予備試験の大義

予備試験ルートで司法試験合格

岸 正和 さん(41歳)
 

合格者イラスト
法律事務所事務職員
◆ 予備試験合格時 /法律事務所事務職員
◆ 出 身 大 学 /神戸大学法学部
◆ 受 講 講 座 /基礎マスター、論文マスター、司法試験演習秋生、基礎マスター倒産法、司法試験合格答案徹底分析講義など

※プロフィールは、2013年合格時点のものです。


祝いの酒は「箕輪門」にした。福島は二本松の大七酒造が醸す酒である。大七の蔵主曰く、「(二本松では)正直に真正面から取り組まないと評価してもらえない。」。戊辰戦争における二本松少年隊を育んだ土地の人間の気質とはこのようなものか。


人を評するに厳しい二本松の人からも、予備試験に合格してさらに司法試験に合格するという私の辿ってきた道ならば評価してもらえるに違いない。そう考えて9月10日の夜は自宅で両親と「箕輪門」で乾杯をした。


法科大学院にはいつでも行けた。例えば制度が開始するときは父親から受験を命じられたが、旧司法試験に合格することに対するこだわりと自信があったためこれに従わなかった。その後法律事務所に就職し、働きながら旧司法試験の受験を続けた。旧司法試験が終了する年には法科大学院入試も併願し、近畿地方で唯一社会人が働きながら通える法科大学院に合格して入学手続もとっていた。なお、司法試験に合格するために仕事を辞める必要性は全く感じなかった。ところが入学を目前にした3月下旬に入学辞退届をその法科大学院に提出し、念のため出願していた第1回予備試験を受験してこれに合格した。


とにかく最激戦地にいたかった。若き日に司法試験に挑戦をすることを決めたときからの変わらぬ思いである。法科大学院に行くという道、そして旧司法試験や予備試験を受け続けるという道、いずれの道が法曹になるためにより合理的なのかを私はよくわかっていた。しかし人間はさほど合理的に意思決定をしないものである。やはり自分には最激戦地がよく似合う。


また入学辞退をすべきか迷っていた頃、自分の中に「予備試験の大義」という観念が生まれた。世の中には法科大学院に行きたくても行けない人が確実に存在する。そういう人たちを司法試験から排除することによってのみ存続しうる法科大学院制度に、私は「徳」というものを感じることができなかった。誰かを排除することによってのみ成立しうる法科大学院制度を、誰一人排除することのない予備試験制度が少なくとも実質的には破壊することができるのではないか、いやそうしなければならないのではないか。そういうことを真剣に考えていると、のんびりと法科大学院で法曹資格のショッピングをしている場合ではないなという気がしてきた。


そして3月下旬、法科大学院に入学辞退届を提出した。冒頭少し触れた戊辰戦争において二本松藩が救おうとした会津藩主松平容保公は、徳川宗家への絶対忠誠という「もののふの大義」に殉じ、京を自分たちの死に場所と定める覚悟で京都守護職を引き受けた。私も「予備試験の大義」に殉じ、予備試験を自分の受験生としての死に場所と定める覚悟をした。私は京都守護職はおろか、先斗(ぽんと)守護職すら務まる者ではないが、大義に殉じる気概だけは容保公にも劣らぬつもりだ。正直に当時を振り返れば、予備試験に合格できる見込みなど全くなかった。結果的に合格できたのは、まさに神仏の冥加としか言いようがない。どうやら神も仏も法科大学院制度がお気に召さないようである。


この「予備試験の大義」は、予備試験合格後の私に強烈な使命感を授けることになった。特に一度目の司法試験受験に失敗した後はなおさらだった。もう負けられない、もちろん逃げられない、ただ勝つしかない、そんな気持ちで今年の司法試験に臨んだのである。


9月10日に飲んだ「箕輪門」は、いつもより遥かに旨かった。そしてこれから飲むどんな「箕輪門」よりも遥かに旨いのだろうか。いや、さらに旨くこの酒を飲めるような弁護士としての仕事をしなければならない、そう思う。


私は歌舞伎や能、文楽といったこの国の古き芸術を愛でる者なのだが、歌舞伎の「元禄忠臣蔵」に大石内蔵助が討ち入り後にお預けとなっていた細川家の嫡男に、生涯の宝となるべき言葉の「はなむけ」を請われ、「人はただ初一念を忘れるな」と応じる場面がある。私はこの言葉を、法曹を目指す人に贈りたい。初一念とは、平たく言えば初志のことである。恐らく多くの人は深く考えて法曹になろうとしたわけではないだろう。心弱き夜、自分はあの時深く考えていなかったから進むべき道を間違えたのだ、などと思うことがあるだろう。しかし人間には、深く考えていなかったからこそそこに自分の本当の意思が顕れているということが往々にしてある。初一念は結構正しい。進むべき道を誤ったと思うとき、この内蔵助の言葉を思い出して欲しい。


また、これから予備試験を受けようとする人、そしてすでに予備試験に合格して司法試験に挑戦する人には、予備試験1期生や2期生の中に各々の大義を心に刻み公正競争の孤塁を守り抜いた人々が少なからずいたという歴史的事実を、知っていただきたい。そしてその大義や使命感を引き継いでいただきたい。これは私からのお願いである。いや、今の自分のこの心情こそが、まことの「祈り」というものなのだろう。なぜか手を合わせてしまう。


ではこの辺で私は、同じく「元禄忠臣蔵」の内蔵助最後の台詞でこの文章を締めよう。そして笑って花道を退くとしよう。

「これで初一念が届きました。」