2022.01.01

第318回 謹賀新年2022

今年、沖縄は本土復帰50年を迎えます。昨年12月、伊藤塾恒例の沖縄スタディツアーに一部同行しました。一昨年はコロナ禍でお休みしましたが、今回で21回目になります。こうして続けていると毎回、新しい発見があり楽しくもあり、つらい気持ちにもなる独特のツアーです。法律家や行政官にとって現場が何よりも大切であることを伝えたくて「合格後を考える」ために始めたスタディツアーですが、現地に行ってみなければわからない本土との温度差や独特の空気を感じることができます。

皆と少し遅れて那覇空港に到着したものですから、合流先の読谷村までタクシーを使いました。スーツ姿の私を見て、「基地関係の方ですか」と運転手さんが声をかけてきたので、「はい、基地関係といっても反対の方なんですが」と答えると、いろいろと話をしてくれました。

私よりも少し年配の方ですが、コロナ禍で観光客が激減しとても厳しいという現状の話だけでなく、自分が小さかったころに起こった米軍に対する民衆蜂起(ゴザ騒動)が怖かったこと、当時は婦女子に対する性暴力が多発していたこと、知り合いの女子高校生が被害にあって自殺してしまったことなど、薩摩藩に侵略されてから今日まで続く沖縄の被害についてずっと話してくれました。

 

アメリカ人の米軍関係者が基地の外でもマスクをしないで歩いているのは本当に困ると嘆いていましたが、その数日後にキャンプ・ハンセンのクラスター発生が報道されました。日本が感染防止のために必要な情報提供を米軍に求めても拒否されているようです。こうした点からも日本は依然として占領されたままなのだと実感します。

 

日本の政治家が持つべき政権担当能力とはアメリカの言うことをそのまま聴いて実行する能力だという論考を読んだことがあります。日本よりもアメリカの国益を優先してくれるのですから、それはアメリカにとって愛すべき政権担当者ということになります。安定した日米関係のために必要なのだからということで、この実態をリアリズムと呼び、独立主権国家として自立しようとする試みを空想的理想主義として揶揄する態度は、私のような愛国者には屈辱的でしかありません。

 

現在の中国・台湾の緊張関係を考えるとき、現実に沖縄及び石垣島、宮古島、与那国島など南西諸島で生活する人々にとっては、沖縄戦の悪夢の再来となる恐れがあるのですから相当に不安なはずです。昨年末に自衛隊と米軍が台湾有事を想定した新たな日米共同作戦計画の原案を策定したことが報じられました。アメリカ海兵隊が南西諸島に臨時の攻撃用軍事拠点を置くとしており、住民が戦闘に巻き込まれる可能性が高いものです。沖縄タイムズ(2021.12.24)は制服組幹部の「申し訳ないが、自衛隊に住民を避難させる余力はないだろう。自治体にやってもらうしかない。」という声を紹介しています。これも考えてみれば当前のことで、軍隊、自衛隊は国を守るために存在するのであって、国民を守るためのものではありません。これは軍事学の常識です。

 

万が一中国が台湾を武力で併合しようとしたときに、アメリカは台湾の要請を受けて集団的自衛権の名の下に軍事介入をします。そしてアメリカは日本など同盟国に集団的自衛権の行使を要請してくるでしょう。新安保法制法によって集団的自衛権行使が認められるようになりましたし、この要請を日本が断ることは現実的に不可能です。安倍元首相は「台湾有事は日本有事」と発言しています。これは台湾有事は日本の存立危機事態にあたる、すなわち集団的自衛権行使の要件を満たすと言っているようなものです。

 

そもそもこうした事態のために先の共同作戦があり自衛隊は米軍との共同訓練を南シナ海で行っているのですから、今更協力を断われるはずもありません。そして何よりも新安保法制法成立前の日本のように「集団的自衛権は憲法上行使できないので協力できない」という態度は取れなくなってしまっているのです。

 

改憲や防衛費倍増のための口実としての「台湾有事」の演出にすぎないのであれば、まだしも、南西諸島の局地的な武力衝突すら、巻き添えになりそうな住民にとっては一大事ですが、それで終わる保証はどこにもありません。「想定外でした」という決まり文句で責任回避が許されるような話ではありません。

杞憂に終わることを心から願っていますが、こうした事態を前提にした訓練が行われること自体によって極めて深刻な精神的苦痛を現実に被っている人々がいることにしっかりとした想像力を働かせる必要があります。私のように東京で生活している人間にはわからない温度差を現地で感じるためにはとても有意義な沖縄スタディツアーでした。

 

現在、安保法制違憲訴訟を全国で展開しています。2014年に安倍内閣が憲法を無視して集団的自衛権行使を認める違憲の閣議決定を行い、2015年には国会が新安保法制法を強行採決しました。この違憲性を是正すべき裁判所までもがこの事態に沈黙して新安保法制法の違憲判断を避けてしまったら、この国の立憲主義はどうなってしまうのでしょうか。

安保法制違憲訴訟においては全国で50の下級審判決が予定されていますが、これまでの20の判決はすべて憲法論を避けてしまっています。これでは、国務大臣、国会議員、裁判官と三権に携わる公務員が、揃いも揃って憲法を尊重し擁護しない姿勢を示している点で憲法99条違反に他ならず、立憲主義国家としてあってはならないことがこの日本で起きてしまっているように思われます。

 

