2025.06.02

第359回 ベトナム

久しぶりに渋谷の人気ベトナム料理店「ハノイのホイさん」(以下、ホイさんといいます)でランチしました。自分の店を人気店というのも少し気が引けますが、テレビで紹介されたことも何度かありますし、コロナを乗り越えながらここ桜丘町で14年目を迎えることができました。地元のフリーペーパー「桜丘マップ」でも、私が30年通っている美容室「ボアソルテ」の店長さん(私と同い年だけどすごく若い)が仕事終わりにご飯を食べる場所として紹介してもらっています。

 

この「ハノイのホイさん」という店名は、ベトナムに仕事や社員研修などで訪問する度に現地ガイドとしてお世話してくれた方の名前から命名したものです。当初はスタディツアーの候補地探しのためベトナムに視察に行きました。ベトナム戦争からどのようにして立ち直っていったのか、アメリカに参戦して性暴力などによって加害者となってしまった韓国がどのようにその事実に向き合っているのかなどを実際の目で見て確かめたいと思って訪問したのが最初でした。

 

15年ほど前にハノイ法科大学で日本法の講演をしたときに、日本語を勉強しているベトナム人学生から、日本に留学したいけど、先輩からブラックなバイト先ばかりだという話を聞いているので怖くていけないという声を耳にし、とても残念に思いました。優秀なベトナム人学生が日本で安心して働ける場所を作ってあげたいと考えたのがそもそもの発端です。

 

もちろん飲食店経営の経験などありませんし、そもそも私は料理ができません。完全に今の時代に逆行しているのですが、子どものころキャンプで飯盒炊飯をしたことがあるくらいで何もできません。そんな人間がベトナム料理の店を始めようというのですから、大変です。社員もびっくりでしたが、まずシェフを募集しなければなりません。当時はまだそれほどベトナム料理がポピュラーではなかったので、見つかりませんでした。そこでフランス料理、イタリア料理のシェフを雇って、一緒にベトナムに行っておいしい店の厨房を見せてもらい作り方を学んでくることから始めました。

 

ところが当時、おいしいと思った店で秘訣を聞くと、味の素だというのです。美味しくなることはもちろんわかるのですが、さすがにそれは真似できないと思い、スープをゼロから作る研究もしました。ベトナムにはフォーはガー(鶏)とボー(牛肉)の2種類しかなく、それも専門店ではスープの作り方が全く違うため、このどちらかしか出していないのです。ホイさんでは何日もかけて別々にスープを作っています。どうせやるなら本物をめざそうと思い、実は製麺機もベトナムで探して大きなものを持って帰ろうとしたのですが、皆に止められました。日本の米粉でつくる麺もありかなと思ったのですが、ベトナムのお米で作る麺の方が私は好きです。今の米不足と高騰が一段落したら日本米の活用も考えてみます。

 

伊藤塾グループでは、日本留学を目指す学生のための桜丘国際日本語学校も運営しているのですが、そこで学ぶベトナム人の学生がホイさんで店員として活躍してくれるという良い循環ができています。ホイさんを手伝ってくれた外国人スタッフは150名ほどです。皆、それぞれの道で日本とベトナムの架け橋になってくれているのは嬉しいことです。

 

ホイさんでは、日本人シェフが作ったベトナム料理をベトナム人スタッフがサーブして、近所のIT企業に勤める中国人やインド人エンジニアが英語で話しながらランチを楽しんでいます。まさに多様な世界を実感できるお店となっており、いいものです。

 

ベトナムのフランス植民地時代は、1858年から1945年までの約87年間にわたりました。そのためベトナム料理はフランス料理の影響も受けていて美味しいです。フランスパンを使ったバインミーはベトナムでは定番の朝食ですし、ワインの輸出も増えています。コーヒーに至っては世界第2位の輸出国です。

 

当初、ベトナムに行くと女性がテキパキ仕事をしているのに比べて、男性が昼間から道端でゆっくりしている姿が目につきました。女性が仕事をするのは社会主義国だからということもあるのでしょうが、戦争で男性が亡くなり女性が働かざるを得なかったためと聞いたことがあります。戦争の影響はいたるところにみられます。今でも人口の半分は30歳以下です。

 

ベトナム戦争でアメリカが使った枯葉剤の影響で、DNAが壊れ何世代にもわたって障害を持った子どもが生まれるそうです。結合双生児として生まれ日本で分離手術をして有名になったドクさんと一緒に食事をしたことがありますが、彼が働くような障害者施設がベトナムには多くあります。

 

1940年から約5年間にわたり、日本軍もフランスの植民地であったインドシナに進駐し北部から南部まで支配しました。1945年に日本が連合国に降伏したことにより、ベトナムは再びフランスの支配下に戻ることとなりましたが、ベトナムは独立のため闘い続けることになります。1946年から75年まで続いた熾烈な戦いで命を落としたベトナム人は300万人以上と言われています。ベトナムにとっては独立を求める正義の闘いでした。ホーチミン国家主席は「独立と自由より尊いものはない」と語り、この言葉は人々にとっての抵抗の象徴であり、国の独立を求める強い意志の表われでした。

 

フランスとの闘いの後、アメリカによる自作自演だったと評価されている1964年のトンキン湾事件をきっかけに始まったベトナム戦争では、多くの若い米兵も悲惨な戦いを強いられ、このあとアメリカは徴兵制から志願兵制に移行します。帰還兵のPTSDなどを含めて多くの課題を残した戦争でした。枯葉剤をまき散らした米軍爆撃機は沖縄から飛び立っていきましたから、ベトナムでは沖縄を悪魔の島と呼ぶ人がいることも現地に行って初めて知りました。日本でも反戦運動が高まり、大学キャンパスでは大規模な集会が頻繁に行われていましたし、インドシナ難民の多くを日本も受け入れました。

 

戦後は1986年に始まったドイモイ(刷新)政策の下で驚くような経済発展を果たします。国民一人当たりの所得はこの10年で8倍になり、アメリカとの貿易も飛躍的に増えています。トランプ関税の行方は不透明ですが、かつての戦争相手のアメリカだけでなく、歴史的な対立関係にある中国やロシアも含め、日本など12か国と包括的戦略パートナーシップを締結しています。竹のように柔軟でしなやかな、そしてしたたかな外交戦略です。

 

安全保障面においても、ベトナム国防省は2019年の防衛白書で、ベトナムの防衛政策として「軍事同盟に参加しない」「第三国の介入を求めない」「ベトナムに外国の軍事基地を置かない」「武力行使や威嚇をしない」という「4つのノー」を表明しました。まさに自主独立の安全保障政策です。さすが軍事大国アメリカに戦争で勝った唯一の国だけあります。国内に外国に軍事拠点を置かないと堂々と宣言できるとはうらやましい限りです。敵対する勢力のどちらの側にも属さないことを表明し、常に世界の情勢を把握し最適な外交を展開するのがベトナムの強みです。

 

アジア諸国にはまだまだ学ぶべき事柄が多くあります。トランプ関税などの影響を考えると、経済も安全保障も米国に依存しているだけではだめだと考える人も増えているように思います。米国一辺倒ではなく、視野を広げて日本らしい生き残り策を考えることが必要な時期に来ているのではないでしょうか。ベトナム法、マレーシア法、インドネシア法、そしてインド法など、学ぶことで先駆者になれる分野がまだまだ山ほどあります。塾生の皆さんには未開拓の分野を積極的に切り拓いて活躍してほしいと願っています。