「復帰」とは何だったのか。日本にとって沖縄とは何か。沖縄の歴史から憲法を学ぶ。

 
伊藤 真塾長

伊藤 真塾長

エメラルドグリーンの海、珊瑚礁やマングローブなど、美しい自然に恵まれたリゾート地として知られている沖縄ですが、その一方で、第二次世界大戦時には本土防衛の捨て石として多くの犠牲を強いられました。戦争体験の科学的歴史認識には加害体験・被害体験・抵抗体験の三側面から学習することが必要だと言われています。沖縄はその三側面から学べる日本唯一の場です。

そして、過去を通して、現在の沖縄も学びます。沖縄は、日本全体の国土面積のわずか約0.6パーセントの面積ですが、その地に日本にある在日米軍専用施設の約7 3.8パーセントが今も集中しています。そして、戦後70年が過ぎた現在でも、沖縄では在日米軍基地をめぐりさまざまな問題が起きています。この10月13日には、米軍普天間基地の移設問題をめぐって、県民の民意により選ばれた翁長雄志・沖縄県知事が辺野古埋立て承認の取り消しを表明しました。これに対して政府側は、「辺野古以外に選択肢はない」として、あくまでも近いうちに埋立ての本体工事に着手する
意向を示すという事態になっています。わたしたちはそんな沖縄を肌で体感すべく12月にスタディツアーを実施します。

伊藤塾のスタディツアーは、沖縄で何が起きたか、何が問題となっているかを実際の現場で学び、戦争被害者や現在も闘い続ける住民の声に耳を傾け、その痛みを感じ、一部だけでも体験をしてもらうことで、少数派として弱い立場に置かれている人々に寄り添える、「真の法律家・行政官」としての感性に磨きをかけることが狙いです。沖縄は激動の中にあっても、「柔よく剛を制す」という諺を現すように平和を好み、島唄や料理など特有の文化風土を保ち続けた希有な場所でもあります。島を愛し続ける住民にふれることで、私達が守るべきものについて気付かされるはずです。

また、沖縄の戦争体験者の方々は今や御高齢となり、戦争体験のお話や当時の沖縄の状況などについて、お話をお伺いすることも、年々難しくなってきています。過去の沖縄について、体験された方から直接お話をお聞きし、沖縄戦の戦跡を自分で見て、自分で考えることは、またとない学びの機会と言えるのではないでしょうか。

中身の濃い3日間を共に作り、勉強と人生の飛躍の場にしましょう。私も現地で考え、多くのことを感じ、学ぶつもりです。皆さんのご参加を期待します。
 

2014年沖縄スタディツアー参加者の声

T・I さん 【行政書士試験学習中】

今回参加させて頂いた伊藤塾の沖縄スタディツアーは、「法律家として生きていく者なら現地で何を感じるか」、と投げかけていると受け止めました。今回、スタディツアーの現地で教えて頂いたこと、伊藤塾長が投げかけられた「知ってしまった者の責任」をしっかりと受け止め、必要な時に声を出す準備を始めます。

T・Oさん 【司法書士試験合格者】

私は、受験生の頃からスタディツアーに参加していますが、受験で大変な時期であっても、平和や人権について考え行動できるエネルギーは必ず役に立つと実感しています。合格してからではなく、今から出来ることは今から行う、という心掛けが大切だと思います。

T・Yさん 【司法書士試験合格者】

伊藤塾のスタディツアーで現地に行かなければ感じられないことがあります。
ぜひ、沖縄スタディツアーに参加してください。皆様それぞれ色んなことを感じるでしょうし、個人の尊厳や基本的人権とそれらを出発点とする諸制度について、より深く理解するきっかけになると思います。

S・Tさん 【司法試験学習中】

懇親会や交流会での塾生や講師の方々との出会いも楽しみの一つです。
地方でインターネットにて講義を受講する私にとっては年に一度のこのツアーに参加することが法律学習への意欲を高めるよい機会となっています。

