第366回 謹賀新年 法を学ぶということ

新年あけましておめでとうございます。
昨年、2025年は、伊藤塾が創立30周年という大きな節目を迎えた年でした。同時にこの一年は、法を学ぶ者にとって、とりわけ重い問いを突きつけられた年だったように思います。世界では、武力による現状変更が繰り返され、国際法や人権の価値が公然と踏みにじられる場面が後を絶ちませんでした。国内に目を向けても、憲法や法の原理が顧みられることなく、拙速な判断や強い言葉が支持を集める傾向が強まりました。
こうした社会の空気の中で、「法を信じること」「ルールに基づいて社会を変えようとすること」は、決して楽な選択ではありません。むしろ、遠回りで、無力に見え、ときに報われない努力のように感じられることもあるでしょう。それでもなお、みなさんは法を学び続けています。その事実自体が、私はきわめて重い意味を持っていると考えています。
受験勉強は、結果がすべてだと思われがちです。合格か不合格か、その二分法で自分を評価してしまいがちです。しかし、私はこれまで多くの法律家の成長を間近で見てきて、はっきりと言えることがあります。それはすなわち法を学ぶ過程で何を考え、何に悩み、どのように踏みとどまったか――それこそが、将来、法律家として、あるいは社会の一員として生きていく上での土台になるということです。
伊藤塾は、単に試験に合格するためのノウハウを提供する場ではありません。私たちが大切にしてきたのは、「なぜこの法律が存在するのか」「このルールは誰を守るためのものなのか」という問いを、最後まで手放さない姿勢です。条文や判例は、その問いに向き合うための道具にすぎません。答案を書けるようになることは重要ですが、それ以上に重要なのは、法を通じて現実をどう見つめるかという視点です。
受験生のみなさんの中には、「自分は法律家に向いていないのではないか」と感じている方もいるかもしれません。しかし、私は、迷い、立ち止まり、自分に問い返す力こそが、法律家にとって最も必要な資質だと考えています。疑問を持たず、違和感を覚えず、ただ要領よく処理できるだけでは、法は簡単に空洞化してしまいます。悩みながらも考え続ける人こそが、法に血を通わせられる存在になるのです。
2025年は、伊藤塾にとっても、自らの原点を確認する一年でした。「法律家・行政官の育成を通じて、社会の幸せの総量を増やす」という理念は、決して色あせるものではありません。しかし、その実現は、年々容易ではなくなっています。だからこそ、私たちは、圧倒的な合格実績だけでなく、「どのような法律家・行政官を社会に送り出すのか」という点に、これまで以上にこだわっていきたいと考えています。
昨年12月、日本弁護士連合会が主催する第67回人権擁護大会が長崎で開催されました。この大会では、1つの宣言と2つの決議が可決されました。宣言は、「戦争しない、させない長崎宣言」です。
私も、日弁連憲法問題対策本部の副本部長として、仲間とともにこの宣言および基調報告書の起案に関わりました。戦後80年、被爆80年という節目の年を迎えるにあたり、被爆地・長崎で、法律家団体としてこの宣言を発することができたことを、私は心から意義深く、また、うれしく思っています。
戦争は、最大の人権侵害であり、最悪の環境破壊です。ひとたび戦争が始まれば、人々の生活は根底から覆され、尊厳も自由も奪われてしまいます。そのことを、被爆地は歴史の事実として、私たちに突きつけ続けています。だからこそ、「戦争しない、させない」という言葉は、単なる理念ではなく、憲法の前文と9条が示す、極めて具体的で現実的な要請なのだと思います。
今回の大会では、2つの重要な決議も採択されました。
1つ目は、「ともに学び・育つインクルーシブ教育及びともに生きるインクルーシブ社会の実現を求める決議」です。
障害の有無にかかわらず、ともに学び、ともに育つことは、憲法26条が保障する「ひとしく教育を受ける権利」を実質的に保障するために不可欠です。それは同時に、個人の尊厳(憲法13条)を基礎とする、自立や多様性の価値を社会全体で実現していくことにもつながります。インクルーシブ教育は、福祉や善意の問題ではなく、憲法上の明確な要請なのです。
障害のある子どもを、特別な場所で「保護の対象」として分離するのではなく、必要な合理的配慮を行ったうえで、障害のない子どもとともに学ぶ機会を保障することは、障害のある子どもが自分らしく生きていくために不可欠であるだけではありません。幼少期から、障害を多様性の一つとして自然に受け止める経験をすることは、障害のない子どもにとっても、その人格形成にとって極めて大きな意味を持ちます。
もちろん、インクルーシブ教育を実現するためには、専門家の育成や保護者の理解、そして国や自治体による十分な人的・物的支援が不可欠です。しかし、それ以上に重要なのは、私たち一人ひとりの意識です。お互いの違いを前提として尊重し、多様性を力に変えていく社会へと、日本を成熟させていくためには、制度と同時に、私たち自身の価値観が問われているのだと思います。
2つ目の決議は、国に対し、直ちに、「当事者の性別にかかわりなく婚姻を可能とする民法等の改正を求める」決議です。
現在、アジアで同性婚を法的に認めているのは、台湾、タイ、ネパールのみですが、主要7か国(G7)の中で、同性婚を認めず、明確な法的保護すら与えていないのは、日本だけです。最高裁判決を待つまでもなく、これは立法府が人権の問題として主体的に対処すべき課題であるというのが、今回の日弁連決議の趣旨です。
