二陣となる4家族18名は2011年秋に来日し、研修を終えて現在、埼玉県に4家族が一緒に暮らしています。
第三陣として今年秋に来日予定だった3家族は、タイ国内で研修を受けていたものの、日本での生活に対する不安や家族の反対を理由に出発直前でキャンセルしました。
これにより、30名という枠があるものの、試験事業3年目を迎える今年の再定住難民はゼロ人となってしまいました。
これを受けて、難民支援をするいくつかの団体は、本年度の「再募集」や「選定基準の見直し」等を訴えています。
難民キャンプにいる限り、難民にとっては帰国もしくは再定住以外に選択肢はないのです。
米国やオーストラリアは人気なのに、なぜ日本行きは人気がないのでしょうか。当初、再 定 住希望者の募集は、1カ所に約5万人が暮らす大規模な難民キャンプが対象とされていたため、日本政府としては希望者が殺到することを予想し、どのように 30人の枠に収めようか、と想定していたはずです。
しかし、予想外の事態に関係者も混乱しているといえるでしょう。
どのような原因が考えられるのでしょうか。
「移民」を受け入れるヒントになりうる、難民受け入れから学ぶ意義は大いにあると考えられます。


 
伊藤塾塾便り207号/HUMAN SECURITYニュース(第9号 2012年11月発行)より掲載
 

第3号 「人間の安全保障」と人の移動 “Human Security” and Movement of People

山本 哲史(東京大学特任准教授)

従来の方法では対応できない脅威に直面する時、社会は新たな方法によって安全を追求しようとします。
このような安全保障化(securitization)の流れの一端として「人間の安全保障」の提起がある、ということを前回書きました。
安全保障化の要因としては、(1)脅威の変化のほかに、(2)安全に対する意識の変化もあります。
前者は脅威の物理的ないし客観的拡大と言えるでしょう。
伝統的な意味での国家による安全保障は、基本的には軍事力を用いて国民の安全を確保しようというものです。
しかし脅威は仮想敵国のみではなく、軍事力で防ぐことのできるものばかりとも限りません。
たとえば地球温暖化や砂漠化、あるいは国境などを軽々と越えてくる感染症、また、食糧不足や石油などを含めた資源の枯渇、人口爆発や逆に農村部の限界集落 化など、科学技術の急速な発展や開発政策の負の側面とも関連しつつ、従来の枠組では対応の難しい課題(その多くは、いわゆるグローバルイシュー)が噴出し ているのが現代です。
これに対し、後者は国際社会をリードする国連などの国際組織の取り組みや、研究者たちによる議論などを通じて思想的に導かれるものであり、安全保障の主観的拡大ないし深化ということが言えるでしょう。
実体的な脅威の変化とは別に、人々の意識の変化を通じても安全保障の裾野は広がっていくのです。
しかしこれは論争的なものになりがちです。
というのも、立場や考え方によっては安全保障であったりなかったりすることが扱われるからです。
たとえば前回ご紹介した「人間の安全保障委員会」による2003年の『Human Security Now』報告書などは、「人間の生にとってかけがえのない中枢部分を守り、すべての人の自由と可能性を実現」することに注目し、恐怖からの自由 (freedomfrom fear)のみならず欠乏からの自由(freedom from want)も含めて「人間の安全保障」を構想しています。
これには、命の物理的意味での保護のみならず、生活の最低限の内容的充実の確保も含めて安全保障の課題とすべしとする思想が根底に流れています。
他方、たとえば移民受け入れによって社会構成に変化がもたらされることを懸念する「社会の安全保障(societal security)」という考え方もまた、安全保障に対する意識の変化の中から導かれています。

このように新たに提起される考え方は、時に相互矛盾に陥ることがあります。
その典型例として、「社会の安全保障」と「人間の安全保障」は、「人の移動」という現象をめぐって鋭く対立する側面を持っています。
一般的に「社会の安全保障」は、移民受入国にお山本 哲史東京大学特任准教授いて、移民の急増による社会構造の変化や治安の乱れを懸念する立場から主張されます。
これに対し、「人間の安全保障」は少数者(minorities)や各種の社会的困難に直面する人々の立場から主張されます。
一部の移民もまた、様々な要因から弱者(vulnerablepeople)として注目され、「人間の安全保障」の主体として意識されるわけですが、受入 国の「社会の安全保障」のために移民を追い出せば、今度は移民の「人間の安全保障」が危うくなるという具合に、両者はトレードオフの関係にあるようにも思 えます。

