努力の方向性さえ間違っていなければ合格水準に達する。今の苦しさは将来の輝きである

\ 予備試験ルートで司法試験合格 / 

飯嶋 太郎  さん

合格者
慶應義塾大学法科大学院(既修)中退(予備試験合格のため)
◆ 予備試験合格時 /慶應義塾大学法科大学院(既修)2年
◆ 出 身 大 学/学習院大学法学部
◆ 受 講 講 座 /司法試験入門講座本科生+リーガルトレーニング・司法試験演習秋生・司法試験論文過去問マスターなど
※プロフィールは、2019年合格時点のものです。

はじめに

小学6年生の頃、シャワーを浴びながらふと裁判官になりたいと思った。争いごとには必ず相対立する考えをもった複数の人間が存在する。真実は当事者にしか知りえないはずなのに、その当事者の考えが互いに異なり、また考えが同じであってもその前提となる事実の認識が互いに異なるために、真実をめぐり争いが起こる。裁判官は、中立的な視点で一つの考えを画立し、事実を認定することによって、「真実」とは異なるものの、互いが納得する妥協点としての「仮の真実」なるものから争いの解決を目指す。そうした中立的立場で紛争を解決することを仕事とする職に就くことができれば、世間の平和に貢献できるのではないかと、小学生ながらに感じていた。司法試験を目指して勉強している先輩たちが伊藤塾に入塾しており、よい成績であったから大学2年次に入塾した。

私の勉強方法

〈基礎学習について〉

基礎がなければ応用はできない。そこで、基礎マスターは徹底的にこなす必要がある。私の場合、基礎マスターの受講後、翌日に該当箇所の復習を行った。しかし、当然ながら司法試験は論文式試験の比重が高く、インプットのみの学習では対応できない。そこでアウトプットとして論文マスターをこなすことになる。受講の際には事前に問題に目を通し、簡単に構成を頭で考えたうえで講義を聴いた。1回目はあまり徹底した復習をせず、とにかく先に進むというイメージでこなしていった。2回目以降は基本的に構成用紙に構成をし、解答例で確認することがほとんどであった。問題の内容や、自分の出来に応じて適宜答案を作成したが、答案作成は新司法試験の過去問で行い、やはり基本的に論文マスター(問題研究)については構成程度にとどめていた。問題研究は最終的に10回以上こなし、問題を見て瞬時に論点名、論証、構成が出てくるまで仕上げた。問題研究に掲載されている旧司法試験の問題は基礎的かつ典型的な論点が目白押しの良問であるため、何度解いてもその都度発見がある。そのため、インプットとしての基礎マスターとアウトプットとしての論文マスターをこなしてさえいれば、対応できない問題はほとんどないであろうと考えている。

〈司法試験に向けた学習について〉

司法試験は法曹実務家登用試験であるため、基本的な条文や判例の理解が重要であると思う。細かい学説の対立にまで深入りするのは、司法試験合格を遠ざけることになると考えている。そのため司法試験に向けた学習としては、条文の構造や趣旨の理解、判例の立場の理解を中心に行った。とはいえ、それらの学習において特別な教材などが必要であるわけではなく、結局は基礎マスターテキストと論文マスター(問題研究)、新司法試験の過去問に尽きるのではないかと思う。私自身、様々な演習書に手を出したのは事実であるが、それらの演習書をこなしたからといって、その成果合格後の自分がどれだけ出たのかは定かでない。少なくとも、私の受験当時の能力では演習書を独りで使いこなすことはできず、上記3点セットを繰り返し使用することが最も有益であった。基礎的な問題を徹底的にやりきるという姿勢が重要である。

予備試験を目指した理由

大学に入学し、予備試験という制度があることを知ったときから予備試験受験を考えはじめた。当初から早く法曹実務家として働きたい、世間に貢献したいと思っていたため、できるだけ早く司法試験受験の資格を得たかった。また、早く実務家になりたいと思いながらも、受験に対する甘さから大学受験に失敗し、同級生より遅れて大学に入学することとなったため、その遅れを取り戻すべく予備試験に合格して法科大学院修了を待たずに司法試験受験資格を得る必要があった。

おわりに

伊藤塾は、学習の方向性を示してくれた点がよかった。司法試験の学習は、方向性を間違えると途端に合格から遠のいてしまう。広く深い法学という学問のなかで、司法試験合格に必要な要素や方向性を示してもらわなければ、ここまで来ることはできていなかったと思う。司法試験合格を目標とした学習はとても長く、辛いものである。そして、学習の成果が現れづらく、「もうやめたい」と思うことが多々ある。ただ、司法試験に合格し、法曹実務家として活躍することを夢に見て、ひたすらに前を向いて努力し続けていれば、いつかは必ず報われる日が来る。努力の方向性さえ間違っていなければ、知らないうちに合格水準に達している。今の苦しさは将来の輝きであると信じ、努力をし続けてほしい。