新分野の法律業務を開拓する面白さ

黒田 健二 先生(弁護士)

「20年後に必要とされる法律家」になることを決意

私がもともと弁護士を目指したのは、家族が不動産トラブルに巻き込まれたことがきっかけです。大学を1年で中退し、旧司法試験を一次試験から受けて20歳で合格、弁護士登録は23歳の時でした。合格後の司法修習で、弁護士の活動領域は一般的な民事・刑事事件だけではなく、様々な分野に広がっているということを知った私は、この先50年間弁護士をやるならば他の人がやらない仕事がしたいと考えるようになりました。現在は必要ないが、20年後には必要とされるような弁護士になってみてはどうかと思ったのです。そして、将来伸びそうな分野とは何か、考えた結果の一つが中国でした。弁護士登録後は、中国への語学留学、米国弁護士資格取得を経て、中国の復旦大学に給費留学しました。この頃の中国は、天安門事件で多くの方が亡くなり、社会的には死に絶えたようなムードでした。当時は「中国に学ぶべき法律などない」と言われるほどでしたが、その後、中国は2001年のWTO加盟を機に外国企業に市場を開放し、一大消費国として、世界にとって魅力的な市場となっていきます。

中国と知財関係のスペシャリストに

最初に携わった大きな中国関係の仕事としては、日本の大手の家電メーカーと香港企業の合弁会社が、さらに中国広東省で政府系企業と合弁をつくるというプロジェクトでした。中国語と香港法がわかり、英語と中国語で契約書を作成できる弁護士をその企業が求めていたんです。そういう経験を持った弁護士が私以外にいなかったので起用されたのです。私は現在、知的財産権の分野にも携わっているのですが、中国と知財関係はクロスオーバーする領域が増えています。非常にうまくいったケースでは、2002年の日韓ワールドカップがあります。私は98年からFIFAの代理人をしているのですが、98年のフランス大会の時はたくさんの偽物の商品が出て、200件もの訴訟を提起しなければなりませんでした。しかし、2002年の大会では1件で済ませることができました。それは、偽物対策はまず中国にあると考え、中国で徹底的に、偽物をたたいていったことによります。結果的にほとんど日本に偽物は入らず、依頼者からもたいへん感謝されました。

明日の法律家へ向けて

私は他の弁護士がなかなかやらない分野に携わってきましたが、仕事は非常に楽しいです。弁護士になり26年が経ちますが、ほとんどの案件が、一から勉強しなければならないようなものです。疲れることもありますが、自分で考えて次の手が打てるのは楽しいですし、うまくいった時の喜びは格別です。青色LED事件に携わった時も一から青色LEDにつき勉強しました。この事件では、代理人に就任して以後、連勝を勝ち取り、最終的には有利な和解ができたのですが、以後、LEDに関しての依頼が来るようになりました。どんなことも好奇心を持って、難しそうに見える技術も一から勉強していく。正直、とても時間がかかりますが、面白いです。これから法曹を目指される方は「人がやらないようなことやる弁護士」を目指すのも面白いのではないかと思います。 2011年6月11日 明日の法律家講座第179回「新分野の法律業務を開拓する面白さ」より
■Profile
1983年 司法試験合格(20歳での全国最年少合格)
1986年 弁護士登録
1986年 蓑原法律事務所勤務
1986年~1988年 升永永島橋本法律事務所勤務
1988年 北京言語学院 デューク大学ロースクール法学修士(LL.M.)Johnson Stokes& Master法律事務所 勤務
1990年 復旦大学法学部高級進修生
1991年 米国ニューヨーク州弁護士登録
1992年 日本弁理士会登録
1995年~現在 黒田法律事務所・黒田特許事務所代表弁護士・弁理士
 
■当事務所の主な業務内容
知的財産権分野、中国投資分野、金融分野、通商分野における法律業務・特許出願業務


■事務所プロフィール
黒田法律事務所・黒田特許事務所
http://www.kuroda-law.gr.jp/index.html
 
■当事務所の所属弁護士数
弁護士22名((日本人13名、中国人6名、台湾人2名、米国人1名)
弁理士2名 
秘書25名(英語担当8名、中国語担当15名、台湾担当2名)
英文翻訳部3名
中文翻訳部5名
特許商標事務3名
情報システム部2名
経理部3名
人事・マーケティング部6名(兼務者含)
受付・キッチン担当2名
(2011年11月末日現在)

■事務所の主な業務内容
知的財産権分野、投資分野、金融分野、通商分野における法律業務・特許出願業務