日本の難民受け入れを例に考えてみましょう。
他の多くの国と同様に、日本も「1951年の難民の地位に関する条約」に加入しており、保護を求める避難者が真に難民であるかを判断するための、いわゆる難民認定審査を30 年来実施しています。
法務省によるその審査は厳しく、場合によっては不当に閉鎖的であるとも批判されてきました。
2011 年度の難民認定申請件数は1,867件、持ち越し分も含めて審査件数が2,119件ですが、そのうち難民だと認定された数はわずか21 件にとどまります。
もっとも、認定数が少ないこと自体は問題ではありません。
また、難民認定制度が不法滞在者に悪用されては困るという意識、すなわち入国管理の適正化の要請は、「社会の安全保障」を持ち出すまでもなく当然のものと言えましょう。
他方、「人間の安全保障」の観点からは誰に何をどう保障すべきか。
理屈はともかく、避難者の生命や尊厳の確保は可能か。
場合によっては受入国の「社会の安全保障」が避難者の「人間の安全保障」を犠牲にしてよいものかどうか。

こうした点は難民のみならず、人身取引の被害者や、本国での貧しい暮らしを逃れて他国で生活の術を得ようとする移住労働者など、理由はさまざまあれ結果的に生命や尊厳の危うい状況に置かれている全ての人々への対応にも共通する課題となっています。
もちろん、人は基本的には自らの選択と責任において安全を確保すべきでしょうし、国はなによりまず国民を守るべきかもしれません。
しかし他方では、弱者を切り捨てるだけの社会は続かないことを、人類は歴史を通じて学んできたのです。
今日の弱者保護は明日の我が身を救うであろうし、そこでは国民や外国人であることは決定的な要素にはなり得ない、そうした互助的思想が「人間の安全保障」の根底にはあるのです。
ある社会の本質がどういうものなのかは、弱者への対応を見ればその大方が見えるものです。


 
伊藤塾塾便り201号/HUMAN SECURITYニュース(第3号 2012年5月発行)より掲載
 

第4号 難民の収容 Detention of Refugees

山本 哲史(東京大学特任准教授)

難民が収容されているという事実、今回はこのことについて、人間の安全保障もさることながら、人権を手がかりに考えてみたいと思います。 みなさんは憲法が保障する人権についてはかなり学習なさっていることだと思いますが、国際法もまた人権保障のための独自の制度を用意していることをご存知でしょうか。
日本の加入の是非が取りざたされている国際人権規約における自由権規約の選択議定書などは、国際法による人権保障制度の典型例です。
国際法は、伝統的には文字通り国と国との関係を規律するものであり、主権国家同士の約束に基づく法体系であると考えられてきましたが、今ではその意味内容を越えて一定の人権保障をも行うものとして捉えられています。

ここに至るまでに、国際社会は1948年の世界人権宣言で人権の重要性を確認して以来、国際法によって保障する人権(いわゆる国際人権)の範囲と内容を少しずつ積み上げています。
こうした動きの背景には、二度の世界大戦を経験した国際社会において、国際法の究極の役割の一つであるはずの平和維持のためには、人権保障を欠くことができないという強い反省があったと言われています。
さて、このように今日までに国際人権にはさまざまな内容(人権のカタログ) が含まれるようになっているわけですが、しかし他国に入国する権利までは国際人権に含まれていません。
もっともこれは、単に入国を希望する国の国籍を有していないという形式的な判断によるのではなく、居住や生活の実態的判断が求められることになっているた め、たとえば既に居住している者の家族の入国や、特別永住者の再入国などについては、全くの外国人とは異なる一定の配慮が求められることになっています。
とはいえ、繰り返しになりますが、原則として国際人権には他国に入国する権利は含まれていません。
というのも、ある国への外国人の入国の是非は、その国の主権国家としての判断によって決定されることになっているからです。
他国への入国権を国際人権として認めるとなれば、国際法の原理である国家主権が侵害されることを意味するため、それは少なくとも現段階の国際社会においてはありえない、というわけです。