N・Kさん 【司法試験学習中】

2度のスタディツアーを通して、テレビ等から一方的に入ってくる情報だけでなく、自分で直接見て聞いて知ることが大切なのだと改めて痛感しています。
そして、憲法で守られるべき沖縄が憲法から一番遠いところに押し退けられ、だが最も憲法を大切にしているという矛盾に満ちた現実を、再び突きつけられました。辺野古の海を守り続けている人々のお話を聞き、私もできる限り声をあげ、行動し続けていこうと思いました。

N・Hさん 【司法試験学習中】

「島人ぬ宝」・・・沖縄2日目の夜、「金城」での懇親会の席のこと。沖縄の香りを奏でるPOPSユニット「Ryu-ty」のライブがあり、この唄が流れました。私もこの曲が好きで、友人とカラオケに行くとよく歌っていたものでした。しかし、知っているはずの“言葉たち”が、沖縄で聞くと、Ryu-tyの声を通して聴くと、まるで違った“別の何か”であるかのように感じられたのです。

※参加者の方よりいただいた感想文を一部抜粋して掲載しています。
プロフィールは2014年参加時のものです。

参加講師

伊藤 真
塾長

山本 有司
講師

福満 賢一
講師

坂本 国之
講師

お問い合わせ先

ビッグホリデーグループ (株)プレイガイド

TEL:045-290-1031  FAX:045-290-1032
(受付時間 9:30~18:00月~金 / 土日・祝日は定休日) 担当:田中

■DAY1■ 憲法の重要さを知る

読谷村役場

憲法の理念・高い志・魂を学ぶ

 
読谷村(よみたんそん)は、沖縄本島中部の西側の海にカギ状に突き出した半島に位置する、人口4 万人余の村です。東には緑の山並みが連なり、西は東シナ海、南は比謝川を境として、北には景勝の地「残波岬」がある。美しい自然と豊かな伝統文化に育まれた場所です。
かつての琉球王国時代には、中国(明)との進貢船貿易により、独特の文化圏を形成しました。しかし、第二次世界大戦では米軍の上陸地点となり、空と海からの猛爆にさらされ焦土と化します。第二次世界大戦へと突入した日本は、徹底した皇民化教育を行い、読谷村の人々も「天皇のために命を捨てる、敵国に捕まるなら自ら死ぬ」ことを当然と考えるようになりました。こうして、米軍が上陸した翌日の1945 年4月2日、洞窟「チビチリガマ」における「集団自決」の悲劇が起こりました。チビチリガマへ避難していた住民140名中、83名が「集団自決」により命を失い、そのうち約6 割が18 歳以下の子どもでした。


戦後の一時期は、村域のほとんどが米軍基地として接収され、日本復帰(1972 年)まで、米
軍統治下で苦難の時代を過ごすことになります。日本本土が戦後の平和を謳歌していた時代も、沖縄では、読谷村では、戦争は終わっていなかったのです。
これに対し1974年、読谷村村長となった山内徳信氏は、当時村の中央にあった255ヘクタールのパラシュー
ト降下演習場を廃止させ、読谷村に取り戻すことを公約に掲げます。そして、日米両政府を相手に粘り強く闘い、この公約を約20 年かけ実現させたのです。そんな「夢のような話」を実現したのが、山内徳信村長と一丸となって闘った読谷村民です。
読谷村役場の中には「憲法9 条の碑」が建てられ、今も村民一人ひとりが心に刻むよう、戦争の悲惨さと
平和の大切さを訴えています。
一連の見学には、村民の戦争体験をまとめた「読谷村史」の編集に携わった小橋川清弘さんに同行して
もらい、読谷村の歴史について詳細に説明していただきます。
 
不戦宣言の碑

不戦宣言の碑

小橋川 清弘さん 講演

基地の中の村づくり

 
現在、読谷村における基地面積は約34%です。これまでの闘いで実感したのは、自分たちの村をよくするためには、そこに住んでいる自分たちが立ち上がらなければならないということです。基地を返還して平和的な跡地利用をすることを、私たちは「平和行政」と名付けました。平和は誰もプレゼントしてくれません。
平和は自分自身がつくっていくものなのです。
沖縄スタディツアーを通して、未来の法律家、行政官の皆さんに沖縄戦、そして沖縄の現実をしっかり見て、関心を持っていただきたいと思います。

