2026.05.01

第370回 再審法改正と憲法

再審制度は、確定判決の誤りを是正し、えん罪被害者を救済するための「最後の砦」です。刑事裁判において、ひとたび有罪判決が確定すれば、被告人は身体の自由、名誉、職業、家族関係にとどまらず人生そのものにまで回復困難な被害をこうむります。とりわけ死刑や無期懲役のような重大事件では、誤判は国家による取り返しのつかない人権侵害となります。これは、平時における最大の人権侵害といえます。

 

その意味で、再審法改正の目的は明確です。すなわち、えん罪被害者を一日でも早く救済し、憲法が保障する個人の尊厳、身体の自由、適正手続、裁判を受ける権利を実質化することです。ところが、法制審議会が取りまとめた刑事再審手続に関する要綱骨子は、この目的に十分応えるものとはいえません。法制審議会は2026年2月12日、刑事再審手続についての要綱案を採択し、法務大臣に答申しましたが、各地の弁護士会からは、えん罪救済を迅速かつ実効的にするものではなく、むしろ救済を困難にする危険があるとの批判が出されました。

 

第一に問題なのは、再審開始決定に対する検察官の不服申立て、いわゆる検察官抗告を禁止していない点です。再審開始決定は、ただちに無罪を確定させるものではありません。あくまで、もう一度審理を開くという判断にすぎません。有罪・無罪の実体判断は、その後の再審公判で行われます。したがって、検察官は再審公判において、なお確定判決の正当性を主張することができます。

 

にもかかわらず、再審開始決定の段階で検察官抗告を認め続けることは、えん罪被害者の救済を長期にわたって遅らせる制度的原因となります。千葉県弁護士会も、再審開始決定は再審公判の開始を決めるだけであり、検察官は再審公判で主張できる以上、開始決定への不服申立てを認めなくても不都合はないと指摘しています。

 

袴田事件をはじめ、長期にわたる再審事件が示しているのは、えん罪救済において時間そのものが人権侵害になるという事実です。無実の人が何十年も「有罪」の烙印を押され、自由を奪われ、社会生活を破壊される。その間に本人も家族も高齢化し、亡くなることさえあります。再審開始決定後も検察官抗告によってさらに救済が遅れるならば、それはもはや「慎重な手続」ではなく、「救済の引き延ばし」です。憲法13条が保障する個人の尊厳、憲法31条の適正手続、憲法37条の迅速な裁判の理念から見ても、再審開始決定に対する検察官抗告は原則として廃止されるべきです。

 

第二に、証拠開示の不十分さも重大です。証拠の多くは捜査機関や検察官の側に保管されています。えん罪を明らかにするための証拠が国家機関の手元にありながら、請求人側がそれに十分アクセスできないのであれば、再審請求は出発点から著しく不公平です。これは単なる刑事訴訟法上の技術問題ではありません。国家権力によって処罰された者が、その処罰の誤りを争うために必要な資料へアクセスできるかという、憲法上の防御権・裁判を受ける権利の問題です。当事者間の武器対等(equality of arms)が確保されていなければ、公平な裁判とは到底いえません。

 

2025年6月に、超党派の国会議員による「えん罪被害者のための再審法改正を実現する議員連盟」が再審法改正案を取りまとめ提出しましたが、この議員連盟案が評価されるのは、まさにこの点です。議員連盟案は、再審請求手続における検察官保管証拠等、送致書類等目録を含む証拠の開示を幅広く認め、さらに再審開始決定に対する検察官の不服申立てを全面的に禁止する方向を示しています。鹿児島県弁護士会も、議員連盟案はえん罪被害者を適正かつ迅速に救済し、基本的人権の保障を全うする観点から策定されたものであり、法制審議会の要綱骨子より優れていると評価しています。

 

第三に、法制審議会案には、制度設計の出発点そのものに疑問があります。再審法改正は、えん罪を生み出してきた刑事司法の構造を検証し、誤判救済のために制度を変える作業です。ところが、その議論が、法務省・検察の強い影響の下で進められたとすれば、救済制度を作る側に、本来検証されるべき側の論理が入り込みやすくなります。法案作成の手続においても適正さ、手続的正義は要求されるべきものです。京都弁護士会は、法制審議会の人選や運営について、法務省刑事局が主導し、結果として「法務・検察による法務・検察のための再審法改正案」といって過言ではないと厳しく批判しています。

 

さらに法制審議会案では「スクリーニング」や「目的外使用規制」といった新たな制度が導入され、むしろ請求人側のアクセスを制限する方向に制度が動いています。これは明らかに後退です。

 

