第339回 大法廷弁論

9月20日に最高裁大法廷で、昨年7月の参議院議員通常選挙に関する一人一票実現訴訟(人口比例選挙実現訴訟・議員定数不均衡訴訟)の弁論をしてきました。最高裁大法廷での弁論も今回で10回目になります。国を相手に裁判をやっていると、行政訴訟や国賠訴訟を提起するだけで左翼だと決めつける人が昔からいました。いろいろな考えがあることは承知していますが、権力を信頼しきってしまうのでは憲法も立憲主義も不要となります。そうした権力への無邪気な信頼が持つ危険性を理解した上で、「理のある」批判をしてもらいたいものです。
伊藤塾司法試験課のX(Twitter)にも投稿したのですが、14年続けてきたこの裁判に対して「暇な弁護士の道楽」と誹謗中傷する人がいるそうです。仮に一切の収入に結びつかない努力のことを道楽と定義したとしても、「暇」と呼ぶのは違うだろうと思っていました。ですが、自分ではどんなときも心に余裕を持とうと努力してきましたから、心の余裕を「暇」と定義するのであれば、私のことを暇な弁護士と評価するのもあながち外れてはいないのかもしれません。犯罪や不法行為が成立する言論が許されないことは言うまでもありませんが、そうでない限り誹謗中傷も受け止め方次第です。他人から浴びせかけられる言葉の意味を自分で定義し直してみるクセをつけると、ネガティブな気持ちからなるほどという前向きな気持ちに変えることができます。これも法律を学んできた成果の一つだと思っています。
私は、最高裁の権威と覚悟が政治を動かすことがあると考えています。これまで最高裁が違憲判断をすれば国会は必ず一定の法改正を行い対応してきました。民法の再婚禁止期間もその良い例です。今回の一人一票裁判でも、最高裁が参議院選挙について過去2回のように政治部門に忖度して合憲判決を続けて、主権者の少数が国会議員の多数を選ぶような制度をそのままにしていいわけがありません。主権を国会議員から国民に取り戻さなければならないとの思いから以下のような弁論をしてきました。10月18日に判決が出ます。皆さんにも考えて頂きたいと思うので、今回は弁論要旨の一部を抜粋して紹介します。
1 国会の立法裁量に関して
上告人は、憲法は国民主権原理から各選挙区に人口比例によって定数を配分することを要請していると主張していますが、これは人口比例選挙であること、すなわち各選挙区あたりの有権者数を1対1にすることをベースラインとして、そこから逸脱するのであれば合理的な理由をもって説明することを求めているものです。
選挙制度に関して国会に立法裁量があるとしても、その裁量は当然のことながら、憲法上の要請に反するものであってはなりません。
国民主権原理からすれば、主権者の多数が国会議員の多数を選出できるような選挙制度であることが憲法上要請されるのであり、それが人口比例選挙であることを上告人らは主張しています。これに対して、国会が人口比例による定数配分を後退させる理由を被上告人ら(国)は立証できていません。
2 選挙権の侵害であること
本件は、選挙無効を求める客観訴訟でありますが、その実質は上告人らが主権者として一人前扱いされていない、政治的価値において個人として尊重されていないという選挙権の侵害からの回復を求める訴訟でもあります。
国会は、根本的見直しについて検討し、必ず結果を得るとした平成27年改正法附則7条を完全に無視し、その履行を怠ってきました。その結果、本件選挙当日の選挙区間における最大較差は3.03倍となり、前回の選挙よりもさらに較差は拡大してしまいました。これは国会が較差を是正しようとする姿勢を失ったことの結果に他なりません。
これにより、3倍以上の較差によって不利益を受けている、すなわち投票価値が3分の1未満しかない神奈川県、宮城県、東京都の有権者の合計数は2119万1,842人であり、これは全有権者1億560万5,923人の20.1%にあたります。全有権者の2割にも上る主権者が3倍以上の較差で、一人ひとりの有権者の声が平等に国会に届かないという耐えがたい不利益を受けているのです。これは明確な選挙権の侵害です。
そもそも選挙権の制限は、在外国民選挙権に関する最高裁平成17年9月14日大法廷判決によって明確になったように、国民の選挙権又はその行使を制限することは原則として許されず、国民の選挙権又はその行使を制限するためには、そのような制限をすることがやむを得ないと認められる事由がなければなりません。
本件選挙において、上告人らの選挙権の投票価値を3分の1に制限しなければ、「選挙の公正を確保しつつ選挙権の行使を認めることが事実上不能ないし著しく困難であって、選挙権を制限することがやむを得ない」とは到底認められないことは明らかです。このような実質的な選挙権の制限は憲法違反であり判例違反であり、これを最高裁として放置してよい理由はありません。
3 都道府県単位の選挙制度には
合理性がないことについて
確かに、過疎地域に住む少数者の意見をも国政に十分に反映する必要があるという意見も十分尊重に値します。しかし、こうした山間部などの過疎地域に住む少数者の意見をも国政に十分に反映するという目的のために、都道府県単位の選挙制度を採用して投票価値において地方を優遇するという手段をとることが、合理性、相当性に欠けることもまた明白です。東京都の中に小笠原諸島や檜原村のような過疎地域があるように、同じ都道府県の中においても、人口の偏在を避けることができないからです。