同性婚や安全保障政策のように、社会の中で評価や意見が分かれる政治的問題について、日弁連が宣言や決議を行うことは、強制加入団体としてふさわしくないのではないか、という意見があることも十分承知しています。しかし、弁護士法は、その第1条1項において、「弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする」と明記しています。さらに、同条2項では、弁護士に対し、法律制度の改善に努力することを求めています。
憲法に照らし、法律専門家集団として、人権侵害、あるいはそのおそれがあると認めた場合に声を上げることは、弁護士に課せられた法律上の使命です。とりわけ、多数者によって制定された法律や制度が、少数者の人権を侵害するおそれがあるのであれば、それを指摘し続けなければなりません。確かに法律や制度に関する人権問題について声を上げることは、その性質上、常に「政治的」に見える側面を持ちます。しかし、それを理由に沈黙することは許されません。
同様に、戦争は最大の人権侵害ですから、人々の生活と尊厳を根底から奪う戦争に反対することは、弁護士の使命であり、イデオロギーや政治的信念の違いを超えた職業倫理の問題だと私は考えています。
もちろん、裁判官や検察官は、憲法99条に基づく憲法尊重擁護義務を負っています。日本国憲法が前文に掲げた、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにする」という目的を現実のものとするために努力することは、すべての公務員、とりわけ法律に携わる者に課せられた責務です。
法を学ぶとは、単に知識を身につけることではありません。社会の現実に向き合い、声を上げるべきときに声を上げる覚悟を持つことでもあります。今回の人権擁護大会は、その原点をあらためて私に思い出させてくれました。
ここで紹介した宣言や決議は、決して「特別な人たち」だけの問題ではありません。伊藤塾で法を学んでいる受験生のみなさん一人ひとりとも、深くつながっています。
受験勉強をしていると、条文や判例が、時に無機質な記号の集まりのように感じられることがあるかもしれません。「なぜここまで細かな理屈を覚えなければならないのか」「この勉強が、現実の社会と本当につながっているのか」と疑問に思うこともあるでしょう。しかし、今回の人権擁護大会で議論されたテーマは、まさに、みなさんが日々向き合っている憲法や法律が、現実の人々の生き方とどう結びついているのかを、具体的に示しています。
戦争の問題も、インクルーシブ教育の問題も、同性婚の問題も、すべて「少数者の権利を、国家や社会がどう扱うのか」という一点で共通しています。そしてそれは、憲法を学ぶということが、「抽象的な理念」を覚えることではなく、「力を持つ側をどう制限し、声の小さな人の尊厳をどう守るのか」を考え続ける営みであることを意味しています。
受験生のみなさんが答案を書くとき、条文の趣旨や判例の射程を丁寧に考えることを求められるのは、決して試験官の気まぐれではありません。その思考の訓練こそが、将来、現実の社会で起きる人権問題に直面したとき、安易な結論に流されず、立ち止まって考える力になるからです。目の前の一問一問に向き合うことの積み重ねは、決して無駄ではありません。
また、法を学ぶ過程で感じる迷いや葛藤も、大切な意味を持っています。「これでよいのだろうか」「本当に守られている人は誰なのか」と自問する経験は、法律家として最も重要な感覚です。法は、ただ適用されるものではなく、常に問い直され、磨かれ続けるべきものだからです。
伊藤塾が、単なる受験指導にとどまらず、「なぜその法があるのか」を繰り返し問いかけてきたのは、みなさんが将来、知識の多寡だけで評価される法律家になるのではなく、社会の中で信頼される存在になってほしいと心から願っているからです。法を学ぶことは、正解を早く出すことではありません。ときに立ち止まり、声なき声に耳を澄ます姿勢を身につけることなのだと思います。
今回、長崎で採択された宣言や決議は、法律家がその姿勢を社会に対して示した一つのかたちです。そして、その担い手は、決して遠い存在ではありません。今、机に向かって学んでいるみなさん自身が、数年後にその役割を引き継いでいくのです。
法を学ぶ日々は、ときに孤独で、先の見えないものに感じられるかもしれません。しかし、その積み重ねは、確実に社会とつながっています。自分の学びが、誰かの尊厳や自由を支える力になる――そのことを、ときどき思い出しながら、どうか歩みを止めないでください。
2026年の世界も日本社会も、決して平穏なものにはならないでしょう。分断や対立を煽る言説は、これからも私たちを取り囲みます。しかしだからこそ、法に基づいて考え、対話し、権力を相対化できる人の存在が、これまで以上に求められています。みなさんが今、机に向かって積み重ねている学びは、目に見えないかもしれませんが、確実に社会の未来とつながっています。
伊藤塾は、2026年も、受験生のみなさんの「伴走者」であり続けたいと考えています。合格の瞬間だけでなく、迷い、立ち止まり、再び歩き出すその過程すべてを大切にし、寄り添っていきたい。その思いに変わりはありません。
新しい年が、みなさん一人ひとりにとって、自分を信じ直す一年となることを心から願っています。本年も、ともに学び、ともに考え、ともに前へ進んでいきましょう。
私もまた一年、真剣勝負で頑張ります。
2026年 元旦
3つの宣言・決議についてはこちらでご覧いただけます。
https://www.nichibenren.or.jp/document/symposium/jinken_taikai.html
伊藤 真
司法試験・公務員試験対策の「伊藤塾」塾長・伊藤真の連載コーナーです。
メールマガジン「伊藤塾通信」で発信しています。
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