2023.08.01

第337回 戦争と知性

 先月、ベラルーシに入ったワグネルの戦闘員は約1200人に上り、その大半がポーランド国境に近いオシポビチ近郊の軍事キャンプにいるとの報道がありました。ポーランドは、ベラルーシ国境に警察要員500人を追加派遣し、軍、国境警備隊とあわせて7500人態勢で警戒にあたる構えだそうです。第二次世界大戦でナチスの侵攻を受け、ユダヤ人とともに大量虐殺の被害を受け、旧ソ連と西側の狭間で苦しんだポーランド国民はとても不安なのではないでしょうか。

 元々、中東シリアやアフリカのマリ、中央アフリカで活動していたことで知られるロシアの民間軍事会社ワグネルですが、このワグネルという名称は、ドイツの後期ロマン派作曲家のリヒャルト・ワグナーにちなんで付けられたそうです。私も大好きな作曲家の一人で、タンホイザー序曲などいつ聴いても魂を揺さぶられます。まさか軍事会社に自分の名前が使われるとは、210年前に生まれた本人もびっくりしていることでしょう。塾生の中には慶應の学生オーケストラ「ワグネルソサエティー」のメンバーもいるかもしれません。私が在籍していた東大オケよりも古い歴史を持つ日本最古の学生アマチュアオケですが、プリゴジン氏による反乱報道など、「ワグネル」がニュースになる度に迷惑だと感じているのではないでしょうか。

 

 民間軍事会社を使うメリットの1つが兵士の戦死者にカウントされないので、自国の被害を少なく発表できるというものです。確かにロシアは2022年9月の時点でのロシア軍戦死者数を5937人と発表しています。一方、ウクライナ軍参謀本部発表ではロシア軍戦死者14万4440人となっています。「自国の被害者は少なく、敵に与えた被害は甚大である」と報道するのは戦争プロパガンダの常道ですから、当然なのかもしれませんが、あまりにも隔たりが大き過ぎます。戦争における最初の被害者は真実だとよくいわれますが、まさにそのとおりです。戦争そのものが情報戦、認知戦になっている現代の状況がよく現れています。

 

 戦争は相手国の装備や能力、そして意思を見誤ることによって引き起こされます。相手が正当性のない武力による現状変更をしようとしていると勘違いしたり(先制的自衛、誤想防衛)、相手兵力の評価を誤って今こちらが武力による現状変更しても勝てると勘違いしたりして戦争(侵略)は起こります。要するに情報の判断ミスです。そこでは客観的(と思われる)事実をどう評価するかという人間の行為が介在します。その人間の判断はときに恐怖などの感情に左右されます。そしてその為政者の判断に人々は翻弄されるのです。

 

 いつも憲法の講演でヘルマン・ゲーリングの言葉を紹介します。彼は第一次世界大戦でのパイロットのエースからヴァイマール共和国議会議長まで上り詰め、ヒトラー政権では空軍総司令官、一時期ヒトラーの後継者に指名されました。余談ですが、彼は美術品の収集などの他に鉄道模型が趣味で、地下室に立派なジオラマを作り模型を走らせていたそうです。ゲーリングから自慢げにそれを見せられた日本の高官は、ゲーリング氏は自室地下室でも模型を使って戦闘演習を行っていると感心したそうです。確かに当時のナチスは列車砲や兵員輸送など鉄道を重視していましたが、これはさすがに鉄道模型の世界を知らなかった日本人高官の勘違いのようです。

 戦後のニュールンベルグ裁判で死刑判決を受け銃殺刑にしてもらえないことを不服として獄中で自殺するのですが、アメリカ陸軍心理分析官のインタビューを受けて答えたのが次の言葉です。

 「もちろん、人々は戦争を望みません。運がよくてもせいぜい五体満足で帰ってくるぐらいしかないのに、貧しい農民が戦争に命を賭けたいわけがありません。一般人は戦争を望みません。ソ連でも、イギリスでも、アメリカでも、そしてその点ではドイツも同じことです。ですが、政策を決めるのはその国の指導者です。それに人々を従わせるのはどんな政治体制であろうと、常に簡単なことです。……国民に向かって、われわれは攻撃されかかっているのだと煽り、平和主義者に対しては、愛国心が欠けているし、国を危険に曝していると非難すればよいのです。この方法はどんな国でもうまくいきますよ。」

 

 まさに私たち誰もが不安を恐れ、安心を求めることを利用したある意味「名言」だと言えます。だからこそ、主観的な安心や不安という心の問題と、安全や危険という客観的な事実の問題を区別する賢さを持たなければいけないと、私はこれまで言い続けてきました。戦争は、こうした不安から政府の言いなりになるだけでなく、相手国や相手国兵士、場合によっては相手国国民への憎悪を増幅させていきます。そして最終的には人間が本来のその人ではなくなってしまうのです。

 

 戦史研究家であり作家の故半藤一利さんは、安保法制違憲訴訟に協力して下さいましたが「戦争とは人が殺され人間的なものが死ぬことです」とおっしゃっていました。ノンフィクション作家の島本慈子さんは岩波新書『戦争で死ぬ、ということ 』の中で数々な悲惨な実例を上げながら「戦争そのものが、大なり小なり非人間性、残虐性をどこかで求めるということである。戦場における狂気の沙汰からは、程度の差はあれ、いかなる軍隊も逃れられない。」と指摘します。