というわけで、どの国もその主権に基づく確固たる方針の下、外国人の入国管理(入管)を実施しています。
しかし入管について主権国家に自由な判断が許されると言っても、それはあくまで「入国を認めるか否か」の判断が自由であるというに過ぎないのであって、入管に必要とされる一連の作業のなかで外山本 哲史東京大学特任准教授国人の人権を侵害してよいわけではありません。
たとえば入管の目的のためには不法入国者や不法残留者を退去強制させる場面も出てくるわけですが、その対象者の身柄確保(収容)を国家は自由に行えるわけではないのです。
というのも、国民であろうと外国人であろうと、人である以上は「移動の自由」を有するとされているからです。
しかし収容される、つまり一カ所に閉じ込められるとなれば、移動の自由は当然ながら制約されることになります。
ですから問題は、その制約が正当であるか不当であるか、という点に絞られてきます。

現在までに、この点は比例原則(principleof proportionality)によって判断されるものと考えられるようになっています。
つまり収容は入管のために本当に必要であるのか、その目的と手段の間に比例関係はあるのか。
その個別判断が求められているのです。
少なくとも、全ての不法滞在者を例外なく収容するという制度(全件収容主義、mandatorydetention とも言う)があるとすれば、これは国際法違反ということになります。
また、移動の自由の制約については、一般的な外国人への配慮に加えて、特別な配慮もまた重要であると考えられています。
たとえば子どもを収容することは、一般的な外国人よりもさらに厳しく「もっとも短い適当な期間でのみ」認められるものとなっています(子どもの権利条約37条b)。

さて、それでは難民はどうでしょうか。
2011年度における難民認定申請者の申請時の在留状況をみると、全体の1,867件のうち、正規滞在(在留資格あり)のケースが1,159件に対して非正規滞在(在留資格なし)のケースは実に708件に上ります。
この人たちを収容してよいものかどうか。
もちろん、国際人権の観点から考えなければなりません。
難民認定制度の濫用を疑う声も一部にはあります。
日本は入管難民法を2004年に改正し、難民認定申請時に非正規滞在状況にある難民認定申請者であっても、一定の要件を満たす場合には仮滞在を認める(つ まり収容しない)という制度設計を行っていますが、2011年度において仮滞在を認められた者はわずか71名にとどまっています。

2012年6月16日(土)に伊藤塾東京校で実施する第195回「明日の法律家講座」では、こうした状況も含めて難民の収容をテーマとして扱います。
実際に収容経験のある難民とともに考える企画です。
興味関心をお持ちの方は、是非ご参加下さい。


 
伊藤塾塾便り202号/HUMAN SECURITYニュース(第4号 2012年6月発行)より掲載
※「明日の法律家講座 東京校第195回」は2012年6月16日(土)に実施されました。
 

第5号 制度としての難民認定 Refugee Status Determination as a System

山本 哲史(東京大学特任准教授)

唐突ですが、皆さんは「あなたが誰なのか、証明してみせよ」と言われたとして、一体どうな さいますか? 中世から封建社会にかけて、日本の武士は「やあやあ我こそは某(なにがし)」と名乗って敵に勝負を挑んだそうですが、それも戦争の合理化とともに廃れてゆ き、果ては影武者を使って敵を攪乱し殺害を免れる、ということも行われるようになったと聞きます。
「私は、私です」という主張、これは当然ながら論理的には何も説明していないわけで、トートロジーとも呼ばれます。
戦争の最中や終了後、名のある武将が討たれると、今度は首実検ということが行われたそうです。
「この顔が某か、なかなか見事な死に様よのう」という具合に。顔(首)でその人が誰か、特定しようとしたのだそうですが、おそらくそこで重要なことは、そ の首が本人のものである、ということ以上に「敵を倒した」というけじめをつけ、内外にそれを示すという形式であったのではないだろうかと、私などは考えま す。

