2024.03.01

第344回 岡口弾劾裁判

 2月27日、岡口基一裁判官の弾劾裁判の公判が終結しました。弁護側の最終意見として90分ほど最終意見陳述をしたのですが、そこで私は40分の総論と最後のまとめを陳述しました。陳述内容については、訴追側の最終意見への反論を中心に弁護団で議論して練り上げて作成しました。

 裁判官訴追委員会によって裁判官弾劾裁判所に対し、岡口裁判官が訴追されたのが2021年6月16日ですから、公判15回、事前協議18回、3年近くのまれに見る長期裁判になりました。訴追後、弾劾裁判所事務局(実務家)、訴追委員会の事務局(検察官)と弁護側の事前協議が弾劾裁判所法廷のある参議院第二別館9階で4回に渡って行われましたが、なかなか訴追委員会側から請求予定証拠の開示がなされず、第1回公判が開かれたのが、2022年3月2日でした。

 

 訴追の後、弾劾裁判所が、岡口裁判官に対して裁判官弾劾法39条に基づいて職務停止決定(「当裁判所の終局裁判があるまで、被訴追者の職務を停止する。」との決定)を出したため、岡口裁判官は、それ以降判決まで裁判官としての仕事ができなくなりました。岡口裁判官は1994年に判事補に任官した後、これまで10年後と20年後の再任手続を経ていますが、今回3回目の再任希望はしないことにしました。よって自動的に2024年4月12日で裁判官としての任期は終了することになります。裁判官でなくなってしまうと、弾劾裁判は被訴追者不在により訴追棄却になってしまうため、昨年訴追側の証拠調べが終わったあたりから、訴追委員会は急に公判期日を詰めて開催するように迫ってきました。ですが弁護側の立証もいろいろとありますから、そう簡単ではありません。様々な攻防を経て、ぎりぎり今年の3月27日に判決となりました。

 

 訴追状には、岡口裁判官が2017年ツイッター(X)に刑事事件について、その判決文のURLとあわせて「首を絞められて苦しむ女性の姿に性的興奮を覚える性癖を持った男」「そんな男に,無惨にも殺されてしまった17歳の女性」と投稿したことや、「公園に放置されていた犬を保護し育てていたら、3か月くらい経って、もとの飼い主が名乗り出てきて、『返して下さい』え?あなた? この犬を捨てたんでしょ? 3か月も放置しておきながら・・裁判の結果は・・」と判決記事のURLと共に投稿(犬事件投稿)したことなど13件の訴追事由があげられています。これらは現役の裁判官とはいえ、すべて一市民としてのツイッターやフェイスブックなどの表現行為です。

 

 岡口裁判官はこの犬事件投稿を理由に、2018年10月17日の分限裁判において最高裁大法廷で戒告の決定を受けています。SNSへの投稿を理由として裁判官が懲戒を受けた初めての事例となりましたが、この決定に対しては憲法学者からは最高裁に賛同する声は全くきかれません。弾劾裁判弁護人の立場から見ても、この最高裁決定には事実認定、評価ともに大いに疑問があります。さらに岡口裁判官は2020年8月26日にフェイスブック投稿で刑事事件の遺族を侮辱したとして最高裁から2度目の戒告処分を受けています。

 

 岡口裁判官は東大卒業後、裁判官になってから、インターネットで様々な法律情報を発信するだけでなく、司法試験合格者なら誰もが知っている要件事実に関する書籍や、裁判官室にも置いてあるような実務専門書を何冊も執筆している法律の世界では超有名人です。法律を広く市民に興味を持ってもらいたいと始めたSNSでは、社会問題のみならずブリーフ姿の本人の写真を投稿したりもしていたため、裁判所当局からは相当に睨まれていました。

 

 最高裁の考えるあるべき裁判官の姿とはかなり異質な「物言う裁判官」であったことは確かです。これまで日本の最高裁は、最高裁事務総局の統制によって「裁判官らしさ」「公正らしさ」を実現しようとしてきました。それは自民党によるいわゆる55年体制の下、政権与党からの不当な圧力を回避し、司法部の独立を守るためだったのかもしれません。しかし、広義の司法権の独立を守るため、この最高裁からの統制が強化されたことで、一人ひとりの裁判官の職権行使の独立、裁判官の市民的自由が犠牲になってきた事実は見逃せません。

 

 裁判の正当性の根拠、言い換えれば皆が判決に従おうと考える権威の源泉は国民の信頼にあります。ではその信頼の内容は何かというと、個々の裁判の適正さではなく、「この裁判官に任せておけば安心だ」という漠然とした信頼だったのではないでしょうか。つまり、司法への信頼が、人権保障や憲法保障という司法制度が持つ価値やその運用実績ではなく、裁判官という人的要素に基礎付けられていたということです。そこで、裁判官は政治に関わってはいけない(寺西判事補事件)とか、品行方正にみられるように生活しなければいけないと考えられてきました。それが、今回の岡口裁判官への最高裁の分限裁判や訴追委員会による弾劾訴追というかたちで表れたのです。

 