政府は「どうせ裁判所は新安保法制法に対して違憲判断など出せない。そのような胆力のある裁判官などいない」と高をくくっているようです。率直にいえば、司法がないがしろにされているのであり、裁判所を戦前と同じように二流官庁として見下しているのだと思います。

 

私は司法に携わる者として、こうした状況を目の当たりにして悔しくてなりません。個人的な感情などはどうでもいいことなのですが、戦前のように裁判所に違憲審査権が認められておらず、司法省の監督下にあり、独立性も担保されていなかった時代ならいざ知らず、日本国憲法の下で、司法権の独立が保障され、裁判官の身分保障も厚くなり、違憲審査権が認められるようになった現在の裁判所が、政治部門から軽んじられることに我慢がならないのです。

 

統治行為論など諸外国でとうの昔に克服された議論などは論外として、裁判所が憲法判断に消極的な理由として、付随的違憲審査制があげられることがあります。しかし、本件のように国家賠償請求訴訟という適法に提起された訴えが係属しているのですから、付随的違憲審査制であることだけを理由に憲法判断を避けることはできません。

 

どのような政策であっても憲法の枠内で行われなければならないとするのが立憲主義です。安全保障政策には様々な考えがあります。裁判所はそうした政策の妥当性を判断することはできません。しかし、国家が乗り越えてはいけない則があるのです。その限界を超えてしまったかどうかはまさに裁判所が判断するべき事柄なのであり、そこに裁判所の存在意義があります。

 

一人一票実現訴訟においても同じような裁判所の消極姿勢を感じます。昨年10月末の衆議院議員総選挙において投票価値の格差は前回選挙より悪化し、選挙当日における有権者数の格差が2倍以上となった選挙区数は29もありました。これらの選挙区の有権者からみれば鳥取1区の有権者に2票与えられているのと同じです。2倍という基準に意味はありませんが、憲法が要求する人口比例選挙の原則がここまで軽んじられていいはずがありません。

 

ところが、被告である国(各選挙管理委員会)は、成立したがまだ実施されていない「アダムズ方式に基づいて都道府県別に定数配分をすれば、都道府県間の最大較差は1.697倍まで下がることが見込まれ」「前記較差(人口)は、早晩、確実に解消される見込みであることなどの諸事情を総合考慮すれば、本件選挙区割りが違憲状態に至っているということはできない。」と繰り返し主張しています。

 

選挙時においては、投票価値の格差が「改善見込みの状態」にあっただけであり、けっして「改善された状態」ではなかったのですが、それでよしとするのです。先の総選挙は安倍・菅政権によるコロナ対策の是非、政権交代など主権者にとって極めて重要な政治的意思表示の場でした。それが、住所地によって自らの1票の持つ政治的影響力において差別されていても、将来是正される予定であるから今回は我慢しろとでもいうのでしょうか。

 

議員定数不均衡を是正して人口比例選挙を実現することは、政治家が活躍するためのルールを是正することに他なりません。法の支配の観点からすると、プレーヤーにルールを作らせることは、まさにお手盛りになることは明らかです。前回の衆議院議員総選挙に関して、平成30年最高裁判決は、国会による対応について、「漸進的な是正を図ったものと評価」した上で当該選挙を違憲状態ではないと判断しました。そのため国会は今回も裁判所は違憲判断などしないであろうと高を括って、4年間何もしないで放置したのです。

 

しかし、本件選挙も先に述べたように主権者にとっては極めて重大な主権行使の場でした。たとえアダムズ方式が将来実施される予定であったとしても、それが実現していない以上は、主権者国民の意思が正当に反映された選挙とは到底いえません。こうした事実に向き合って、民主政の過程では自己回復できないこの問題を、裁判所が明確な違憲判断をすることによって民主政の過程の外から国家権力の正統性の源泉の歪みを正すことが必要なのです。

 

今回も事情判決を封じるために全国すべての小選挙区で提訴しました。原告らは人口比例選挙を求めて提訴することで、主権者としての役割を一部果たしました。弁護人らも「基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする」弁護士として役割を果たそうとしています(弁護士法1条参照)。全国14の高裁と最高裁の裁判官にも立憲民主主義の実現のためにその役割を果たしてほしいと願っています。

 

7月には参議院議員通常選挙もあります。こうした問題に無関心ではいられても、誰もが無関係ではいられないのですから、受験で忙しい皆さんにも、この国で生活する国民・市民として立憲民主主義にとって何が重要か考えてほしいと思っています。

 

今回はあまり新年を感じられない雑感になってしまいました。法律家、行政官をめざす皆さんに対して、自分自身が抱えている課題に向き合うと共に、日本の社会や世界が直面している様々な問題にも関心を持ち続けてほしいという願いが強く出過ぎてしまったようです。私はそれが合格後を考えることにつながるし、今を生きることにもなるのだと思っているのでお許しください。

 

昨年を思い出すと、コロナ禍で世界中の人々が大変な苦難を経験しただけでなく、ミャンマー、ギニア、スーダンなどの軍事クーデター、アフガニスタンでのタリバンによる首都制圧、米軍撤退があり、国内でも入管法改正やLGBT法案の見送り、東京オリパラ開催など憲法的にもいろいろと考えることの多い一年でした。ですが、何が起ころうと時は前に進みますし、未来が予測不可能であることも変わりません。自分自身の身に何が起ころうと前に進むしかないのですから、未来を変えるために気持ちを入れ替えて希望を持った新たな1年にしたいものです。不確実な時代だからこそ希望が大切なのだと改めて思います。

 

今年も一年、真剣勝負。よろしくお願いします