 形式、ということで言えば、現在の難民認定もまた、制度としての形式に重点が置かれているように思います。
まず、申請書を書いて地方入国管理局へ提出することから始まり、難民調査官による調査を通じて得られた資料も加えながら、申請者にインタビューを行いつつ、事案概要書を作成する。地方入管はこれを入国管理局へ届け、審査が始まるという段取りになります。
不認定となった場合、7 日以内に異議申立を行い、今度は民間有識者によって構成される難民審査参与員による審査が始まります。 参与員には認定の決定権はありませんが、3 人 1 組で構成されるチーム単位で行われる審査を経た意見(個別意見あり)を決定権者である法務大臣が吟味するという仕組みになっています。
このように、制度はきちんと整い、形式的には十分であるように感じられます。
ただし難民認定申請数の増加に比例して異議申立の件数が年々増加しており、この処理が追いつかずに未決件数が増加する傾向にあることについては、何らかの対処が必要となりましょう。
難民認定申請者の苦境については前回コラムで触れた通りで、この宙ぶらりんの期間を少しでも短くする努力は何らかの形で行われる必要がありそうです。

 さて、形式は整っています。これに対し、真の難民(bona fide refugee)を見つけ出すことが、そもそも重要なはずです。
これをどうするか。長年に渡り、日本に限らず世界の難民条約締約国は悩み続けてきました。
この問題は法的な観点からは、大きく分けて 2 つに分類されます。
まず、法解釈の問題。これは、1951 年の「難民の地位に関する条約」1 条A(2)に規定された難民定義を、如何なる内容のものとして解釈するのか、という問題であり、具体的には例えば「迫害」を受ける「十分に理由のある」 「怖れ」を有するとされる「難民」という場合の、「迫害」にはどのような行為が含まれるのか、ということであったり、また、どのような「怖れ」であれば 「十分に理由のある」という状態であると言えるのか、といったものです。
これに対し、法適用のための事実認定の問題があります。一般的な法適用の問題と同様に、当事者は「うそをついているかもしれない」、つまり「何を以て法の前の事実とみなすか」ということになるわけです。

 この点、難民認定における事実認定には、それならではの 2 つの問題があります。
難民は、(1)そもそも証拠を整えて逃げていない、(2)訴えている内容が深刻、というものです。
(1)については、例えば偽造パスポートを使い、また、迫害されているという文書証拠など、常識的に考えてあろうはずもありません。
(2)については、訴えている内容に事実認定の内容が左右されるということは論理的にはあり得ないことですが、しかし倫理的には考慮せざるを得ない、という感覚も判断権者には生まれることでしょう。
これら 2 点については、国際社会の通説的立場としては、一般的な方法では立証されない供述内容についても、信憑性が認められる場合には「灰色の利益(benefit of the doubt)」の付与を通じて事実認定をなすべし、という考え方があります。
つまり実態的には、難民認定はこの「信憑性」判断によるところが大きいのです。もちろん信憑性が全てではありません。
事実認定に関する全体像の中で、信憑性判断の役割についても論理的に整理して位置づけることが大前提となります。
そのうえで、信憑性判断のための考慮事項を精査してゆく必要があります。また、その判断には申請者の態度も踏まえることが、ある種の心証形成として行われることになっています。
そうした場合の配慮事項など、問題は複雑かつ専門的になってゆきます。


 
伊藤塾塾便り203号/HUMAN SECURITYニュース(第5号 2012年7月発行)より掲載
 

第6号 難民認定における信憑性評価 Credibility Test for Refugee Status Determination

山本 哲史(東京大学特任准教授)

紀元前 8 世紀、西周の幽王(ゆうおう)に褒姒(ほうじ)という后がいたそうです。
絶世の美女であった褒姒は、しかし滅多に笑うことのない女性でした。
あるとき、過って王宮から狼煙(のろし)が上がるということがありました。これは緊急信号であったので、配下の諸侯は王宮に駆けつけました。
それを見て褒姒は微笑んだそうです。
以来、幽王は褒?の笑顔見たさに狼煙を上げては諸侯を集めるようになりました。
後に反乱が発生したとき、幽王は狼煙を上げるのですが、諸侯は集まらず、西周は敢え無く滅びてしまいます。