再審制度は、国家刑罰権の誤りを国家自身が認め、正すための制度です。したがって、そこで最も重視されるべきは、検察官の訴追維持の利益ではなく、誤って処罰された個人の救済です。憲法は、国家権力を制限し、個人の権利を守るために存在します。再審法改正を憲法の観点から考えるなら、問われるべきは「検察にとって不都合がないか」ではなく、「無実の人を救う制度として十分か」です。

 

確定判決の安定性はもちろん重要です。しかし、それは誤判を放置してよいという意味ではありません。裁判の権威は、誤りを認めないことによってではなく、誤りが明らかになったときに正すことによってこそ保たれます。再審は、確定判決の権威を破壊する制度ではありません。むしろ、司法が自らの誤りを正すことによって、司法への信頼を回復する制度です。

したがって、再審法改正において不可欠なのは、少なくとも二つです。第一に、再審請求人が検察官保管証拠に実効的にアクセスできる証拠開示制度を整備すること。第二に、再審開始決定に対する検察官抗告を禁止することです。この二つを欠く改正は、えん罪救済のための改正とは決していえません。

 

こうしてみてみると、根本的に問題なのは、政府案が刑事訴訟法の上位規範である憲法の理念から制度設計されていない点にあるといえます。特に最も本質的な問題は立憲主義や憲法13条との関係を意識できていないことではないでしょうか。

 

現行憲法は、戦前の国家中心主義を転換し、「個人の尊重」を最高価値として位置づけました。国家は個人のために存在するのであって、その逆ではありません。したがって、個人の人権と国家の利益(ここでは法的安定性)が衝突する場合には、原則として個人の人権が優先されるべきです。しかし政府案は、確定判決の安定性を過度に重視し、個人の人権救済を制限する方向に制度を設計しています。ここには、憲法の価値転換に対する理解の欠如があると言わざるを得ません。

 

そもそも、刑事手続とは何のために存在するのでしょうか。それは、処罰を実現するためのルートにとどまりません。むしろ、国家による刑罰権行使という最大の人権侵害を正当化しうるかを厳格に審査するための「バリア」です。刑法が処罰の根拠を与えるとすれば、刑事訴訟法はその刑罰権を実現すると同時にそれを適切に行使するために制限する装置です。再審もまた、この構造の中に位置づけられます。すなわち、誤った刑罰権行使が人権侵害となっていないかを検証する制度です。にもかかわらず、再審を「四審制」と捉え、その拡張を抑制しようとする発想は、制度の本質を取り違えています。再審請求審は無罪判決を出す場ではなく、「再び審理するか」を判断する手続にすぎません。ここに「四審化」の問題を持ち出すのは、国家側の視点に偏った理解です。

 

憲法は、人間への信頼と不信の両面に基づいています。一方で、人間は理想に向かって成長する存在であるという信頼。他方で、人間は過ちを犯す不完全な存在であるという不信です。後者こそが立憲主義の核心です。権力は必ず誤るという前提に立ち、それを制度的に制約する。これは、マグナ・カルタ以来の憲法の出発点です。民主国家であっても事情は変わりません。政治家も、選挙で選ばれる国民も、いずれも不完全な人間です。情報操作や社会的雰囲気に流され、誤った判断をする可能性は常に存在します。だからこそ、国家権力には合理的自己拘束が課されるのです。再審制度は、この「権力は誤る」という前提を具体化する制度です。したがって、それを制限する方向で制度設計することは、憲法の根本思想に反します。

 

再審法改正は、単なる刑事訴訟法の部分改正ではありません。それは、国家が一人の人間の人生を誤って奪ったとき、その過ちをどれだけ真剣に正そうとするのかという、立憲主義国家としての姿勢を問う問題です。憲法13条の個人の尊厳、31条の適正手続、32条の裁判を受ける権利、37条の迅速・公平な刑事裁判、82条の裁判の公開の理念からすれば、再審制度は「例外的恩恵」ではなく、人権保障の「最後の砦」でなければなりません。そして、えん罪は決して他人事ではありません。誰もがその当事者になり得ます。憲法が国家権力への不信を基礎としているのは、まさにこの現実を見据えているからです。

 

以上から、法制審議会の要綱骨子に基づく改正では不十分です。国会は、えん罪被害者の迅速かつ実効的な救済を中心に据えた議員連盟案を基礎として、再審法改正を速やかに実現すべきです。それは、「この国は本当に個人を尊重する国家なのか」という根源的な問いに対する答えなのです。

 

そして、再審法を変えることは、過去のえん罪被害者を救うだけではありません。将来、誰もが国家の誤りによって人生を奪われることのない社会をつくるための、憲法上の責務なのです。また、だからこそ、政府案ではなく、憲法の理念に立脚した議員連盟案による法改正が、いま強く求められているのです。憲法記念日を前に皆さんもぜひ、憲法の観点から再審法を考えてみてください。