第357回 桜と多様性

東京近郊の自然の中でこれを書いています。先ほどまで渋谷伊藤塾近くにある高層ビル・サクラステージ内のカフェで塾前の桜並木を見ながら書いていたのですが、気の置けない講師仲間の数人とちょっとした気分転換に来ています。自然の中にいると無数の多様な命に生かされていることを実感します。里山の桜もいいのですが、私にとって桜丘の桜はやはり特別です。
昨年まで桜色の提灯が桜坂入り口に並んでいたのですが、その前で写真を撮る観光客を避けるためか、今年はサクラステージ内に移ってしまいました。それでも外国人観光客がスクランブル交差点、ハチコウに続いて桜丘の桜を観に来るようで、夜のライトアップの時間帯は大変な人だかりです。
かつて渋谷桜丘町のあたりの丘は「海江田山」と呼ばれ、薩摩軍の海江田隊長が桜の木を植えて住宅地として開発したことが現在の「桜丘」という地名の由来となったそうです。戦後は桜の木が切られてしまいしばらく柳の並木になっていましたから、私が大学生の頃はこの辺りに桜のイメージはありませんでした。
それが1991年に道玄坂から撤去されることが決まった7本のソメイヨシノをこの町が引き取り、桜丘町さくら通りに移植して今のような見事な桜並木が出来上がりました。まさに地元の皆さんの努力の賜です。今では近隣の高層ビルとも調和して見事な景観となっています。また、欅坂46の人気楽曲『サイレントマジョリティー』(2016)のMVは渋谷駅前の工事現場で撮影されましたが、最後にこの「さくら坂」をバックに、20人の選抜メンバーが並ぶカットは壮観です。そのメッセージ内容とともに好きなMVです。
実はこの桜丘の桜もそろそろ寿命を迎えます。当然のことなのですが、桜の木にも寿命があります。毎年変わらぬ花を咲かせて私たちの心を和ませてくれるので、これからもずっと続くと思ってしまうのですが、永遠に続く命はありません。すでに老木の域に達しているものも多く、倒木の危険があるということで昨年も何本か伐採されました。台風の強風やビル風に持ちこたえている様子は健気なのですがハラハラします。
ここの桜はソメイヨシノ中心ですが、桜にも様々な品種があり、咲く時期もまちまちです。そのおかげで、河津桜や寒桜から八重桜、関山など結構長い間、美しい花を楽しめます。それぞれの品種が持つDNAの多様性ゆえの恩恵です。
代々受け継がれてきた桜のDNAが、満開の花、桜吹雪、葉桜と人々を和ませてくれるわけです。桜の木自体は別に人間を楽しませるために咲いているわけではなく、単に種の保存として毎年、開花を繰り返しているだけなのでしょう。それでも私たちはこの桜に、花言葉や散り際の美しさなどから特別の意味を持たせようとします。第104回などの雑感で書いたように桜には「素晴らしい教育」「気高い精神」などの花言葉があり、伊藤塾にぴったりだと思っています。
桜のDNAは続いているけれども、目の前の桜の木そのものは老木として朽ち果てようとしています。それに対してはいろいろ考えてしまいます。実は今年に入って、身近な人が何人か亡くなりました。命というものを考える機会が増えたといってもいいかもしれません。
「DNAを運ぶ箱船」という概念があります。もともと、旧約聖書の「ノアの箱舟」に由来し、絶滅危惧種のDNAを保存し、将来的な生物多様性の保全を目指すプロジェクトやアイデアを指しているのですが、考えてみれば、私たちの身体自体がこの箱船のようなものです。肉体は滅びたとしても子孫を残すことで、自分のDNAを次世代に継承することができます。今を生きる生物としての人間はDNAを通じて生命の情報を次世代に伝える存在でしかないともいえます。
確かに私たちは次世代にDNAを運んでいるのですが、まったく同じものをコピーをして次につなげているわけではありません。そこが興味深いところです。環境の変化に応じて、またときに突然に、DNAが少しずつ変容してきたからこそ人類は進化し生き残ったのだと言えます。その変化の仕方も多様であるが故に絶滅せずにその一部が生き残っているわけです。もし、これがすべて同質的なDNAを持った人間ばかりであったら、大きな環境変化や感染症の蔓延などによって人類は絶滅していたかもしれません。体格や肌の色などの生物学的な違いのみならず、文化、生活様式などを含めて多種多様であるが故に、人類は、様々な環境変化や疫病の蔓延、そして戦争を乗り越えて、20万年前から生き永らえることができたのです。
