2025年沖縄スタディツアー開催のお知らせ
伊藤塾では平和憲法の崇高な理念と価値を学ぶため、毎年12月沖縄へのスタディツアーを企画しております。
今年は12/ 13(土)~12/ 15(月)に実施いたします。
皆様と沖縄を訪れることを楽しみにしております。
伊藤塾沖縄スタディツアー事務局
ツアー概要
塾生以外の方のご参加もお待ちしています!
■旅行期間:2025/12/ 13(土)~12/15(月)(2泊3日)
■旅行代金(2泊3日/お一人様あたり) 3日間の食事代、沖縄での移動費を含みます。
①94,000円(税込)
関東地区:羽田空港発着
関西地区:関西国際空港発着
※航空会社:ANA/全日空利用
②60,000円(税込) 現地集合(航空券なし)
□旅行代金に含まれるもの:往復包括航空券代(①のみ)・宿泊代(2泊)・団体行動中の貸切バス代・食事代(懇親会を含む)・ 記載コースの観光施設費用・旅行期間中の団体傷害保険。
□ 旅行代金に含まれないもの:個人行動中の移動費用・ホテルでの個人利用費用 等。
□ホテル部屋割りについて:原則2~3名で1室利用(男女別)。
◆1名様1室利用ご希望の場合は差額 20,000円-アップ(2泊分の料金です)。
◆ 同室希望者を指定される場合(1部屋2名様まで)は、同室者各々につき差額 3,000円-アップ
※ご希望された場合、2泊とも同じ方とのお部屋になります。
■キャンセル料:キャンセルポリシーをご確認ください。
行程紹介
歩いて見学する場所が多いですので、歩きやすい靴でご参加ください。
12/ 13(土)
| 行程 | 内容 |
| 【往路】 関東地区:羽田空港 7:45頃出発/那覇空港10:45頃着 関西地区:関西国際空港 8:00頃出発/那覇空港10:20頃着 |
・現地集合の参加者は12/13(土) 10:20~10:45までに那覇空港にお集まりください。 |
| 那覇空港からバス移動開始 | |
| 皆さんで昼食 | |
| 読谷村(よみたんそん) 渡具知ビーチ(とぐちびーち) (小橋川清弘さんによるガイド) |
沖縄戦において米軍が沖縄本島に最初に上陸した地が読谷村の泊城公園にある渡具知ビーチです。公園内からは本島より前に上陸した慶良間諸島も望むことが出来ます。 スタディツアーの最初に、元読谷村史編集委員で平和ガイドの小橋川清弘さんと、沖縄戦始まりの地を巡ります。 |
| 読谷村 チビチリガマ (小橋川清弘さんによるガイド) |
チビチリガマは、米軍の沖縄本島上陸の翌日、アメリカ兵からの残虐な仕打ちを恐れて、肉親相互が殺しあうという凄惨な「集団自決」が行なわれた避難豪です。 読谷村史によれば、80名以上が亡くなり、犠牲者の約6割が18歳以下だったといいます。 チビチリガマでの生存者や遺族の方から聞き取り調査を続けてきた小橋川さんのお話は、強く感じるものがあります。 |
| コザミュージックタウン (コザ街歩き・エイサー体験) |
米軍嘉手納基地に隣接し、基地が作った街と言われる通称「コザ(KOZA)」。日米安保条約による米軍基地の恒常化が地域の暮らしにどういう影響を与えているのか、地元ガイドと共にコザのまちを散策し、沖縄が抱える矛盾や現状を学びます。 沖縄の伝統芸能エイサーを実際に体験。太鼓のリズムを通して沖縄文化に触れます。 エイサーは旧盆に県内各地で踊られる盆踊りで、沖縄県民にとって非常に大切な文化であり芸能です。 |
| 懇親会(夕食を兼ねます。) | 懇親会には伊藤真、伊関講師も出席します。沖縄の夜を楽しんでください。 |
| 北谷町(ちゃたんちょう)宿泊 |
宿泊ホテル:ベッセルホテルカンパーナ沖縄
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12/ 14(日)
| 行程 | 内容 |
| ホテル出発 | |
| 国立療養所 沖縄愛楽園 (ハンセン病療養所) 交流会館 |
1938 年、「癩予防法」に基づく療養所(隔離施設)として「国頭愛楽園(くにがみあいらくえん)」(現在の「国立療養所沖縄愛楽園」の前身)が 開設されました。 |
| 皆さんで昼食 | |
| 沖縄記念公園 美ら海水族館 | 沖縄の海 - 豊かな自然や歴史文化の体験をはじめ、イルカたちとのふれあいも楽しめる海洋博公園。 「沖縄美ら海水族館」は、海洋博公園にある人気スポットの一つです。 美ら海水族館内は、各自自由行動でお楽しみいただきます。 |
| 万座毛(まんざもう) |
沖縄を代表する景勝地、本島西海岸の恩納村(おんなそん)にある「万座毛」。 |
| 皆さんで夕食 | ホテル内のレストランで夕食をとります。バイキング方式で牛・豚・ラムなどの肉類から、海鮮や野菜まで、30種のフレッシュ食材が食べ放題です。締めには、沖縄そばも食べられます! |
| 恩納村(おんなそん)宿泊 | 宿泊ホテル:かりゆしビーチリゾート・オーシャンスパ |
12/ 15(月)
| 行程 | 内容 | |
| ホテル出発 | ||
