実務家レポート

弁護士 分部悠介先生
IP FORWARD グループ総代表・CEO

経歴 1999年 東京大学在学中 司法試験合格    2000年 東京大学経済学部卒業
            株式会社電通入社
   2003年 弁護士登録。長島・大野・常松法律事務所入所
   2006年-2009年
        経済産業省出向 IP FORWARDグループ創立

※先生の所属事務所等プロフィールは、取材時のものです。

自分に負荷をかけるため、司法試験を目標に勉強

弁護士を目指すという強い意思は特にありませんでした。ところが、ある日新しい受験指導校が立ちあがる、という案内を大学の前で見かけたのがきっかけとなり、法律家を目指すこととなりました。ここの代表とは高校・大学が一緒で、しかも高校の担任が一緒だったという繋がりもあったことも、興味をもったきっかけです。体験講義では法律がとても面白く感じられ、当時ゲームばかりやっていた自分に負荷をかけるという意味でも、司法試験を目標に勉強することにしました。

司法試験合格後、電通に入社。修習を経て大手法律事務所に

大学時代は格闘系ゲームの全国大会に出場するくらいゲームに没頭していたので、司法試験合格後もゲーム業界に従事したいと思っていました。
そんな中、広告代理店である電通が権利売買を始めたと聞き、ビジネスの世界に身をおくのも面白そうだと思い、修習には行かず、電通に入社しました。

その後2年間働くうちに、型にはまらないユニークな弁護士が増えるべきだと、弁護士の立場からコンテンツビジネスに関わろうと考え、延期していた司法修習を経て弁護士の資格を取得しました。

そして、知的財産分野をサポートするローファームの設立という発想から、長島・大野・常松法律事務所が知的財産部門の建て直しを考えていると聞き、立ち上げメンバーとして入所させていただきました。特許、商標権など知的財産権全般において法律家の役割が必要とされ始める頃でした。

弁護士の新しい仕事が生まれる。
その期待から経済産業省へ出向

2 0 0 4 年、模倣品・海賊品などの被害に対応するため経済産業省は模倣品対策室を設立しました。企業のアジアでのビジネスを円滑に安全に行えるよう、偽物対策の専門部門をおき経済立国としてサポートすることが目的です。この部門に任期付公務員として弁護士を募集するということで、当時の事務所の所長の推薦を受け、出向することになりました。所長に推薦の理由を聞くと「まだこの部門で何を弁護士にやってもらうか、明確に決まっていない。だから君を推薦した。」と聞き、これは新しい仕事が何か生まれる、なんとなく面白そうだ、と出向をお受けしました。

具体的には中国アジアでの日本企業の偽物被害に対応することが業務です。被害を
受けた国の法律を調べ、法益や仕組みを理解します。そして被害を軽減するにはどのように法律を変える必要があるのか、そして最後はその国の制度を具体的に変えていくよう、啓発していきます。

世界中に出回る偽物は中国案件がとても多く、仕事も中国関連が主なものでした。
中国の役人は専門性に富みプライドも高いので、政府間の交渉は経済産業省の官僚だけでは話がうまく進みません。問題点を的確に指摘することが私たち法律家の役目です。中国は工業生産による低付加価値産業から高付加価値産業への脱却を目指していました。イノベーションを産業に変換しないと中国の未来はないと考えていたのです。そのような中国政府のニーズともマッチし、中国の法律整備にも携わることができました。出向していた当時は日中関係も良好で2006年4月から2年という期限でしたが、密度の濃い業務は1年間延長になりました。

日中関係に新しい流れを注ぐ

出向後は中国で知的財産を柱にした業務に携わりたいと考え、事務所の海外研修
制度を使い中国へ渡りました。本来ならば、ロースクールやローファームで経験を積むのですが、私の場合は実務中心、経済産業省での出向時代に培った偽物対策の業務を行いました。このころの私は研修の身分でしたが、看板を借りて業務を行い、人材も雇用するまで業績を上げて、事務所にはパートナー扱いされるまで働きました。

海外研修期間も終わり、私は中国での経験を活かすべく、知的財産の専門性と信頼性の高い法律サービスを提供する弁護士事務所、コンサル会社の起業を決意しました。

アジア発展の鍵は、日本と中国です。この二つの国が本当の意味で力をあわせれば
世界最強になることは間違いありません。今の冷え切った関係を改善し、日中交流の促進、たとえば、若者が相手の国の“あれ、いいよね”というものを増やしていき、国と国の関係に新しい流れを注ぎこみたいです。

会社の忘年会の様子


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