ならば、多様性は人類という種にとって本質的に必要なことであるはずです。白人のみの社会や特定宗教のみの社会、特定の文化風習を持つ人々のみで構成された同質的な社会は脆弱なのです。トランプ大統領はアメリカを再び偉大にする(Make America Great Again)ためにDEI(Diversity・Equity・Inclusion)を否定したり、移民に冷淡な政策を取ったりしていますが、果たしてこれでアメリカが偉大になるのか疑問です。世界中からの移民によって多様な人材が活躍したからこそ、アメリカは現在のような偉大な国になったはずです。多様性が否定されたアメリカの未来など想像できません。
この多様性という観点からみると、一人ひとりの人間が多様であってよいのと同様、そうした多様な人の集合体である国家も多様であっていいはずです。歴史、文化、伝統、政治体制なども本来は千差万別でいいはずです。たとえば、外交関係において特定の国とだけ友好関係を結ぼうとする国もあるのでしょうが、様々な国と対等な外交関係を築く全方位外交も一つの国策の在り方です。安全保障も同盟政策によって軍事力に依存する国もあるでしょうが、あくまでも協議の場を設けようとする集団安全保障や共通の安全保障をめざす国もあっていいはずです。先が見えない戦争の時代を生き延びるためにも、個性的なその国らしい安全保障を掲げる国があってもいいと思うのです。
最近、中学・高校で若い人たちに憲法の話をするときに、私が好んで話している話題があります。アルパカという、カシミヤよりも良い毛が取れるラクダ科の動物の話です。穏やかでかわいらしい動物なので、縁のある青森・六戸町で飼おうかと思って探したこともあるくらいです。子どもたちでも結構知っているので、「アルパカとかけて、憲法9条と説く」というなぞかけをします。「その心は?」・・・「専守防衛」です。
アルパカは争いを好まない穏やかな性格です。上の歯がなく、いつも口をもぐもぐさせていますが、知的で分別のある動物です。攻撃されたときには臭い唾を吐くことがありますが、自分から牙で襲いかかることはありません。他の動物と仲良くしやすい性格で、結果としてアンデスの山で生き残っています。他の動物とかなり違う個性があるが故に生き残っているのです。この話を通じて、日本が2014年まで堅持してきた憲法9条に基づく本来の専守防衛という安全保障政策は、まさにアルパカの生き方のようではないかと伝えると、意外性があって興味を持ってくれます。
人も国も違いがあるからこそ良いのです。また、違うからこそ話し合っていかないと理解できないことや、話し合ったとしてもすぐに解決できないこともたくさんあります。だからこそ話し合いを続けることが大切であり、その忍耐力を付けることが賢く生きるためには、人も国も必要なのだと考えています。
そして私たちは肉親から生物学的なDNAを引き継いでいるのみならず、前の世代の人々から社会としてのDNAも引き継いでいます。それが文化や伝統であり、その地域や国の個性となっているのです。また、志を同じくする組織の年長のメンバーが大切にしていた志を後輩のメンバーが引き継ぐことによって、その組織のDNAが継承されていくわけです。
そもそも志は一朝一夕で成就するようなものではありません。その実現に向けて何世代もかけて継承し努力し続けるべきものだと考えています。また、その実現方法は時代の変化に合わせて多様であっていいはずです。マイナーチェンジしていく部分と変わらぬ本質的部分とを見極めながら、時と共により洗練され深化していくべきものです。ここでも忍耐強くあり続けることが必要です。
伊藤塾は今年5月で創立30周年を迎え、新たなステージに入ります。これまでの伊藤塾として大切にしてきたDNA(やればできる、必ずできる)はここを巣立っていった多くの塾生に引き継がれていると信じています。今後も何があっても諦めないしぶとさと忍耐強さやレジリアンス(resilience)を併せ持った多様な志業や公務員を送り出していきたいと思います。
伊藤 真
司法試験・公務員試験対策の「伊藤塾」塾長・伊藤真の連載コーナーです。
メールマガジン「伊藤塾通信」で発信しています。
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