第342回 謹賀新年 共感の共同体

昨年も激動の一年でした。世界ではウクライナ戦争に加えて10月に始まったガザ・イスラエル戦争もいまだ出口が見えません。国内では各種組織の不祥事が相次ぎ、組織のガバナンスが機能していない現実が次々と露呈しました。コンプライアンスがこれだけ叫ばれているにも関わらず、一向に改善されていません。ジャニーズとメディアとのなれ合い、ビッグモーターと保険会社との相互依存、宝塚の密室性、日大アメフト部問題、学習塾での子供への性加害、自衛隊内での性暴力隠蔽、官僚による公文書の改ざん検証の拠棄、検察官による冤罪、そして自民党安倍派を中心としたパーティ券裏金疑惑など思い出せるだけでも相当なものです。
アメリカのコンプライアンス違反は、個人的利益のためのものが多いようですが、日本の場合には組織ぐるみというか、組織のために行う法令違反がかなりを占めます。前からやっていることだからと引き継がれ、部署の利益のためにはやむを得ないと許容され、他もやっていることだからと組織や業界ぐるみになっていく姿は日本の組織不祥事の特徴です。
コンプライアンスは法令遵守と訳されますが、その根底に法の精神がなければ空虚なかけ声に終わってしまいます。「法とは、それが地上のすべての人々を統治するものである限りにおいて、人間理性である」(モンテスキュー『法の精神』)と言われるように、法とは人間の理性の産物にほかなりません。理性は人間が生まれつき、その本性として自然に持ち合わせているものだからこそ、自然法という概念があるのだと思います。西欧では神の意志として理解されますが、日本においても聖徳太子のころから、同様のことは重要な価値として認識されていました。
人々は、理性に基づいて自分の利益を最大化するために国家という共同体を作りました。市民は生命・自由・財産を守るために相互に契約を結び、国家という共同体(ルソーがいうところの共和国)をつくり、この共同体に自分たちの権利を守らせることが合理的だと考えたのです。これによって、自分も他者と同じように権利を持ち続けることができるようになったことは人類の大きな進歩といえます。
ところがこの考え方には、他者の存在が前提になっているはずなのですが、いつの間にか自分や自社の利益だけを追うことが正義になってしまったようです。そしてその根底にあるのはそうした利益追求は見つかることはないし、これまでと同じだから大丈夫という妙な納得と安心です。これでは、とても人間の理性に従っているとは思えません。
私は「不安は自分の頭の中で作った想像の産物だから、そんなものに振り回される必要はない」と言い続けてきました。しかし、そのことと悪いことなど見つかるはずもないし、起きるはずがないから大丈夫だといって放置することとは全く違います。原発事故など起こるはずはないから再稼働しても心配いらない。地球温暖化、環境危機といってもそれは大げさなことで、そのようなことは現実化しない。新型コロナウイルスといっても風邪のようなものだ。歴史上は、インフルエンザの方がよほど多くの人が死んでいる。巨大地震も水害も頻繁に起こるように思うかもしれないが、数百年に一度のことだから気にすることはない。未来を心配して、そこに無駄な費用をかけるよりは今を楽しく生きることにお金を使うべきだ。これらの考え方を皆さんどう思いますか。
思い込みや自分だけは大丈夫という正常化バイアスがかかり、そのまま破滅に突き進むことだけは避けたいのですが、人は理性を見失いがちで、なかなかうまくいきません。日本は失われた30年以上をゆでガエルの喩えのように危機を感じないまま、様々な改革を実現せずにここまで来てしまいました。その危機意識の欠如が今、いろいろな形で露呈しているように思います。企業の劣化、政治の劣化、官僚の劣化、教育の劣化、等々です。
法を無視する態度は近代法治国家にあってはならないことのはずですが、「憲法守って国が亡んだらどうする」と嘯いて、憲法違反の安全保障政策を堂々と進める政治家の姿を目の当たりにし、帳簿に記載する必要のないお金だから自由に使っていいんだという感覚になり、なぜ今頃になって厳しいことを言っているんだといわんばかりに違法性の意識が全くないような態度をとる政治家が多いことにも驚きます。
これでは適正手続きと十分な説明責任が果たされているとは到底いえません。国家という組織のガバナンスの基盤が揺らいでしまっているとすらいえます。それは政治の目的が政権維持になってしまっているからではないでしょうか。目的と目標を明確に区別して、自らのやるべきことを正確に把握することの重要性は雑感の301号で指摘しました。政権維持は目標ではあっても、目的とはなりません。
国民の幸せを実現する政策を安定的に実現するために、政権を維持するという目標を設定するのならば、まだわかりますが、政権維持自体が目的になってしまっているようです。国会も内閣が説明責任を果たす場ではなく、責任逃れの言い訳の場に成り下がってしまったようです。当初は高い志を持っていた議員であっても自らの保身を図る、自分の派閥を守る、自民党を守ることに目的が移ってしまったのでしょう。
