沖縄スタディツアー参加者の声

伊藤塾 沖縄スタディツアー 2024 感想文

司法試験受験生 ジョーさん

 
1. 「沖縄スタディツアーに参加したきっかけ、理由」
(1) 私の子どもたちが通っていた私立小学校が沖縄について研究していたため、以前より沖縄については興味を持っており、この度、伊藤塾で沖縄のスタディツアーのことを知り、沖縄について法律的な観点からも勉強出来ると思いました。
(2)私は伊藤塾の授業をすべてオンラインで受講しており、他受講生や講師達と直に話せると思いました。また、塾長にも会いたいと思いました。
 
2. 「記憶に残った視察先と感想、抱いた考え、衝撃を受けたこと等」
(1)すべての視察先が記憶に残りました。そのなかでも特に記憶にのこった印象を抜粋します。

(ア)泊城公園では、ガイドさんの説明から、民生部隊という存在を知り、勉強になりました。パールハーバー記念館にも、その存在が記載されているということで、たくさんの犠牲者を出した沖縄戦ではありましたが、民生部隊のおかげで救われた命も少なくなく、戦後の復興にも役に立ったのだろうと知りました。沖縄側にいた民生部隊は日本軍の監視下のもと命がけの行動だったと理解します。ガイドさんが公園の下には特攻廷を隠す空間があるが、それは強制的に朝鮮人によって作らされたと知り、衝撃を受けました。私は在日コリアン三世ですので、あらゆる場所で当時朝鮮人は奴隷のような扱いを受けていたんだなと再認識しました。ガイドさんに当時は朝鮮人に対して差別がありましたか、と尋ねると、もともと沖縄は地政学的にも台湾、中国、朝鮮と日本をつなぐ貿易のかなめとして機能しており、仲良くやっていたが、軍国主義の台頭により、朝鮮人や中国人への差別をするように教育されたと聞かされ、教育の怖さも再認識しました。

(イ)チビチリガマでは、アメリカは鬼畜と教え込まれた沖縄住民がしかたなく自分たちの子どもたちを殺したと聞き、胸が張り裂ける思いでした。特に、このガマには中国で中国人たちを残殺したと思われる在郷軍人会のメンバーがいたため、彼らが捕らえた中国人にしたことを自分たちも捕らわれたらされると本当に思って、沖縄住民を強制死させたことを知り、衝撃を受けました。ひるがえって、他のガマでは、長い間ハワイに住んでから戻った日本人がいたため、チビチリガマのような悲劇は起きず、彼ら日本人がアメリカをよく知っていたのと、米兵と英語で疎通ができたため、ほとんどの隠れた住民は助かったと聞きました。ガイドさんいわくハワイから戻った彼らは日本で皇民化教育を受けなかったため、米兵が捕虜に対して残虐な行為はしないだろうと信じていたからできたことだと言っていました。教育とは本当に恐ろしいものです。他にも、日本の国土の1%程度の沖縄に日本にある70%の米軍基地がある、天皇メッセージ、スマートアメリカントリック、軍官民共生共死の一体化、南京大虐殺を指揮した牛島少将が沖縄守備隊司令官に任命されていた、など知らなかったキーワードや事実を知りました。

(ウ)体験王国むら咲むらでは、三線を体験しました。幸いなことに岡口先生と同じテーブルで一緒に三線をつかい「きらきらおほしさま」を演奏することが出来ました。要領をつかめない私を岡口先生が丁寧に指導してくれたおかげです。岡口先生には本当に感謝します。

(エ)対馬丸記念館では、学童疎開船「対馬丸」が米軍潜水艦によって沈められ、たくさんの子供たちがなくなった記録が展示されていました。冒頭、「戦争と平和」というパワーポイントのスライドをジョンレノンのイマジンをBGMに見せて頂き、思わず涙が出てしまいました。記念館に訪れる子ども達に必ず見せると言っていましたが、パワーポイントには文章はなく、イラストだけですが、戦争と平和の意味を伝えるにはとても効果のある見せ方だと感動しました。この記念館を訪れる子どもたちがきっとこのパワーポイントのメッセージを受け取り、将来のこの国の舵をしっかりと取ってくれるだろうと思いました。

