2023.11.01

第340回 意見の対立

 40年以上前に司法試験の受験指導を始めましたが、そのころは話し方が生意気だとずいぶんと批判されたものです。テキパキ話せば「早すぎる」と苦情を言われ、ゆっくりと話せば逆に「眠くなる」と言われながらも、少しずつ自分の講義スタイルを作ってきました。今でこそタイパが重要ということで1.5倍や2倍速で講義を聴く受講生も増えてきましたが、当時から少し意識してテンポ良く話すようにしていました。少し早めの話を頑張って聴いてもらった方が受講生の脳への刺激と訓練になると考えたからです。意識して早く話し、その代わりに語尾をはっきり発音したり、重要なことを繰り返すなどの工夫をして、カセットテープ(当時)を早回しで聴いても理解してもらえるような話し方をしてきました。

 

  言葉遣いにも随分と気を遣ってきました。ただ塾立ち上げの頃、刑法の講義で安楽死と尊厳死について触れた際に、「植物人間」という言葉を使ってしまったことがあります。意識のないお父様の病室で長い間看病を続けながらカセットテープで私の講義を聴いてくれていた受講生から、「この言葉を聞いてから講義を聴き続けることができなくなってしまいました」との手紙をもらい、申し訳なく思うと共に、一つ一つの言葉の重みを痛感し深く反省しました。

 

 講義やテキストの内容に関しても、補講をすれば「ちゃんと時間内に収めろ」と指摘されることもありますが、他方、「こんなに丁寧に追加講義をしてもらってありがたい、そのおかげで合格できた」と感謝もされます。テキストに関しては分量が多すぎるという声は塾の立ち上げ当初から頂いていました。ですが、実務家になるために必要とされる絶対的な情報量があります。試験に合格して実務で活躍するというゴールから遡って考えれば、この程度の記述は必要となるため現在に至っています。

 

 私の受験時代と比べてもあまり意味はありませんが、40年以上前は、憲法1つとっても、大学教授が書いた分厚い本(基本書)を最低でも2冊、判例百選、重要判例集の読み込みは必須でした。さらに芦部先生が教科書を出していませんでしたから、芦部先生の難解な論文集を3、4冊読み込んで憲法訴訟を理解し自分なりの整理をしました。民法はもちろん、総則、物権、債権総論、債権各論、親族相続でそれぞれ別の基本書と百選などを読み込まなければなりません。他の科目も同様です。

 

 それが塾の入門講義テキストだけで最低限必要なことは網羅されるようになりました。自画自賛で申し訳ないのですが、それまで一般的だった独学に比べて相当に学習効率が上がったと自負しています。その効果は伊藤塾の圧倒的な合格実績が証明してくれています。簡潔なテキストで解った気になっても、実際に問題を解こうとしても解けない、本試験で短答すら合格できないのでは意味がありません。

 

 このような話すスピード、講義時間、テキストの量ですが、実は塾生ごとに最適解が違うのだと思います。最も効果的な学び方は、これまでの勉強経験や意欲、問題意識などにより、それぞれ異なります。もちろん伊藤塾では個別指導も充実していますが、本来は、一人ひとりに合わせた教材開発が必要であり、それが今後の私たち伊藤塾の課題だと思っています。

 

 講義や教材についての様々なご指摘やご意見は私たちがさらに進化するために必要なことですから、とてもありがたいことです。それらをネガティブに受け止めて気に病むことはないはずなのですが、若い頃は、そうした頭と心の切替えが苦手でした。今は、すべての人に評価されようと思わずに、自分の信じる方法を続けていくしかないと割り切っています。

 

 人からの評価など気にしていたら前に進めないという点では、塾以外の仕事でも同様です。どんな仕事でも続けていると様々な悩みが生まれますが、一人一票裁判では前回の雑感で書いたように理不尽な批判を受けてきました。憲法改悪に反対したり、憲法9条を大切にと言っても、憲法価値を理解できない人からは、政治的決めつけや的外れのレッテル貼りをされたりしてきました。

 

 多様な聴衆が参加する講演では、厳しい意見を頂くことがあります。「どんな戦争にも反対だ」と発言したら、会場から「おまえは大切な人のために戦わないのか、卑怯者め」と野次られたこともあります。「理想ばかり言っていないで現実をみろ」ともよく言われます。こうした批判的な意見をもらうことによって、人によって見えている現実が違うことに気付かされ、むしろ勉強になります。意見の対立は私にとって自分の思考を深めるために必要なことなのです。

 

 こうした批判を気にし過ぎて出来るだけ批判されないようにしようとすると、結局何も言えなくなります。そうしたときに「人は皆違う」(憲法13条:個人の尊重)がデフォルトなのだと予め理解しておくと、意見の対立は当たり前、たとえ身近な人であっても気が合うところもあれば、違うところもあって当然だと、少し心に余裕が持てるようになります。

 国連総会は、イスラエルとパレスチナ・ハマスとの戦争に関して、10月27日の緊急特別会合で「敵対的行為の停止につながる人道的休戦」を求める決議を採択したのですが、アメリカ、イスラエルは反対、日本は棄権しました。ハマスによるテロ攻撃等に対する強い非難が無いことなどが理由だそうです。パレスチナ問題は2000年以上前からの宗教紛争ですから、日本が軽々に一方に加担できる問題でないことはわかり切っています。ですが、3週間超で双方の死者が9700人(ガザ地区の子ども3000人以上を含む)を超える悲惨な状況で、今行われている戦争という殺し合いを一時停止することを求め、人道的に民間人を救うこと自体は、一方に加担することとは別です。ここでの意見の対立は人間の命よりも国の立場を基準にしていますが、憲法前文で「全世界の国民」の平和的生存権をめざす日本は明確な姿勢を示すべきでした。