こうしてみると、近代市民国家において、組織や共同体が単なる利益の共同体でしかなかったところに限界があったのだと思います。自らが所属する共同体の利益を最大化することが目的になっているので、自分の派閥や党のことが最優先で国民のことなど考えている余裕がない、自分の部署の利益しか考えていない、自社の利益のことしか考えていない、自分たちの業界のことしか考えていないというように、利益によって結ばれた共同体ばかりになってしまったのではないでしょうか。そこでは共同体の利益を最大化するために行動するのですから、多少の法令違反があっても目をつぶるでしょうし、取り立てて問題にして騒ぐこともないのだから、情報をあえて公開したり透明性を高めたりする必要もないと考えてしまいます。
人間理性のステージを1つあげて、共同体の利益だけでなく、他者の存在を意識できるような「共感の共同体」をめざして、組織を運用していかないと、異質な他者との共存どころか、その共同体の存続自体が危ぶまれることになります。共同体の利益だけを追い続けることには限界があるのです。これでは破滅に向かう道になりかねません。
異質な他者との共存をめざした共同体であるためには、まず他者を理解しなければなりません。そしてそのためには対話、協議が不可欠です。沖縄辺野古新基地建設問題をとってみても、中央政府や本土の共同体の利益のために沖縄を犠牲にして何も感じない、何も共感できないとしたら政治の意味がないように思います。沖縄県知事が20回も対話を求めているにもかかわらず、政府がそれに応じようともしない現状は異常です。
ガザ・イスラエル戦争を見るまでもなく、これだけ国際社会にも国内にも分断が生じてしまうと、話し合いなど意味がない。やはり力がないとだめだという発想に陥りがちです。ですが人間の理性と知性は暴力ではなく、話し合いによって問題を解決しようという方向に長い年月かけて進化してきました。
世界平和の歴史を見ても、軍事同盟によって平和を構築しようとして失敗した第一次世界大戦の悲劇から生まれた国際連盟は、人類史上初めて話し合いで問題を解決する場となりました。当初日本は主導的な役割を果たしたのですが、その後自ら満州事変を起こし国際連盟から脱退し、日独伊三国軍事同盟に走ります。せっかくの集団安全保障の夢を日本が自ら潰してしまったのです。
そこでアジア・太平洋戦争、第二次世界大戦において、加害者にもなり甚大な被害を被った日本は、この軍事同盟政策では、自国の存続も平和も実現できないことを痛感して、国連の集団安全保障体制の一員として「名誉ある地位を占めることを決意」しました(憲法前文)。
その国連が今、2つの戦争をハンドリングできないとして危機に瀕しています。仮に、万が一にも国連が失敗することがあれば、さらに進化させた第三の国際機関を設立すればいいのです。もちろん容易なことではありません。ですがそれが、理想を追う人間理性の歴史なのだと私は考えます。現在の国連は歴史の最終形態ではなくて一つのステップに過ぎないのです。
「現実感覚の鈍い理想主義者が指導する政治ほど危険なものはない。」と言われます。たとえ善意からの理想であるとしても、理想を振り回すだけでは前に進みません。他方で、理想のない現実主義は、便宜主義に陥り単に「長いものには巻かれろ」ということになり、進歩がありません。現実主義を標榜しながら、次第に現実から離れてゆくことになるでしょう。理想というゴールを見失って漂流するだけです。
私たちは、幻想も幻滅も振り捨てて、理性に基づいて歩みを続けなければならないのだと思います。そうした進化の過程こそが重要であるからこそ、前文や憲法9条はそのめざすゴール以上にそこに向けて努力し続ける国家としての営みを続けることが重要だといっているのだと考えます。
私は日本という国が好きです。ここで生活するすべての人が幸せでいてほしいと思います。そしてさらに世界の人々が「ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」を享受できるように尽力していきたいです。
お互いの弱さを認め合って、異質な他者との共存をめざす社会の実現にこれからも微力ながら貢献したいと思います。個人としてお互いの違いを尊重し合い、それぞれの個人が持つ、かけがえのない尊厳を尊重し合う、そんな「共感の共同体」があちこちにできていけばいいなと願っています。法律家や行政官はその実現のために力を尽くすことができるすばらしい職業です。
こうした理想に向かって努力する過程を大切にしながら、今年もまた一年、毎日が真剣勝負です。
伊藤 真
司法試験・公務員試験対策の「伊藤塾」塾長・伊藤真の連載コーナーです。
メールマガジン「伊藤塾通信」で発信しています。
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