(オ)浦添大公園では、前田高地(ハクソー・リッジ)について詳しく教えて頂きました。事前に映画ハクソー・リッジを見ていたので、当時の戦闘の激しさをより実感できました。朝鮮戦争末期には停戦に向けて38度線付近の高地奪取のため、南北の朝鮮人が大量に命を落としたことを思い出しました。私は北朝鮮も韓国も行き、両方の戦争記念館に行きましたが、高地奪還のために犠牲になった英雄たちは南北で全く別の軍人たちだったのも思い出しました。戦争は立場によって、同一人物がゲリラになったり自由の戦士になったりする恐ろしいものだと再認識しました。

(カ)今帰仁城跡では、琉球王国の起源や歴史について教えて頂きました。薩摩藩に攻められ、薩摩藩の監視下で国がなりたっていたこと、明治維新では沖縄県となり、王国はとりつぶされ、1945年から1972年まで米軍の支配下にいたということを教えて頂き、長い間、植民地のような扱いを受けてきており、私の故郷である朝鮮と似ているなと思いました。

(キ)大浦湾 辺野古では、米軍飛行場の建設に反対する人たちの抗議活動の場所をバスから見学しました。スタディツアー最初の日のディナーパーティでの伊藤塾長のお話のなかに、島耕作の漫画のなかで、建設反対する人たちはお金をもらってアルバイトをしている、と書いてあり、とんでもなくけしかん、さらに、出版社はそれに対して読者の皆様に謝罪している、ふざけるな!読者の皆様ではなく沖縄の人や抗議をしている人たちに対しての謝罪だろ!と怒ってらっしゃったのがすごく印象的です。いつもクールで落ち着いた口調の塾長が理不尽なことや非人道的なことに対しては絶対に許さないと言うスタンスをしっかり持っていらっしゃり、ますますファンになりました。

(ク)斎場御嶽では、琉球王国の聖地を訪れることができ、感無量でした。

(ケ)最後のアブラチラガマでは、野戦病院と化したガマのなかで壮絶な出来事があったことをガイドの方から真摯に説明頂き、心から戦争は絶対あってはならない、と再認識しました。ガマのなかにいた日本兵が朝鮮人をみせしめに殺し、逃走出来ないように言い聞かせたり、中国人は人間ではない、と沖縄住民に行ったり、と当時の軍人の中国人や朝鮮人に対する扱いが人権を完全に無視していたこともガイドさんから聞きました。ガイドさんより、この歴史を風化させてはいけない、皆さんも沖縄の悲劇をたくさんの人に伝えてください、と聞き、心が熱くなりました。

3. 「ツアーで得たもの」
(1)他受講生との結びつき。
(2)沖縄戦を介して、戦争の前では法は無力化し、人権は無視され、人の命が使い捨てになるということの再認識
(3)沖縄の歴史や伝統文化(三線の体験)
(4)伊藤塾の先生方およびスタッフの皆様の情熱と深い心遣い
(5)試験合格に対する意気込み向上(法曹になり世の中の理不尽さを少しでも改善したい気持ちの向上)
などを得ることができました。
 
4. 「ツアーの企画・運営に関するご意見・ご要望」
すべての面において満足です。こんなにクオリティの高いスタディツアーをあの価格で実現されていることに驚嘆です。塾長、呉先生、岡口先生にもご同行頂き、多くの伊藤塾のスタッフの方々がいつでも気をつかって頂き本当に感謝です。また、他受講生たちとのコミュニケーションは今後試験を受けるに向けて本当にためになりました。来年も是非参加したいと思います。受験ももちろん死ぬ気で頑張ります!
ありがとうございました。