 こうしたこれまでの伝統的な司法の考え方の根底には、裁判官の人的権威によって市民を従わせようとする上からの発想があります。こうした権威を維持できるような組織でなければならないとするために、司法官僚制による裁判官の「管理」、ひいては裁判官社会における「同調圧力」を生むことになります。そして個々の裁判官が実際に持つ個性の豊かさにかかわらず、むしろ裁判官には個性というものが存在しないように見えることが正しいようになってしまいました。その結果、最高裁裁判官の名前すら一般には知られず、したがって国民審査制も有効に機能していません。まさに 「名もなく顔もない司法」になってしまっているのです。そうした中での岡口裁判官の言動は、確かに異質でこれまでの「普通」の裁判官像には当てはまらないかもしれません。

 

 しかし、多様な社会の紛争を時代に合わせて適切に処理するためには、裁判官自体の市民的自由を保障し、多様な裁判官を司法の担い手として確保していくことが不可欠です。裁判官も多様であっていいはずです。多様性の時代の裁判官こそ、市民的自由を享受して、人々の多様な価値観を理解することができる人間でなければなりません。

 

 ところで、訴追委員会も弾劾裁判所裁判員も国会議員です。国会議員として国民の声を代弁して政治的正義によってこの弾劾裁判に臨もうとするかもしれませんが、それは誤りだということを最終弁論では強調しました。弾劾裁判もあくまで裁判です。すなわち証拠によって「事実」を認定し、これに法を適用する手続という点は変わりません。しかも法2条2号の「裁判官としての威信を著しく失うべき非行」が認定されると、その効果として裁判官を罷免されるだけでなく法曹資格自体が剥奪されてしまいます。

 

 それだけの効果に価する行為を行ったのかを証拠によって認定しなければなりません。「行為」を離れた被訴追者の人格態度、ましてや裁判官としての適性の有無を判断するものではないのです。裁判官としての適性の有無については、裁判官分限法に基づく懲戒処分のみならず、裁判官の任用・再任のタイミングにおいても判断されるのですが、岡口裁判官は、すでに判事補任命時のほか、10年後の判事任命時、そして20年後の判事再任時の都合3回にわたってその適性を評価されています。

 

 今回の岡口裁判官に対する訴追事由13個はいずれも一社会人としての行動です。SNS上での表現などが、本件遺族の感情を傷つけるようなものがあったとしても、それは謝罪をし、民事訴訟をはじめとする私人間の紛争解決システムに委ねるべき問題に過ぎません。最高裁すら訴追請求していないような事由が、法曹資格まで奪うほどの効果を招く「裁判官としての威信を著しく失うべき非行」であるはずがありません。罷免判決は認められません。 

 

 以下は、昭和23年11月27日、日本国憲法の下で弾劾裁判所が設置されてから初めて出された判決書における結びの一節です。

 

「思うに、裁判官の職務の対象となるべき事項は、おおむね世の複雑多岐なる社会生活の落伍者、あるいは権利義務に関する微妙な紛争につき、その実体を把握し、これに対する公正妥当なる審決をなすにある。これがためにはあらゆる法律知識を修めるとともに、一方実社会の表裏に精通し、いわゆる社会常識を具有することが最も必要である。

 しかるに我が国の裁判官の中には往々にして、その職務の公正を期し、何ものにも捕らわれることなく、超然として、良心的裁判をなさんとするのあまり、とかく世人と交わることを極度に怖れ、自ら象牙の塔に立てこもり、一般社会とかけ離れ、あたかも人に接することを以て、その職を汚すような考えを持ち、いたずらに明哲保身に汲々とし、不知不識の間に、社会常識を養うの機会を失うものがある。かくの如きは、やがて独善的又は官僚的に陥り、遂に裁判官の化石等の非難を受けるに至るのである。

  新憲法下においては、かかる裁判官の態度は、根本的に建直さなければならない。即ち裁判官といえども社会人たる以上、その職務の遂行に支障ない限り、一般社会人と異なった特段な制約を受けるべき理由はないのであるから、むしろ進んで社会の実相に触れ、その豊富なる社会常識と専門的法的知識と相まって、複雑微妙な事件に臨み、厳正にして、且つ、客観的妥当性に富める生きた裁判をなさなければならない。

 翻って、本件被訴追者の行為は、前述の如く~(中略)~明かに品位を辱める行状であると認められるが、右事実につき、本件記録を総合勘案するときは、被訴追者の行為の大半は、一社会人としての行動であって、未だこの程度を以て、裁判官弾劾法第2条第2号にいわゆる威信を著しく失うべき非行であるとは認められない。」

 

 今から75年以上前の弾劾裁判でこのように、キャリア裁判官が陥りがちな傾向を指摘した上で、裁判官といえども職務の遂行に支障のない限りは一般社会人と異なる制約を受けるべき理由はないと市民的自由を享受する重要性を訴えています。むしろ進んで社会の実相に触れた上で社会常識を養い、これを裁判官の職務遂行の上でも活かすべきと論じているのです。日本国憲法の精神を憲法制定当初は弾劾裁判所すら、こうして実現しようとしていたのですから、岡口裁判官が罷免になることなく、裁判官の市民的自由が保障され、その多様性が確保されることを心から願っています。