| 平和祈念公園 | 本島南部の「沖縄戦終焉の地」糸満市摩文仁の丘陵を南に望み、南東側に険しく美しい海岸線を眺望できる台地にある公園です。 公園内には沖縄戦の写真や遺品などを展⽰した平和祈念資料館、沖縄戦で亡くなられたすべての⼈々の氏名を刻んだ「平和の礎」、戦没者の鎮魂と永遠の平和を祈る「平和祈念像」、そして摩文仁の丘の上には国⽴沖縄戦没者墓苑や府県、団体の慰霊塔が50基建⽴されています。 |
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| ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館 | 那覇市安⾥の「沖縄師範学校⼥子部」と「沖縄県⽴第⼀⾼等⼥学校」から看護要員として戦争に動員され、戦後に「ひめゆり学徒隊」と呼ばれた生徒・教師240名。 ひめゆりの塔は、戦争により亡くなられた「ひめゆり学徒隊」の内136名と、同学徒隊以外の両校の在校生・教師91名、合計227名が刻銘された慰霊碑です。 また、ひめゆり平和祈念資料館は、証⾔映像や当時の写真、学徒隊が負傷兵の看護にあたった壕の実物⼤模型などを通して、厳しい環境で働き、最後は解散命令により突如戦場に放り出されることとなった学徒たちが体験した、沖縄戦の実相を伝えています。 |
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| 皆さんで昼食 | ||
| 世界文化遺産 斎場御嶽(せーふぁうたき) | 琉球の創世神話に登場する「七御嶽」の中でも、最高位とされる「御嶽(聖地)」です。 琉球王国時代に国家の繁栄と五穀豊穣を祈願する祭祀として行われ、現在まで続く行事「東御廻り(あがりうまーい)」の参拝地として崇拝されています。 琉球国王が国家繁栄・安寧、五穀豊穣、航海安全などを祈願した六つのイビ(神域)などをガイドの方と一緒に見学します。 |
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| 糸数(いとかず)アブチラガマ | 沖縄本島南部、南城市玉城字糸数にある自然洞窟です。沖縄戦時、元々は付近の糸数集落の避難指定壕でしたが、その後は日本軍の陣地壕や倉庫として使用、戦場の南下に伴い、南風原陸軍病院の分室となりました。軍医、看護婦、ひめゆり学徒隊が配属され、全長270mのガマ内は600人以上の負傷兵で埋め尽くされました。 病院撤退後もガマに取り残された人たちがいましたが、そんな人たちを外に出すため、米軍に焼き払われた跡が今も残ります。そんなガマで過ごした人々の足跡を、ガイドの方と共に辿ります。 |
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| 那覇空港へ | ||
| 【復路】 関東地区:那覇空港 18:25頃出発/羽田空港 20:50頃着 関西地区:那覇空港 19:55頃出発/関西国際空港 21:45頃着 |
現地集合の参加者は12/9(月)那覇空港18:00出発以降の飛行機を準備願います。 | |
| 沖縄のことが好きになり、もっと色々と調べてみたい、という思いをお持ち帰りいただければ幸いです。 |
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※上記スケジュールは現地施設ならびに見学先の都合または天候状況にて一部変更になることがあります。
2025年沖縄スタディツアー 訪問予定地
■12/13(土)
■12/14(日)
■12/15(月)
(さんぐーい)
沖縄スタディツアーの予習にオススメ! 映画「宝島」
2025/日本「宝島」(配給:東映、ソニー・ピクチャーズエンターテインメント)
県民の4人に1人が亡くなったという沖縄戦。終戦から7年後の1952年からこの映画が始まります。物資の乏しい生活の中、米軍基地に金網を越えて潜入し、奪った食料などを身近な人々に分け与えた「戦果アギヤー」と呼ばれる若者たちがいました。その中心人物「オンちゃん」(永山瑛太)がある襲撃の一夜を境に姿を消します。彼を探し続けるグスク(妻夫木聡)、ヤマコ(広瀬すず)、レイ(窪田正孝)のその後の20年間を描いたのが本作品です。
ただ、本作では物語の縦軸として「オンちゃん」の探索が据えられているものの、それ以上に見ておきたいと思ったのは、その過程で起こる事件や、沖縄の人たちを象徴するような主人公たちの生々しい心情です。例えば映画の主な舞台であるコザの町。今回のツアー1日目で訪れる米軍嘉手納基地に隣接するそのエリアは、米兵を相手にした商業で発展する一方で、沖縄の他の地域同様、負の経験も積み重ねてきた場所でもあります。1970年には、アメリカ統治に対する不満が爆発する形で起きた「コザ暴動」の現場となり、それは本作でも象徴的なシーンとして再現されています。主人公が「なんくるないで済むかぁ!なんくるならんどぉ!」と叫ぶまで、沖縄が何を我慢してきたのか。その一部だとしても、この映画では体感することができます。
