第343回 選挙と議論の枠組み

アメリカ大統領選挙の共和党予備選でのトランプ元大統領の快進撃が報道されています。4つの刑事事件で起訴され、女性作家への性的暴行と名誉棄損が認められて約500万ドルの賠償を命じられたにもかかわらず、「頭がおかしい」「でっちあげ」などの誹謗中傷を重ねたため、さらに8330万ドル(約123億円)もの賠償を命じられました。日本にはない懲罰的損害賠償が認められているとはいえ、この天文学的数字に驚くとともに、こうした逆風をも自らを政治的迫害の被害者として演出して、有権者からのさらなる支持と共感を集める手法には舌を巻くばかりです。
本人の資質もさることながら、数々の不祥事をものともせず彼を支持し続ける有権者の熱気にも圧倒されます。様々な政策について意見が対立することは、多様な価値観を持った者同士が共存しようとすれば当然に起こりうることです。ですが、それが妥協や歩み寄りすらも拒否する分断状態に至ってしまうのでは、民主主義とはかけ離れてしまいます。議論によってよりよい解決策を見出すという方向性を追求していくことは、時間もかかり面倒なことで一見無駄に見えますが、選挙を通じて民意を反映していく民主主義国家にとって避けては通れないプロセスです。
2024年は世界で大きな選挙がいくつも行われますが、まさに民主主義が問われる年になりそうです。ロシアでは3月に大統領選が行われます。再選は確実とみられているプーチン氏は、憲法改正までして2036年まで続投できる体制を整えています。2000年から最高権力者だったわけですが、今後の12年間はロシア帝国の復活を目指すプーチン氏に振り回されることが予想され、近隣諸国のみならず、欧米、日本にとっても緊張が続きます。
ロシアにどう対峙するかが課題の欧州でも6月には欧州議会選挙があります。「多様性の中での統合」(Unity in Diversity)をモットーとして掲げてきたEUにとっても、安全保障、エネルギー、物価高などの諸問題を抱え、極右勢力の台頭などから正念場を迎えそうです。
グローバルサウスの雄であるインドでも4月から5月にかけて総選挙が行われます。3選が予想されるモディ首相によるヒンドゥー至上主義の強化によって、イスラム教徒をはじめ、461もの先住民族のような少数派が抑圧されるのではないか、その影響が懸念されます。
さらに人口2億7000万人を超えるインドネシアの選挙からも目が離せません。2月にはインドネシアに次ぐ2億を超える人口のパキスタンでも選挙があります。1月のバングラデシュ総選挙、南米ベネズエラの選挙などでは、手続きの不正や政権による反対派弾圧などから選挙の正統性に疑問が生じています。
そしてインドを超える世界最大の人口14億2000万人を擁する中国では習近平氏が強い中国をさらに強くして上昇気流に乗せようとしています。最優先目標が経済成長から国家安全へと変化し、さらには米国主導の国際政治経済秩序に終止符を打って自らが主導していきたいという強い意志が見え隠れします。
対照的に先月の台湾総統選において頼清徳氏は、勝利後「我々は民主主義をどれほど大切にしているかを世界に示した」「自分たちの総統を選ぶ権利を持つのは台湾の人々だけだ」と演説しました。議会では与党民進党が過半数をとれなかったことを踏まえて、中国は台湾政策を担う国務院台湾事務弁公室の談話として「民進党が島内(台湾)の主流の民意を代表できないことを示した」と主張しています。あえて「島内」、「民意を代表」と言っている点は興味深いです。
この中国との関わり方は日本にとって極めて重要であることは論を待ちません。選挙で争点にすることもなく、「台湾有事は日本有事だ」などと吹聴して国民を不安にさせ、防衛費倍増を十分な議論も無しにさっさと進めてしまうのでは成熟した民主主義国家とはいえません。
中国とのかかわり方も好き嫌いではなく、理解し合うことが何よりも重要です。隣国である以上、永久の隣人なのですから、主張すべきことは主張しながらも両国にとって安定的平和的な関係をいかに構築するのかを共に考える必要があります。そして国同士が議論を重ね、話し合いによる協議の場を作り、世界平和に近づくためには、国内においても力ではなく議論によって物事を解決していく手法を国民・市民が身に付けていかなければなりません。そのためには思考し表現する訓練が極めて重要です。