*昨年の講演を一部要約
 

大田 昌秀先生 講演

沖縄の自立と日本

 
沖縄には戦後27 年間、憲法が適用されていませんでした。沖縄ほど憲法と無縁なところはなく、沖縄ほど憲法を大切にしているところはない、と私は思っています。
今一番沖縄で問題となっているのは辺野古新基地建設問題です。日本本土の報道からは絶対にその実態は見えません。
日本安全保障条約は沖縄にも適用されています。ですから辺野古に新基地が出きると、移設日、建設費、維持費、思いやり予算の全部が国民の税金で賄われようとしているのです。そういった議論もされないままに、国がことを運ぼうとすることを許してはいけない、と闘っているのです。
辺野古の新基地建設は、皆さんにとっては、他人事かもしれません。しかし、今以上の莫大な税金の負担が皆さんにかかることを、ぜひ考えていただきたいと思います。

*昨年の講演を一部要約
 

■DAY2■ 沖縄の基地問題と琉球王国の歴史を辿る

辺野古基地移設問題

辺野古への基地移設問題の現状を知る

 
辺野古海岸は巨大なサンゴ礁や熱帯魚が生息する美しい海です。1996 年、この海上を埋め立てて、米海兵隊の基地を建設する計画が持ち上がりました。そして、住宅や学校に隣接し、「世界一危険」といわれる宜野湾市の米海兵隊普天間基地の移設を日米両政府が合意したのです。
当然、法に従った環境影響調査が行われるはずでしたが、実際は市民団体の要求にも関わらず密室での議論が行われ、防衛省はオスプレイの配備も含めた重要な情報を意図的に公開せず、虚偽の説明を繰り返してきました。

住民たちはすべての手続きと調査をやり直すよう求め、裁判を起こしました<辺野古違法・アセス訴訟>。
長期にわたって住民たちが反対しているにもかかわらず、仲井真元沖縄県知事は、移設を「現実問題として認めるべきだ」とし、移設を進め、2014 年8月には海底ボーリング調査に着手しました。2014 年11月には沖縄県知事選で、仲井眞元沖縄県知事は落選し、辺野古新基地建設反対を公約した翁長雄志知事が当選、12月の衆議院議員総選挙では、辺野古新基地建設反対派が県内4 小選挙区全てを制しました。但し、自民党候補も重複立候補した比例区で当選しています。

2015 年10月13日翁長知事は、沖縄県辺野古への基地建設を巡って前知事が出した埋め立て承認の取り消す文書を提出しました。翁長知事は、「本日、普天間飛行場代替施設建設にかかる埋め立て承認を取り消しました。今後も辺野古に新基地を造らせないという公約の実現に向け、全力で取り組む考えであります」と話し、辺野古建設を阻止したい沖縄県と進めたい国との対立は、今後法廷闘争を見据えた局面に入っていきます。
 
辺野古テント前

辺野古テント前


フェンス前にて

フェンス前にて

浦添(うらそえ)ようどれ・浦添グスク

琉球王国の歴史を辿り、今の沖縄を知る

 
浦添ようどれは、浦添グスクの北側崖下にある琉球王国初期の王陵で、咸淳年間(1265-1274 年)に英祖王が築いたといわれています。その後1620 年に、浦添出身の尚寧王が改修し、王自身もここに葬られました。岸壁に横穴を掘り墓室とし、中には中国産の石で作られた石厨子があります。
向かって右側が英祖王、左側が尚寧王の墓といわれています。「ようどれ」とは琉球語の夕凪です。
*浦添ようどれ資料館資料より


浦添グスクは、首里城以前の中山王城として知られています。発掘調査から、14 世紀頃の浦添グスクは、高麗系瓦ぶきの正殿を中心に、堀や石積み城壁で囲まれた巨大なグスクで、周辺には王陵・寺院・大きな池・有力者の屋敷・集落などがあったと考えられています。のちの王都首里の原型がここでできあがっていたようです。
王都が首里に移された後、浦添グスクは荒廃しますが、1524 年頃から1609 年の薩摩藩の侵攻までは浦添家の居館となりました。
*うらおそい歴史ガイド友の会資料より
 