 この中国の故事は難民認定と無縁ではありません。
前回コラムで少し触れたとおり、難民認定審査においては、主張される事実について通常の立証が困難である場合、供述に信憑性が認められるならば灰色の利益の付与を通じて事実認定がなされることがありえます。
この場合、そこにいう「信憑性」とは如何なるもので、どうすれば信憑性ありと認められるのか。重要な問題です。

 幽王の狼煙を手がかりに考えてみましょう。まず、そもそも狼煙と反乱の発生の間に物理的な因果関係があるわけではありません。
たとえば物に触れれば指紋がつく、という場合には、触れることと指紋付着の間に因果関係があるので、そこには科学的判断はあっても信憑性評価の入り込む余地はありません。
しかし反乱があれば狼煙が上がる、というのは、その制度を確保している幽王がいて初めて機能するわけで、その幽王が信用できるかどうか、ということになりましょう。
したがってこの場合の狼煙の信憑性というのは、幽王という人間への信頼にかかっていることになります。

 しかし幽王は狼煙で遊んでいるとはいえ、あらゆる面で信用できない人間である、ということになるでしょうか。
逆に、狼煙では決して遊ばない別の王がいたとして、ではその人の言うこと為すこと全て信用できる、ということになるでしょうか。また仮に、幽王が狼煙ではなく伝令に早馬を走らせて諸侯に王宮の危機を知らせていたとしましょう。果たして、歴史は変わっていたでしょうか。

 こうしたことを念頭に、難民不認定の理由づけにおいて信憑性が如何に観念されているのかを見てみると、気になることがいくつか出てきます。
たとえば、収容されたあとで難民認定申請をしている事実や、入国後長期にわたり難民認定申請をしていなかった事実を、申請者の難民としての信憑性を失わせる要素として言及している例があるのです。
ではこの場合、結局のところ何の信憑性が評価されているのでしょうか。
冷静に考えてみると、これはおそらく難民であればすぐにも難民認定申請をするものだ、という先入観に合致した行動がとられているか否かを「信憑性」と呼んでいるに過ぎません。
少なくとも先述した「狼煙の信憑性」とは別の種類の評価であることは間違いないようです。
どちらが正しい、ということではありません。信憑性という言葉は一般的なものであるので、それを様々な文脈で人がそれぞれどのように考えるのか、ばらつきがありうる、ということに注意を要します。
難民認定は、難民条約に規定された難民定義に人が該当するか否かを判断するものですので、その意味では判断にばらつきがあることは法的に不適切ということになりましょう。
「信憑性」の意味を確定し、それを隔たりなく運用することが重要であると思われます。

 ただ少なくとも、信憑性という場合に、それが「この人は難民である」という信憑性を意味しているとすれば、それはもはや信憑性評価の枠を超えて、難民該当性判断自体を意味していることにならないでしょうか。
あるいは逆に、「この人は難民ではない」という信憑性のなさを意味しているとすれば、それもやはり難民該当性判断自体を意味していないでしょうか。難民認 定が法適用の問題である以上、まずは事実認定によって判断権者が法を適用すべき「事実」を確定し、それに法解釈に基づく法適用を行ってゆく、という段階を 考えれば、やはり信憑性は事実認定の段階についてのものであると考えるべきではないでしょうか。
そしてまた、「この人の言っていることは何であろうと全て信用できる」という信憑性評価があるとすれば、それもまた、信憑性評価をはみ出してはいないでしょうか。
あくまで、人の信憑性としてではなく、主張される一つ一つの事実について信憑性評価はなされるべきではないでしょうか。
この点、例えばオーストラリアの難民審査裁判所(RRT)は、信憑性評価とは「個別の状況および証拠について決定すること」であるとしています。


 
伊藤塾塾便り204号/HUMAN SECURITYニュース(第6号 2012年8月発行)より掲載