本作では、コザの他にも場所は違いますが、ガマや御嶽など訪問予定の場所が取り上げられていますので、このツアーで触れるモノ・コトを自分事として見るための一助として、とってもおススメの映画です!原作の同名書籍もありますので、合わせて手に取られてみてはいかがでしょうか。
■沖縄愛楽園 ~ハンセン病隔離政策と、その後のハンセン病問題~
ハンセン病はかつて「らい病」と呼ばれていました。日本では1907年からハンセン病隔離政策が始まり、1931 年「癩予防法」が制定され、国がハンセン病患者を生涯にわたって強制的に隔離する政策を進めました。
1938 年、「癩予防法」に基づく療養所(隔離施設)として「国頭愛楽園(くにがみあいらくえん)」(現在の「国立療養所沖縄愛楽園」の前身)が 開設されました。
第二次世界大戦後、ハンセン病は日本でも薬で治すことができるようになったにも関わらず、1953 年「らい予防法」が制定され、強制隔離は継続されました。「日本復帰」後、沖縄は日本の「らい予防法」下に入り、隔離政策は法律が廃止される1996年まで続きました。
国の強制隔離により、ハンセン病患者とその家族はひどい人権侵害と差別を受けました。
療養所に隔離された患者は、家族と引き離され、療養所の中では強制労働を強いられたり、決まりを守らないと牢屋に閉じ込められたりしました。患者の家族は、元の家に住めなくなったり、離婚させられたりしたため、ハンセン病患者の家族であることを隠して暮らしていかなくてはなりませんでした。
2001年「らい予防法違憲国家賠償訴訟」(熊本地裁判決)で国の人権侵害が認められ、2019年「ハンセン病家族訴訟」(熊本地裁判決)では、患者の家族が受けた被害も国に責任があると認められました。
2009年「ハンセン病問題基本法」が施行され、「偏見と差別のない社会の実現」に取組み、国は被害を受けた人たちの名誉回復のための啓発活動を行っています。しかし、ハンセン病になった方とその家族に対する、差別と偏見は現在も根強く残っています。
全国13カ所にあるハンセン病療養所には、過去の偏見差別などから社会に復帰できずに今でも多くの方が暮らしています。沖縄愛楽園には、令和7年4月末現在76名の方が入所されています。
<参考資料> ※中学生向け教材(資料)ですが非常に分かりやすいです。
- 「ハンセン病の向こう側」 ―中学生向けハンセン病問題の授業―
YouTube動画 (国立ハンセン病資料館チャンネル)
https://www.youtube.com/watch?v=LeSQarJRlCk
- 「ハンセン病の向こう側」 ―中学生向けパンフレット―(厚生労働省発行)
https://www.mhlw.go.jp/houdou/2003/01/dl/h0131-5i.pdf
宿泊ホテル
2025年 ツアー参加講師
伊藤 真 塾長
沖縄スタディツアー参加者の声
司法書士試験合格者 M.Iさん
今回、伊藤塾スタディーツアーに参加したのは、私淑する伊藤塾長に実際にお会いしてみたいと思ったのがきっかけでした。
先の戦争の痕跡や未だ基地問題に苦しむ沖縄を辿る今回の旅は、自分がいかに無知であったかを教えてくれました。
司法試験受験生 ジョーさん
私の子どもたちが通っていた私立小学校が沖縄について研究していたため、以前より沖縄については興味を持っており、この度、伊藤塾で沖縄のスタディツアーのことを知り、沖縄について法律的な観点からも勉強出来ると思いました。
司法試験受験生 E.Yさん
現地の方々の言葉を生で直接聞く体験は本当に貴重な経験だった。参加された皆さんもとても良い方々ばかりで、先生方とも夜遅くまで、色んな話ができたことは本当に貴重なひとときだった。
司法試験受験生 R.Hさん
戦地・基地・世界遺産・日常の国際通りにはそれぞれの顔があり、ガイドさん達からは、1人で訪れて資料館やパンフレットを見るだけは知ることのできない、貴重なお話を伺うことができました。
あおばさん
今年で3度目の参加となりました。昨年までは、沖縄の過去と現在の実情に衝撃を受け、そこばかりに目が向いていました。しかし今年は、沖縄で見聞きすることは私たちの地域、社会と全てつながっているのだと強く感じました。
H.Yさん
伊藤先生は「このツアーは憲法を国民の間に広めるメッセンジャーを育てるためのもの」と言われました。80歳になる私にもその願いを託していただけるだろうかと、重く受け止めました。
お問い合わせ先
ビッグホリデー(株)関西支店
スタディツアー担当窓口
(TEL)06-6233-5311 (FAX)06-6233-5312
(MAIL) kansai1@bigs.co.jp
[受付時間月~金 9:30~17:30 (土日・祝日は定休日)
研修企画
伊藤塾 沖縄スタディツアー事務局
担当:桑山、井上、柳原、熊谷
(MAIL) okinawa-st@itojuku.co.jp