首里城公園

琉球王国の歴史を象徴するお城から、沖縄の栄華を想う

 
首里城の創建は14 世紀頃といわれています。その後、1406 年に尚巴志が琉球王国支配のための居城として以来、1879 年、最後の国王・尚泰が明治政府に明け渡すまで、約500 年にわたって琉球王国の政治・外交・文化の中心として栄華を誇りました。
1945年の沖縄戦で灰燼に帰した首里城は、1992年、沖縄の本土復帰20周年を記念して復元されました。鮮やかな朱色に彩られたその姿は、王国の歴史・文化の息吹を伝える殿堂であり、沖縄のシンボルそのものといえるでしょう。     *首里城公園見学資料より
 

二日目オプション

交流会(+4,000円)

全国から集まった志高い塾生たちと交流するチャンス!
沖縄民謡ライブで一緒に盛り上がろう!

■DAY3■ 沖縄戦の歴史を知る

沖縄国際平和研究所

沖縄戦に対する理解を深化させる

 
沖縄国際平和研究所は、元沖縄県知事である大田昌秀先生より、沖縄戦と基地問題のほか平和問題などの研究機関として、1991 年1月に大田平和総合研究所として創設されたのが始まりです。
県知事退任後、ストックホルム国際平和研究所(スウェーデン)や大阪国際平和センターなどの国内外の平和研究施設を調査し、沖縄を「平和のメッカ」にするべく基本構想を策定、2013年ついに個人的研究所を念願の沖縄国際平和研究所へと衣替えすることが実現しました。
「戦争のない平和な社会創出」への熱い想いにより設置された同研究所の「沖縄戦・ホロコースト写真展示館」では、大田先生が米国を中心に何度も足を運び収集してきた沖縄戦を伝える写真(約1,000点)、広島、長崎原爆関連写真、ホロコースト、日中戦争や朝鮮戦争でのジェノサイドの写真(約50点)、そして戦後沖縄関連写真(約900 点)が常設展示されています。
戦後70 年間、沖縄戦とは何かを問い続けてきた大田先生の到達点とも言える同研究所で、お一人お
ひとりの答えを見つけだしてみてください。
 

大嶺 初子先生 講演

戦争体験者の証言

 
1944 年、兵隊さんは突然にやってきました。まだ小学生でしたので、当初は大変なことになるという認識もありませんでした。小学校の先生は、始まった戦争を「夫婦げんか」のように例えて話していました。それが、1944 年7月には、校舎は兵舎に変わり、8月には身に危険を感じるようになり、10月から空襲が始まりました。1945年4月1日朝、米軍の上陸が始まってからは、言語を絶する様相となります。二度と同じ過ちを犯してはならない。そのために、当時、私が小さな体で体験したことをお話します。
 

ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館

鎮魂と、未来への平和の祈りを捧げる

 
1945 年4月、沖縄に米軍が上陸し、住民も巻き込んだ激烈な地上戦が展開されました。
真和志(まわし)村安里にあった沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の両校からは、生徒222 名、教師18 名が南風原(はえばる)の沖縄陸軍病院に動員されました。
そしてそのうち136 名が戦場で命を落としたのです。戦後、両校から動員された生徒・教師たちを、「ひめゆり学徒隊」と呼ぶようになりました。終戦の翌年、真和志村民らは、沖縄戦末期に米軍のガス弾攻撃を受け、多くのひめゆり学徒や陸軍病院関係者が亡くなった伊原第三外科壕の上に「ひめゆりの塔」を建立し、平和を希求する慰霊の塔としました。

「ひめゆり平和祈念資料館」は、1989 年、ひめゆり学徒隊に関する資料を保管・展示し、戦争の悲惨さを後生に伝えるため建設されました。資料館の建物は、ありし日の女師・一高女を模して作られており、中庭の美しい花園は、戦場で尊い命を失った少女たちの御霊に捧げられています。
2004 年には、戦争体験者が年々少なくなっていく中、若い世代に戦争の実態をより分かりやすく伝えるために、全面的な展示改装を行い、さらに平和への思いを未来へつないでいくための「平和への広場」を増築しています。
 