そして何よりも、意見を尊重するべき少数者は、地域的少数者だけではありません。国民の中には、性的少数者、貧困にあえぐ少数者、障がい者のように少数者としてその意見を国政に十分に反映する必要がある集団は他にも無数に存在します。
憲法13条前段が保障するように、誰もが個人として尊重され、その人格価値においては平等なのですから、選挙の場で、特定のグループの意見を優遇するために投票価値に差を設けることは、国会が立法裁量という名の下に個人の人格的価値を棄損するものであり、決して許されることではありません。
また被上告人は、国会で議論されるべき課題について「国政の運営上も検討すべき必要性が高い課題(例えば、国境離島に関する問題、エネルギーや食糧供給に関する問題、自然災害対応も含めた国土や環境の保全に関する問題等)について人口の少ない県の意見を国政に届けることが必要な場合は少なくない。」と指摘されます。
しかし、上記の例示された課題はすべて、人口の多い都道府県においても、その住民の意見を等しく届ける必要のある問題であり、その必要性がないとは到底いうことはできません。
そもそも国会は、地域的な課題から離れた安全保障政策や財政経済政策、社会保障政策、教育政策、そして憲法改正など国家的な課題を議論すべき場です。なぜ特定の地域の住民の声のみを過大に反映しなければならないのか、その合理的理由は全くありません。この点に関する国の主張には説得力も正当性もないといわざるをえないのです。
4 裁判所の果たすべき役割について
そもそも上告人らは、本件選挙において選挙権を侵害されたことによる損害の賠償を求めているのではなく、選挙当日に憲法が保障する選挙権を正しく行使できなかったとして、選挙無効を訴えています。ここにおいては、選挙当日に違憲状態にあった以上、それは公職選挙法の区割規定が違憲であることに他なりません。そもそも合理的期間の放置などという要素を検討するまでもなく、違憲違法判断をなすべきです。
なお、付言すれば、昭和51年最高裁大法廷判決が事情判決の法理を採用した当時とは比例区の存在や全選挙区での提訴などの前提が大きく異なっており、違憲違法の判断をする際に、事情判決の法理を採用する必要性もなければ許容性もないことを確認しておきます。
本件において、裁判所による選挙の違憲無効判決が出た場合、内閣や国会は、日本及び国民のために地域代表としての非人口比例の参議院議員通常選挙制度がどうしても必要だと考えるのであれば、国民にその必要性を丁寧に説明した上で、憲法改正手続によって主権者たる国民の判断を求めればよいだけです。
日本がどのような国になるのか、国のかたち、地方自治の在り方を変えるべきか否かを決めるのは主権者国民であり、内閣や国会ではありません。
違憲判決を受けて現行憲法に則った選挙制度の抜本的な解決をするのか、それとも人口比例選挙を否定する憲法に改正するのか、主権者国民の声を聞きながら熟議を尽くすようにこの問題を政治部門に突き返すことが、国民主権を尊重する裁判所が行う違憲判決の持つ実質的な意味なのだと考えます。
本件における違憲判決は、このように憲法改正手続を進めるか、それとも違憲判決を受容して抜本的な選挙制度に改革するかの選択を内閣や国会に問いかけるものであって、侵害された国民の選挙権を回復し、むしろ国民主権、民主主義に資するものです。裁判所の違憲判決は決して民主主義に反することにはなりません(「転轍手」理論)。
ただし、いうまでもないことですが、仮に憲法改正をするにしても、国会による発議は民主的正統性を有する国会議員によってなされなければ、憲法改正そのものの正当性に疑問が生じてしまいます。よって、仮に非人口比例選挙を許容するような改憲を選択するにしても、一旦、最高裁の違憲判決に従って、現行憲法に則った人口比例選挙に改めて、正統性を有する国会議員に国会の構成を改めた上で、改憲発議をしなければならないことは言うまでもありません。
現在の日本は、失われた30年をどう取り戻すか、物価高、円安などの経済政策、反撃能力の保有などの安全保障問題、異次元の少子化対策の財源問題、相次ぐ自然災害対策など主権者国民が判断しなければならない無数の国家的課題に直面しています。にもかかわらず、現在は、国民の少数によって国会議員の多数が選出され、その国会議員によって政策決定され、国会議員が主権者として振る舞っているのです。このような状況を最高裁が合憲判決によって追認してしまうことは決して許されません。
投票価値の不平等により、主権者国民の声が正しく国会に反映されていないために、国会が民主的正統性を有しておらず、国民代表機関、国権の最高機関としてその役割を十分に果たせないときに、裁判所が違憲審査権を行使して、国会における民主的政治過程を回復することは、国会と裁判所の関係性からしても裁判所の違憲審査の重要な役割であると考えます。
被上告人は、今回の選挙において憲法が要請する投票価値の平等を後退させるだけの合理的理由を何一つ立証できていません。前回の参議院議員通常選挙における投票価値よりも後退している本件選挙においては、最高裁判所として明確な違憲無効判決を出すべきと思料します。
伊藤 真
司法試験・公務員試験対策の「伊藤塾」塾長・伊藤真の連載コーナーです。
メールマガジン「伊藤塾通信」で発信しています。
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