その訓練手段の1つとして法を学ぶことは大きな意味があります。法律を学ぶことによって、物事の本質を捉えて、主張と批判がかみ合うような議論をする訓練ができます。主張するためには説得的な理由付けが必要であり、その理由も趣旨からなどの本質的なものから、条文の文言による形式的なものまであることもわかります。法的三段論法を学びますから、批判する際にも規範を批判するのか、あてはめを批判するのかを区別することによって、より建設的な議論が可能になります。
相手の意見を一旦受け入れてから批判する、「確かに、しかし、従って」という論証方法は弁証法にもつながるひとつの判断枠組みとして有用です。批判するためには、まず反対意見を尊重して理解しなければなりません。その上で反対意見の限界や問題点を指摘することは自説をより深く理解するためにも必要です。それ以上に、論理性を尊重し、反対意見の妥当性を検討することは民主主義社会にとって、選挙によって意思表示をする前段階において必要な態度といえます。
フランスでは、街角でカップルが政治議論を普通にしていると聞いたことがあります。どれほどの頻度かはわかりませんが、少なくとも私の知り合いのフランス人夫婦には当てはまっています。フランスにはバカロレアという共通大学入学試験があります。何度か制度改革が試みられているようですが、哲学が試験科目にあり、かなりの準備が必要なようです。
どんな哲学者が著作で何を言っているのかを具体的で正確な表現として記憶しておくことは加点事由として重要ですが、それ以上に大切なことは、論述の枠組み、すなわち「型」だそうです。そしてそれは建設的な議論をするために重要なことであり、民主主義の担い手としての市民を育成していく上で重要なことなのだと指摘されています(「バカロレアの哲学」坂本尚志)。
司法試験における受験指導内容のひとつとして論証パターンという「型」によって論述をするという手法は、私がそのような勉強法を提唱した40年前から長いこと批判されてきました。法科大学院創設の際にも論証の丸暗記を推奨しているとして塾を批判する学者もいました。しかし実務では訴状や起訴状にも型がありますし、司法研修所では徹底してそうした型を習得させられます。ましてや学者の書く学術論文にすら極めて厳格な型があるのに、試験になると一転して答案の型を批判するとはおかしな話です。どんなに批判されようが圧倒的な合格実績を出し続けることで跳ね返してきました。
私が推し進めてきたのは、法的三段論法によって論述する論証の枠組の重要性であり、その中での1つのパーツとしての論証は事前に理解して決まった言い回しで確定しておいた方が、限られた時間の中で答案を作成するためには効率的だということにすぎません。現場でしっかりと考えるべきことは考える、事前に準備できることは型として準備しておく方が合理的なはずです。バカロレアにおいてもこうした型を意識した論述方法は推奨されていて、フランスの哲学教育の目的は市民の育成であり、そのための「型」の習得とのことです。
こうした論証の仕方も含めて、法律を学ぶということは、建設的な議論の仕方を学ぶことでもあり、それは自立した市民、主権者を育成していく上で極めて重要であり必要なことだと考えています。本来は司法試験体系マスターレベルの憲法などは義務教育で学んでおくべきことのはずです。中高生の段階から伊藤塾で学ぶことは決して早過ぎることではありません。実際に中学生や高校生から伊藤塾の講義を聴き始めて予備試験に合格していく若者は毎年のようにいます。
思考と表現を学び、議論を通じて自立した市民として自己を確立することは、面倒なことですし、時間もかかりますが、民主主義の実現にとって不可欠のことです。民主主義は、結局はその担い手の力量次第だからです。世界各国で大きな選挙が行われる今年は、選挙権獲得のための闘いの歴史やあるべき選挙制度についてもしっかりと自分で考える機会にするべきだと思っています。
伊藤 真
司法試験・公務員試験対策の「伊藤塾」塾長・伊藤真の連載コーナーです。
メールマガジン「伊藤塾通信」で発信しています。
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