講演者ご紹介

12月12日(土)

元沖縄県知事。反戦・反基地のリーダー
大田 昌秀(おおた まさひで)先生

【講演テーマ】 沖縄の自立と日本
元参議院議員。沖縄国際平和研究所理事長。
1925年、沖縄県久米島に生まれる。1945年、沖縄師範学校本科2年在学中に鉄血勤皇師範隊の一員として沖縄守備軍に動員され沖縄戦に参戦。九死に一生を得る。1954年、早稲田大学卒業。その後、ニューヨーク州シラキュース大学大学院修了(ジャーナリズム修士号取得)。東京大学新聞研究所で3年間研究。1973年、ハワイ大学イースト・ウェストセンターで1年間教授・研究。
1979年、フルブライト交換教授としてアリゾナ州立大学で1年間教授・研究。1957年~ 89年、琉球大学教授、法文学部長(83年4月~ 85年3月)。1990年~ 98年(2期8年)、沖縄県知事として「平和、自立、共生」を政策にかかげ130万県民のリーダーとして活躍。2001年~ 07年、参議院議員としては国政の場から沖縄・日本の平和構築のために全力を尽くす。現在、沖縄国際平和研究所理事長。

読谷村の平和ガイド
小橋川 清弘(こばしがわ きよひろ)さん

【講演テーマ】基地の中の村づくり
1957年沖縄県読谷村出身。1980 年琉球大学法文学部経済学科卒業。
1981年読谷村役場総務課勤務。2007年読谷村立歴史民俗資料館館長。2011年4月より読谷村役場税務課長。
読谷村役場では、長年に亘り、総合企画・平和行政を担当し、戦後の読谷村の基地問題に身を投じる。
編著には『読谷村史』、『読谷ブックレット』など多数。また、1981年から「読谷まつり」を担当。2004年まで24 年間総合進行係として携わる。

12月14日(月)

「沖縄戦の記憶を継承する」証言者
大嶺 初子(おおみね はつこ)先生

【講演テーマ】 「沖縄戦を生き抜いて~12才の戦争体験~」
中学の家庭科教師を38年間勤め、退職後は沖縄県教職員会女性部の部長、副会長を歴任。

12才で沖縄戦を経験。戦後70年を経た今なお、県内外で「一人ひとりの平和と幸福のために」言語を絶する自身の戦争体験を伝え続けている。

2013年県職員女性部部長時代に、元白梅学徒隊として野戦病院に動員された中山きく先生の体験を基にした絵本『白梅学徒隊 きくさんの沖縄戦』を完成させ、沖縄戦の事実を多くの方に知ってもらいたいと、様々な形で尽力。現在は、琴の音(ことのね)保育園理事として園児を温かく見守っている。

ツアーに参加する前に知識を深めよう!事前学習のご案内

『沖縄の自立と日本――「復帰」40年の問いかけ』  大田 昌秀 他著(岩波書店)

「復帰」とは何だったのか。沖縄返還から40 年が過ぎた今、沖縄を代表する四人の論客が、沖縄の今と
これからについて熱く問いかけます。
※大田昌秀先生には12/12(土)に講演していただく予定です。

『ぼくが遺骨を掘る人「ガマフヤー」になったわけ。』  具志堅 隆松 著(合同出版)

30 年以上に亘り、沖縄戦における犠牲者の遺骨を収集し弔ってきた具志堅氏が、沖縄戦の真実を語ります。
そして新基地建設予定先の辺野古には、現在も多くの戦没者の遺骨が眠っているのです。
*具志堅隆松さんには、12/12(土)の懇親会に参加していただく予定です。

『2014年度伊藤塾沖縄スタディツアー文集』

2015 年沖縄スタディツアー参加者にとっての必読書!しっかり予習をして本ツアーに臨みましょう。
*伊藤塾各校にてお渡ししています。