 

 先日、最高裁が性別変更の手術要件に関して画期的な判断をしました(2023年10月25日大法廷決定)。差し戻しの部分は残念ですが、それでも一歩前進です。正直な話、多数の国民・市民には他人事かもしれません。しかし、少数であっても理不尽な規制によって個人としての尊厳を傷つけられ、他人には想像が難しいような精神的苦痛に苦しんでいるのであれば、これを救済することが裁判所の役割です。下級審において違憲判決を出すことは一裁判官にとって勇気がいることであり、変化のきっかけを生み出すことは難しいかもしれませんが、最高裁は学者、外交官、検察官、弁護士など多様な人材が集まり、それぞれの英知を結集して憲法価値を実現することができる場です。

 

 最高裁裁判官の中でも、自分の意見をはっきりと個別意見で述べる裁判官といつも多数意見の側について個別意見を全く書かない裁判官とがいます。関係方面への影響や風当たりを考慮して、個別意見を遠慮してしまう気持ちも理解できます。それぞれの個性と言ってしまえばそれまでですが、最高裁裁判官だけは、下級審裁判官と違って一人ひとり自分の意見を公表できるのですから、その機会を利用して、国民・市民に問題提起して皆が考える機会を積極的に増やしてもらいたいと強く願っています。

 

 もちろん私の考えと同じような議論を展開してもらいたいと強く思いますし、今後への期待も膨らみます。ですが、反対の結論であってもどこで考えが異なっているのか、それでも共有できる点はどこかなど、意見の対立から考える素材を提供してもらえるので、自分の考えを深める上ではとても貴重です。

 

 そもそも裁判は、意見の対立を明らかにして、当事者が争っている問題についてどちらかを勝たせなければならないものですから、どのような結論であろうと当然のように一方から批判されます。良かれと思って出した判断が当事者から歓迎されないということもあり得ます。今回の決定でも性別変更の生殖不能要件、外観要件について、トランスジェンダーの当事者からは歓迎の声ばかりではないという話を何人かから聞いて、なるほどと思いました。男と女という二分論の中で、心も身体も本物の女になった、本当の男になった証が戸籍の変更という考えもあり、その気持ちも理解できます。

 

 社会が性的指向、性自認、性的表現、身体的特徴の多層的な性の多様性(SOGIESC)を理解し、そして父母概念ですら多様でいいのだと受け入れられる社会になっていけばいいと考えています。自民党保守派の議員が提唱するように、古典的な父母と子どもたちという家族を維持してそれを社会の基礎的単位とするのでなく、様々な家族の在り方があるという当たり前の現実を受け入れて、人々が家族の多様性を許容できる寛容な社会をめざすことが憲法の精神に合致すると思っています。

 

 そのために最高裁裁判官にとって、たとえ各方面から批判を受けようが、自分が考えることを言葉にして個別意見として述べることは社会を前に進めるために重要な仕事だと思います。結局、誰もが納得し、誰もが受け入れることができる無難な意見よりも、少し尖っているように見えるけれども未来を見通して、こうあるべきだという自らの価値観が示された意見の方が、社会を進歩させる力になるのではないでしょうか。

 

 法曹三者は法律家の中でも紛争解決を主な仕事にします。そこでは、こうした意見の対立の一方の側に立たなければならないことがほとんどです。ですが、そこで当事者のために最善を尽くし、自分が考えるところの「社会全体の幸せの総量が増える」ことにつながるような仕事を懸命に続けていくその過程が重要なのだと思います。憲法はいわば未完のプロジェクトのようなものですから、「人は皆違う」というデフォルトから出発して皆がお互いの違いを認め合って共存できる社会の理想に向かって、少しでも近づく努力を継続することが大切だと考えています。

 

 今回の最高裁決定も当事者が諦めずに訴え続け、それを支える弁護士が判例を変更する努力をし続けたからこそ、新たな判断を引き出せたのです。この違憲決定を勝ち取った弁護士2人がともに伊藤塾の塾生であることを大いに誇りに思います。塾生の皆さんが伊藤塾で判例を学び、実務家になってこうして憲法訴訟に関わり判例を作る側になって活躍してくれてこそ、伊藤塾を立ち上げた甲斐があったというものです。

 

 合格後を考えて勉強し、実務を意識しながら学ぶことができるのは伊藤塾の大きな特長であり強みです。実務の第一線で活躍している伊藤塾講師に、単に合格するためのテクニックを教わるだけでなく、合格後の実務家としての姿を間近で見ることによって、モチベーションを上げることができます。合格後を考えることは、受験勉強の効率を上げ、合格を確実に勝ち取っていく上でも重要なことです。

 

 どんな仕事でも意見の対立があって当たり前、人は皆違うのですから、それを前提にしながら、それでも自分を信じて進むしかありません。日々の勉強もそうした憲法価値を実現する壮大なプロジェクトに参画するための成長の過程です。頑張りましょう。