 

 敵からわが身を殺そうとする攻撃を受ければ、誰もが怒りや憎しみによって敵の殲滅を願うようになります。そこでは心のブレーキは効かなくなってしまいます。戦場という暴力の中に置かれ、戦争の狂気に曝され続けると、非人間性、残虐性が当たり前になってしまうのです。ロシア軍やワグネルによる残虐行為という報道に触れるたびに、戦争そのものが残虐を生み出すことを思い知らされます。

 

 この夏日本でも公開が予定されている映画「バービー」と原爆開発者の伝記映画「オッペンハイマー」がアメリカで大ヒットしています。SNS上では原爆やキノコ雲を素材に両映画をかけあわせたファンアートが投稿され、公式アカウントがそれを好意的に返信したことから日本では大きな批判を浴びています。原爆は戦争を終わらせる手段として正しかったのであり、原爆によって多くのアメリカの若者の命が救われたとするアメリカでの認識が徐々に変化しているとも言われますが、今でも抑止力としての核は必要だと確認されたのが広島サミットでした。

 

 日本への原爆投下前の1944年12月の朝日新聞をはじめ各紙は、ドイツが原爆実験に成功したことを「原子爆弾軍艦も2キロ上空へマッチ1つの容量で吹っ飛ばす」「独『原子爆弾?』を使用」などという見出しと共に、「原子爆弾が投下された地域では一切の動植物が生存を停止し、森林は焼き尽くされ広大な地域が焦土と化し大爆風にあったものは誰でも粉微塵になる」と報じています。

 

 同盟国ドイツの原爆に日本が期待を寄せていた様子がよくわかります。1939年のポーランド侵攻から第二次世界大戦が始まったころに、核分裂の破壊力が発見されドイツは原爆開発を始めます。日本も翌年には原爆の検討を始め、1941年4月には大日本帝国陸軍は原爆開発を正式に認可します。そして福島県石川町では動員された生徒がウラン鉱の採掘を終戦まで行っていました(前掲岩波新書)。

 

 まさに大量破壊兵器の開発に各国がしのぎを削っていたのですが、アメリカが一歩先んじて国際法違反の民間人虐殺による人体実験を行ったのが広島、長崎だったということがよくわかります。日本は中国大陸などで毒ガスや無差別空爆などの国際法違反を行っていましたが、一歩間違えば原爆の加害者にもなっていたかもしれません。科学技術などの知性を何に使うべきか、考えさせられます。

 

 科学者のみならず、私たち市民も為政者も兵士も、不安や恐怖という感情によって判断の誤りを起します。人間の弱さなので仕方がないことなのですが、そうした誤りを防ぐために予め、頭が冷静なときにやってはいけないこと、判断してはいけないことを決めておいたものが憲法です。多数意見に迎合して少数者の声を無視したり、異質と感じる人々を排除してしまったり、不安に煽られて戦争に走ってしまったりすることがないように、人権と平和を目的として日本国憲法を制定したのです。

 

 今日のウクライナは明日の日本だといって不安を煽る人がいます。しかし、平和度指数という国際統計がありますが、日本は2016年に世界9位、2023年も同じく9位です。ときどき10位になることがありますが、だいたいそんなところで大きな変化はありません。ちなみに下位の国は、2016年には南スーダンが162位、2023年にはウクライナが157位、ロシアが158位となっています。世界水準からみると日本は防衛費を2倍に増やさなければいけないほどに急速に危険になったわけではないようです。

 

 世の中がきな臭くなるときには、今一度冷静になる必要があります。「台湾有事は日本有事だ」と安倍元首相は声高に叫んでいました。今でもそれに同調する人もいることでしょう。しかし、台湾が独立に向けて動き出さない限り中国が軍事侵攻することはないでしょうし、万が一それが起きても、日本やアメリカは1つの中国論を採っているのですから、それは中国の国内問題にすぎません。そこにアメリカが軍事介入したら、それこそ国際法違反の武力行使になります。日本の在日米軍基地からの出撃を日本が許すと、日本もアメリカの国際法違反に加担したことになります。在日米軍が中国に向けて軍事行動をするためには、日米安保条約改定に伴う交換公文により、事前協議が必要であり、日本が米軍の中国攻撃を許したということになるからです。このように、台湾有事は自動的に日本有事にはなりません。日本の意思でアメリカの武力行使に加担して、有事すなわち自国に戦争を引き込むことになるということです。

 

 日本は1931年9月18日の柳条湖事件勃発から1945年8月14日のポツダム宣言受諾で敗戦を迎えるまでの足掛け15年にわたる戦争を行いました。310万人とも言われる犠牲を出し、2000万人ともいわれるアジアの人々を殺害しました。8月は原爆の日もあり戦争と平和を考えるときです。被害だけでなく加害の歴史にも思いを致さなければなりません。そして、戦争は自然災害と違って人災です。国家の意思によって引き起こされ、不安を煽られた国民がそれを支持することによって遂行されます。

 

 私たちは、誰もが不安に煽られて判断を誤る弱さを持っていることを自覚しつつ、冷静に判断する力に磨きをかけなければなりません。これは思想やイデオロギーを越えた人間としての知性の問題です。試験対策として冷静になるだけでなく、日常生活においても冷静さを保つように努力したいものです。